杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

聖火を見に行く

2020年3月20日、オリンピックの聖火が地元宮城県松島基地にやってきました。

こんな事は一生一度あるかないかだし、この所のコロナ騒ぎで、もしかしたら幻に終わるかもという不安もあって、迷ったあげく当日現地に行ってみました。

 

この日は新幹線も止まるほどの強風が吹き荒れ、行く時に走った三陸自動車道では、沿道の竹が一本折れて通行車線を塞いでしまって思わぬ渋滞となり、現地に着いたのはすでに式典が始まっている10時半過ぎとなってしまいました。 

会場近辺に行くのは諦めて近くの路上に車を停めましたが、そこにはすでに大勢の路駐車が。

途中白バイもサイレンを鳴らしながら走り抜けていきましたが、この日ばかりは大人の対応をしてくれましたw。 

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寒風吹きすさぶ中待つ事1時間弱、待望のブルーインパルスによる五輪の輪の演技が行われました。

しかしこの強風の中、五輪のスモークは無常にも描くそばからバックの雲に同化していき、おまけに逆光とも重なって撮れた写真は相当悲惨なものとなりました。

もー、わけ分からん!w 

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でもその後は、五色のスモークによる「リーダーズ・ベネフィット・ローパス」で会場上空を通過、あの強風の中での見事な編隊飛行はさすがブルーインパルス、まさに面目躍如という感じでした。 

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式典の後、聖火は石巻市の「南浜津波復興祈念公園」に展示されるため移動となりますが、沿線の道路はどこも大渋滞。

どうせ会場は満杯だろうとこの時間は避け、ちょっと足を伸ばして南三陸町へ向かいます。

あの津波被害を受けた合同庁舎の周りも大分整備が進んだと紹介され、3・11震災の日には各局のテレビ局がそこで中継を行っていたので、一度この目で確かめたいと思っていました。 

広大な敷地の中には小高い「祈りの丘」が、そして合同庁舎の手前には、震災を経験した子の復興への祈りの文言が刻まれていました。 

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 そして合同庁舎の間近まで。

今はこんな近くまで寄れるようになっていました。

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ここまで寄れたのは2013年にここを訪れた時以来で、当時は震災遺構として残すか否かの議論があった頃で、それを思うと色々感慨深いものがあります。

(参考 ↓)

この日は三連休だというのに、コロナかそれとも強風のためか「さんさん商店街」は閑散としていました。 

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ここからとって返して石巻の聖火の元へ。

時刻は午後4時半、もうそろそろ空いてるかと思っていましたが、甘かった!

会場の「石巻南浜津波復興祈念公園」まではまだ延々と車の渋滞、そして会場内にはさらに見学者の長い列!

そうか~、今日は付近の住民達は皆ここにやってきたので商店街はあの有様だったという訳か~、何てこったい…。 

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 聖火は当初は祈念公園内のビジターセンター内で公開される予定でしたが、折からのコロナ騒動で急遽屋外展示となり、それも密集を避けるため少人数ごとに区切っての観覧となったのですが、結局初詣状態となってしまった訳ですw。

会場内には案の定各テレビ局の中継車の姿。この日の夕方のローカル情報番組はすべてこの話題一色となりました。 

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そして強風と砂埃の中並んで待つ事30分、ようやく聖火「復興の火」との対面となります。

「はい次の人~、次の人~。」

モナ・リザフェルメール展を彷彿する混雑の中、聖火の炎は強風にも耐えながらけなげに輝いていました。 

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折からのコロナショックでオリンピックの開催自体が危ぶまれていますが、この炎は間違いなく、被災地の希望を照らしていると感じました。

26日からはいよいよ聖火ランナーが被災地を巡りますが、本体の開催そのものよりも、「希望の火」が被災地を巡る、その事自体が大きな意義ある事なのだと深く感じたのでした。