杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

被災地を巡る

台風が近づきつつあった10月の23日、青森に行く用事があったので丁度よい機会でもあり、以前から考えていた被災地巡りをしてきました。
ちょっと遅れてしまいましたが今回はその報告です。

当日は仙台を6時出発、空模様はあいにくの雨でしたが幸いそれほど強くもなく、空いている三陸自動車道を一気に北上していきます。
目的地は勿論こちら。


8時頃に南三陸町に到着、あの防災庁舎の姿がそこにありました(クリックで拡大)。


この庁舎ですが、テレビや写真などで見ていた時とはかなり印象が違いました。
写真だけからの印象では、あの鉄骨の姿から巨大な構造物というイメージを抱きますが、実物はとてもコンパクトでどちらかというと「か弱そうな」イメージであり、これではあの津波にもひとたまりもなかったであろう事がまざまざと実感されます。
この庁舎に関しては、震災遺構として残すべきか否か地元で散々検討されましたが、結局11月上旬から解体開始とされていました。
しかし、10月27日に行われた宮城県知事選で当選した村井知事が、この庁舎の保存に向けて国に働きかけていく旨を突如打ち出し、これがこの後どうなるのか分からなくなっています。
実際この周りではすでにかさ上げ工事が始まっており、このままでは復興の足かせにもなりかねず、どちらにせよ解体しなければならない状況となっています。




この防災庁舎を震災遺構として残すべきかについて、自分としてどうこう言える事ではありませんが、ただこの庁舎を目の前に見て感じたのは、
「震災遺構としては、あまりにも悲しすぎる。」
という思いだけでした。
庁舎の前には今もお花が手向けられていましたが、それを写真に収める気にはなれませんでした。
次の目的地に向かうため防災庁舎を後にするのと入れ違いに、震災ツァーのバスが入ってきました。残り少ない期間ではありますが、ここはぜひ多くの人に見てもらいたいと思います。

その後は国道45号線を北上し、一路気仙沼に向かいます。
気仙沼市では敢えて市内には入らず、周辺の海岸の様子を見てみる事としました。
海岸へ向かう途中、震災がれきの焼却施設が現れます。


仙台市ではようやくがれき焼却を終えましたが、気仙沼では来年3月終了の予定に向けて最後の追い込みを行っており、この日も大型ダンプが何台も施設にがれきを搬入していました。

この道の先に突如墓所が現れましたが、墓石は今も倒れたままです。


この浜の反対側に、「岩井崎」という海岸がある様なので、そちらへ向かう事にします。


気仙沼湾の岩井崎に到着、ガイドによるとここには「潮吹岩」というものがあるみたいです。


浜を見渡してみると変った形の松の風景。津波に襲われて曲がってしまったのでしょうか。
手前の手すりも壊れたままで、津波はこの辺一体を飲み込んだ様です。


先に進むとカラスのお出迎え。


その先には関取の像が…、





調べてみるとこの像は、郷土が生んだ横綱秀ノ山雷五郎」という力士で、東日本大震災での津波にも耐えたという事で、地元では現在復興のシンボルとされているようです。


そしてこの力士の指差す方に、「潮吹岩」があります。
当日は台風で波も荒れていたので、何回も「潮吹き」を見る事が出来ました。


公園内には「秀ノ山」の手形までも。


ここから先ほど通り過ぎたがれき焼却施設も見られます。



気仙沼を後にし、更に北上。途中道沿いにはやたらこんな標識が。


走っていると「津波浸水区間」の『ここまで』と『ここから』の標識が交互に現れます。


走っている分には内陸のイメージでいるのですが、突如「ここから」の標識が現れると、
「何でこんな所で?」
と思ってしまうほど、一見海とは縁がない様な所まで津波が上がっていた事が分かり、改めてその凄さを実感します。

そして到着した「あの場所」


そこにはあのシンボルがしっかりと立っていました。


ただし駐車場からは500mほどの距離を歩かなくてはなりません。


近場に着くとこの様な風景となり、壊れた水門も現れます。


根元の台座には、今も花が手向けられていました。


現在はこの周辺は、大規模な護岸工事が行われています。


かつての「高田の松原」は今は何もありません。




内陸部分では大規模な工事が行われていました。


気仙沼を後にし、更に北上。途中の道程では被災した防波堤などの風景があちこちで。


大槌町に到着。ここで見たかったのはやっぱり「ひょうたん島」。


正式の島の名前は「蓬莱島(ほうらいじま)」というのですが、地元大槌町ではこの島を復興のシンボルとして、文化財として購入するという動きとなっているようです(→こちら)。

現在は島に渡る通路(堤防)が復旧工事中でした。


港の内側は秋草に覆われた土地、かつては家々が並んでいた所です。


昼飯で寄った「さんずろ家」、高台にあるため震災時は唯一津波被害を免れたお店です。


店内にはこんなポスターが。


もちろん「あまちゃん」も。本当に被災地を励ましてくれました。
 

昼食を終え更に北上開始。雨が強くなってきました。
山側方向を見ると遠くまで家がありません。岩手県は場所によってはかなり奥深くまで津波が襲った様です。


夕方、「道の駅くじ」に到着。


まだまだ熱は冷めていません。


店内には無料で配布されているこんな「絵はがき」が。いいのか?(^^;)
  

2日目はただ帰宅だけの予定でしたが、途中八戸市近辺のお奨めスポット「種差海岸」へ寄ってみました。


天然芝に覆われた海岸が絶景です。ここは晴れた日にぜひもう一度来てみたいものです。







慌しく駆け巡ってきた2日間でしたが、こうして実際に被災地の現状を見てみると、復興はまだまだであると実感します。
それでも地元で頑張っている人達の姿を見るとこちらも勇気付けられ、何とか応援したい気持ちになります。
個人で出来る事はどうしても限られますが、ただ被災地の悲惨な姿を紹介するだけではなく、周辺の観光施設などももっと紹介して多くの人に訪れてもらう様、中央メディアにはぜひお願いしたいものです。


おみやげに買った陸前高田の「おつまみ板こんぶ」は大変美味でした。