杜の里から

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震災遺構中浜小学校へ行く

震災から4年が経過した2015年6月、海辺の道路の復旧具合を確かめる意味も含め、福島県相馬市に向かって県道38号相馬亘理線を走っていた時でした。

 (2015年6月撮影)

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 やがて見晴らしが良くなった平地の中に、その建物はポツンと佇んでいました。

手前には「千年塔」の慰霊碑、ここで多くの方が犠牲になった事を伝えています。

 

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建物の中を覗くとめちゃくちゃになった教室内が当時のままの姿で現れ、窓にはまだカーテンもかかったまま、改めて津波の恐ろしさを感じます。

 

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津波にも耐えて残った木には、黄色いハンカチが掲げられていました。

 

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この建物が「中浜小学校」という名のこの地域唯一の小学校であった事や、この校舎の屋上に生徒達が避難し、全員無事に救助されたという事を知ったのはしばらく後の事です。

そして、あの時ただ放っておかれただけの建物はその後どうなったのか、ずっと気になっていました。

 

あれから更に5年経った今年2020年9月26日、この建物が震災遺構中浜小学校として山元町に新たにオープンしました。

 

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秋晴れの日、5年ぶりにここを訪れてみましたが、小学校に通じる新たな道路が整備され、元の木は枯れてしまったのか、あの黄色いハンカチは「千年塔」の敷地のポールに掲げられていました。

 

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敷地には駐車場も完備され、管理事務所で400円の入場料を払い小学校の中へ。

校庭の一角には日時計のモニュメント。後で知りましたが、これは震災当時救助のヘリが離着陸した場所との事でした。

 

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校舎入り口には、津波で倒された時計塔が当時のままの姿で展示されています。

 

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校舎には津波到達点の表示、当時は2階の天井まで津波が押し寄せていた事が分かります。

 

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見学コースは3階に分かれ、それぞれの階で専門のガイドの方が当時の様子を詳しく解説してくれます。

(パンフレットより)

 

1階では津波の威力をまざまざと思い知る事が出来ます。

特に、寄せ波よりも引き潮の威力が凄まじかったというのが印象的でした。

 

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海に面した教室では、引き潮で室内の物品はすべて持っていかれました。

 

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2階には視聴覚教室があり、映像で震災当時の校長先生の話が流され、あの時どう判断すべきか津波避難の難しさが語られます。

資料室には震災時前後のタイムラインの表示があり、避難活動の詳細が語られます。

 

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説明では、震災2日前の地震で一度避難計画をシミュレーション出来た事が大いに助かったとか、学校が建設される時地域住民の意見で土台が2mかさ上げされていた事、そのおかげで津波後すぐに校庭からは水が引けてヘリの離発着が出来る様になったとか、皆が助かったのは様々な偶然が良い方に重なったおかげである事などが語られます。

 

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室内には震災前の町の姿の模型が展示されてました。

 

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3階の屋上に登ると、そこからはすぐ海の姿が望めます。

 

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現在はこうして海が望めますが、以前は松林が生い茂っていてここからも海の姿は拝めなかったそうです。

そのため町の人達は、自分達がこれほど海に近い所に住んでいたという実感はなかったと言います。

屋上からは唯一残った松林の木が見えますが、これが大量に生い茂っていたと思えば、海が見えなかったというのも頷けます。

 

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生徒・先生と保護者合わせて90人が避難した三角屋根の屋根裏部屋(パンフ写真参照)は写真撮影は出来なかったのですが、中は当時のまま保存されており、たまたま見つかった避難用毛布にくるまり、懐中電灯2本だけで過ごした一夜が解説員によって語られます。

 

以前から気になっていた校舎前の「千年塔」ですが、元々そこの場所には町の墓所があり、それが津波で墓石もお骨もすべて流されてしまったそうで、町では唯一の鉄筋の建物である小学校だけがこうして残ったとの事でした。

 

初めてここを通った時、何もない所と思ったその場所には、震災前には人々が平穏に暮らす町の姿が確かにあったのです。

 

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震災遺構中浜小学校は、震災の記憶を語るために今もその場所にただ一つ佇んでいます。

 

 

※10月1日、2階にあるディスプレイが「2020年度グッドデザイン・ベスト100」を受賞しました。

地震発生のメカニズム・津波タイムスケールの展示物は必見です。