杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

3年目

「あの日」から3年の月日が流れました。
3年目の3月11日、テレビでは各局が特集番組を組み、大勢の取材スタッフが訪れた現地では、さながら取材合戦の様相を呈した日でもありました。
そして翌日になると案の定、昨日までの喧騒が嘘の様に、被災地の「今」を紹介する番組は綺麗に姿を消します。

津波被害がなかった内陸部では順調に復旧が進みましたが、震災の爪あとがどんどん消えていくにつれ、その真っ只中にいたはずの自分ですら、ともすれば震災の事など忘れてしまう時もあります。

それでもテレビをつけると依然として震災関連のニュースは流れており、中々進まない復興状況なども逐一報道されてはいるのですが、それらの情報は相変わらず県内だけで放送されるばかりで、中央の方へは届かないというのが現状です。
それは隣接する他県でも同じ状況で、同じ被災県でありながら、岩手や福島の状況がこちらにダイレクトに伝えられる事は中々なく、2年目に感じた危機感は3年目になってますます強くなっています。
昨年陸前高田を訪れた時、あの一本松の向かい側にはこのような施設が建設されていました。


しかし何の情報も得てなかった私はこれが何なのか分からず、ただ写真を撮ってきただけでそのままにしていました。
あれが実は、津波被災地のかさ上げ工事用の全長3キロにも及ぶベルトコンベアだと知ったのは、今年になってからという有様です(→参照)。

この3年の間、中央メディアではビッグデータなどの震災記録(アーカイブス)は充実してきました。
ですがでは果たして、被災地の「今」を正しく伝える努力や、未だに蔓延する誤解や偏見・風評などをなくす努力などは、いったいどれほど行われてきたのでしょうか。
3月11日に集中する震災特番の姿を見ていると、結局行われているのは、マスコミ各社の相変わらずのスクープ合戦と視聴率競争ばかり、そんな風に見えてしまいます。

この日、被災三県の地元新聞社が共同で号外を作成し、それが都心でも配られるという活動が行われました(→こちら)。
媒体がテレビだろうと文字であろうと、被災した地元のローカル局が地元目線で作る番組や特集には見るべきものが多く、これこそ全国に放送されるべきと思う特集が県内では多々放送されます。
この様な情報に日頃から接している者から見れば、この日に異常に盛り上がる各局の特番の数々などは、まるで祭りのバカ騒ぎの様にも見えてしまいます。
勿論それぞれの番組が提起する問題は理解出来ますが、この日だけを狙ってわざわざこんな特番を組むぐらいなら、日頃から被災県で流されているローカルニュースやミニ特集などを全国ネットで流してもらった方がよほどましだとも感じます。

NHKでは震災早々の時期から現在でも、毎週木曜日のお昼に「被災地からの声」という放送を続けています。
これは被災した人達の「今」の生の声を届けるという番組ですが、もちろんそれ自体意義ある事だとは思いますが、しかしこれだけでは被災地の全体は見えません。
かつてNHKのニュース番組では、「列島リレーニュース」なる各地のローカルニュースを紹介するコーナーがありましたが、被災地を結んで、例えば「復興リレーニュース」などとしてこれが復活しないものかとずっと考えてきました。
余計な演出もタレントも要りません。ただ定期的に、ありのままの現状をそのまま紹介すれば良いだけなのです。
○○町の□□商店が営業再開したとか、どこそこでチャリティコンサートが催されたとか、全国ネットには到底載らない様な地元密着のローカルニュースの中にこそ、被災地の生の住民達の「今」の姿があります。
故郷を離れていった人やボランティアで被災地を訪れた人達など、被災地を気にかけている人がその放送を見て、もしかしてその中に懐かしい顔を見つけるかもしれないし、遠い故郷の「今」を知る事になるかもしれません。

そしてここで重要な事は、中で扱う特集などはNHKだの民放だのという垣根を取り払い、あくまで「地元目線」からの発信とする事です。
時折流される全国ネットの番組では、震災からの教訓やら来るべき東南海地震への備えなどの方向へシフトされ、今現在の被災地が紹介される事はめっきり減り、ために今回の震災特番でも、何も変わらぬ現状を改めて知って驚くという姿に、自分はどうしても「いまさら感」を感じてしまうのです。

絶望の象徴に見えた震災被災財の処理もようやく終わり、各所でかさ上げ工事も本格化し、宮城県では防潮堤の工事も鋭意進んでいます。
これまでの3年は、本格的な復興へ向けて歩み始めるための長い長い準備期間でした。
復興への道のりを歩むのはこれからであり、一刻も早く、仮設住宅の入居者がいなくなるその日が来る事を願います。


〔3年目の風景〕 (参照:「歯抜けの街 ~一年目の風景~」
震災時、食糧不足で並んだ宮城野区鶴ヶ谷公設市場。


隣接する商業ビルは震災の翌年にようやく撤去され、


2014年3月現在、以前より小ぢんまりしたビルに生まれ変わり、一階のドラッグストアは4月にようやく開店となります。


向かいにある老朽化が進んでいた住宅団地は、今回の震災で完全に使用不能となりました(2012年3月撮影)。


現在は大規模な造成作業が行われています。ここに何か出来るのか、今現在は明らかではありません。


地盤沈下により集団移転した松森陣ケ原地区。


現在は河川敷の大規模工事が行われています(クリックで拡大)。


震災時給水場所となった泉区南光台小学校、1年後に出来た仮設校舎。


ここは現在もそのまま。被災した校舎の取り壊しがようやく終わり、これから基礎工事が始まる段階です。


震災により仮設校舎や別の学校の建物を間借りして授業を行っている公立の学校は、2013年12月27日現在宮城県で26校(→参考PDF)、宮城・岩手・福島の被災三県で97校に上るとの事です。
この問題はNHK番組でも取り上げられましたが、もう少し見やすい時間帯にやってほしかったです。


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「震災から3週間~仙台市近郊の風景~(追記あり)」
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