杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

10年目

2021年3月11日、あの日から10年が経ちました。

午後2時46分、被災地では追悼の祈りが捧げられましたが、自分の周りではいつも通りの日常が過ぎていきました。

でも10年前のこの日の事は今でも鮮明に覚えているし、毎年この時間が近づくと胸騒ぎを覚えます。

折りしも今年は、一か月前の2月13日に東北地方を震度6強の地震が襲い、否が応でもあの日を思い起こされてしまいました。 

f:id:OSATO:20210213231430j:plain

 

当日は、突然の縦揺れが起きた時は思わず、

「これはヤバイかも…。」

と、次に来る大きな揺れに対して身構えましたが、幸いあの時襲ってきた様な揺れは来ずに収まったのでほっとしました(それでも6強の地域では大きな被害が出ましたが)。 

よりによって10年目にこんな地震がまた来るとは思いもよりませんでしたが、それはまるで、テレビ各局が準備していた震災特集番組の予告編でもあったかの様でした。

 

今年も「あの日」が近づくにつれて多くの震災番組が流されましたが、今回はどの局でも当時の津波映像が再び流されていたのが目立ちました。

これまでは被災者への配慮から、メディアでは津波の映像は自主規制の様な形で控えられていましたが、今年は10年という節目の年という事からか、各局ともまるでこの日を待っていたかの様にあの日の津波映像が使用されていました。 

地元ローカル番組では、どちらかというと被災地の復興という部分をクローズアップした内容が多い印象ですが、全国向けの中央局制作の番組では、【あの日を忘れない】という視点からの番組作りがなされていた様に感じます。

もちろん震災の記憶を風化させてはならぬとは思いますが、当時受けた傷が癒えぬ人はまだ大勢おり、その人達はこの時期に集中して流されるこの様な震災番組をどう思うのかが気になっている所です。

 

ただ、この10年間震災番組をウォッチしてきた身から見ると、当時小学生だった子供達が今は成人となり、地元や震災に向き合う彼・彼女らの姿などが紹介されたりすると、改めて過ぎ去った年月の長さを実感すると共に、新たな希望の光を見た思いもします。

福島の原発に関しても、事故直後に溢れかえった放射能への不安煽りの番組も今はめっきり減り、廃炉作業への冷静な視点での報道が多くなったのを見て、こうなるまで10年の月日がかかったのかとも思います。

 

世間では震災の風化というものが度々問題視されますが、ただ伝える側に勘違いしないで欲しい事は、被災地では、いや多分この震災を経験した日本では、「あの日」を忘れている人は誰もいないという事です。

問題はこれから先、震災を知らない世代がこの体験をいかに継承していくか、その姿を追って記録する事こそがメディアに託された使命だと言えます。

 

10年目の今年、東北では復興事業が次々と完成して新たな街並みが整備され、震災の傷跡はどんどん見えなくなっていますが、ここに来て復興の足跡を辿る良質なアーカイブが増えたのは大いに評価されるし、これこそがメディア本来の姿であると感じます。

復興していく被災地には、かつてはここに多くの人が集う街があった、そして今の姿になるまでには、震災によって運命を変えられた様々な人がいた、定点観測の静かな映像は、そう語っている様に感じます。

コロナが収まったらまた、復興した地をこの目で確かめる旅をしたいと考えています。

それまでしばらくは、せいぜい録り貯めた震災番組の整理作業に精を出そうと思います。

 

10年ひと昔と言うけれど、昔というにはあまりにも短すぎるし、たとえ数字は一区切りでも、これは今も現在進行形の中の単なる一通過点でしかない、そんな思いを抱いた10年目でした。