杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

ALPS処理水の海洋放出で、誰が風評を流すのか

4月13日、政府は正式に福島第一原発に溜まる処理水を再浄化した後、基準値以下に薄めて海洋放出する方針を発表しました。

この発表が突然だったこともあり、まあ当然の様に各所から批判・反発が沸き起こりましたね。

それでも、こうなる事も分かった上で敢えて決断した政府の方針を僕は支持します。

 

原発事故直後からずっと福島の住人は、言われもない差別と風評に苦しめられてきました。

でも当時は放射能に関する知識も乏しかった事もあり、過剰に不安視する気持ちは分からないでもありませんが、でも中には

「自然の放射能は安全だが、原発放射能は毒である。」

などというとんでもない言説まで現れる始末で、この時などは思わず、

「この人達、頭悪いんじゃないの?」

なんて思ったものです。

 

そんなトンデモ言説もようやく消え去り、壊滅的な打撃をこうむった漁業がようやく復旧したと思った矢先に、漁業者達を飛び越えての突如の海洋放出発表ですから、風評を恐れて政府を批判する漁業者の人達の気持ちも痛いほど理解出来ます。

 

でも、何が正しくて何が間違っているかすべてが混沌としていたあの事故当時と比べると、今回は分かりやすいです。

 

政府の発表によると、今回放出する処理水はトリチウムの濃度を国内の規制基準の40分の1以下世界保健機関(WHO)の飲料水水質ガイドラインの7分の1程度に薄める、と具体的な数字も提示していて、そのモニタリングにIAEA国際原子力機関)の全面協力も取り付けている事は高評価です。

本来ならばこの事こそ大きく報道されるべきなのに、なぜか国内のマスコミの取り上げ方が小さいのが気になります。

その上、これなどテレビのニュースではほとんど報道されていませんが、13日の日に経産省は海外の経済協力開発機構/原子力機関 (OECD/NEA)やイギリスの専門家とも意見交換を行っており、双方からIAEAの協力に対し歓迎の意向が伝えられているのです。

経産省HP ニュースリリースより)

OECD/NEAによるステートメント(仮約)より抜粋、協調は引用者)↓

このような決定が、安全性を最優先とし、科学的・技術的根拠に基づいて行われれば、それは世界の経験と知識の一部となります。NEAは、日本や世界中の同僚たちとともに、こうした活動から得られる貴重な教訓を共有できることを楽しみにしています。これらの教訓の中には、意思決定プロセスのすべての段階における関係者との対話の実施・進展があります。特に、今回の決定の実施による影響を長期的に評価することや、食品品質に係る風評に残る課題を解決することの重要性が挙げられます。NEAは、これら課題への対処に関し、支援を提供する準備ができています。

 (一部抜粋)↓

  • 英国において、液体の海洋放出を含めたあらゆる放射性物質の環境放出はよく理解されており、我々の独立した規制当局が設定・施行した条件の下でのみ実行されるものである。すべてのこのような放出については、安全な水準内であることを保証するために特定の許可が必要となる。

  • IAEAの日本政府に対する協力提案は処理水の放出を支援し、モニタリングするものであり、処理水の放出がオープンで透明な方法で行われていることを保証するためにも、この方向性を歓迎する

 

そしてお隣の中国・韓国からは予定通りの日本批判が湧き上がりましたが、それでも韓国内のメディアの中では政権を批判する内容の記事も挙げられたりしていて、今後の動向が注目されます。

 

問題は国内の風評です。

政府は事故原発の建屋内に溜まる放射性物質に汚染された汚染水と、ALPSで浄化処理された処理水をきっちり区別しています。

ニュースリリースより引用、協調は引用者)↓

4月13日に決定した基本方針において、ALPS処理水の処分の際には、2次処理や希釈によって、トリチウムを含む放射性物質に関する規制基準を大幅に下回ることを確認し、安全性を確保することとしていますが、上記の経緯から、規制基準値を超える放射性物質を含む水、あるいは汚染水を環境中に放出するとの誤解が一部にあります。

そうした誤解に基づく風評被害を防止するため、今後は、「トリチウム以外の核種について、環境放出の際の規制基準を満たす水」のみを「ALPS処理水」と呼称することとします。

この様に、海洋放出するのはあくまで「処理水」であり、「汚染水」ではない事をしっかり訴えています。

 

つまりそれを知りつつ「汚染水を放出」などと言う事は、風評を生むための悪質なデマを流すという事です。

そしてこんなデマを唱える者こそ、多くの漁業者達を苦しめる者(=漁業者の敵)なのですね。

つまり、

・「汚染水を放出」=デマ

・デマを流す者=風評を生む者=漁業者の敵

という非常に分かりやすい構図で、また誰がデマを言ってるのか今はすぐに分かる訳です。

今回は分かりやすいというのはこういう事なのですね。

 

じゃあデマを吹聴したらどうなるか、こちらのサイトが参考になります。

(以下抜粋)

(1)信用毀損(きそん)罪

・ウソをついて人の経済的な側面での社会的評価を低下させるような場合

(2)偽計業務妨害罪や威力業務妨害

・威力業務妨害罪とは、威力を用いて他人の業務を妨害すること

・偽計と威力の区別は判然とせず、他人の意思を制圧するような内容なら威力、それ以外は偽計

 

「ALPS処理水」が放出される予定は2年後、その間東電・政府はしっかりと情報公開を行い、我々国民がそれを監視していくのは当たり前ですが、同時に風評によって漁業者が苦しむ事がない様、が、どの団体が、どこのメディアがデマを流しているのか、それもしっかりチェックしていこうと思います。

取り合えず【汚染水放出】で検索して引っ掛かった所を保存して、そこが2年後までにどう主張が変化するのか追いかけてみましょうかね。

 

少なくとも、僕の周りの「処理水海洋放出肯定」の人は皆、被災地漁業のサポーターばかりです。

たとえ処理水の放出が始まっても、僕はこれからも今と変わらず、地元の魚を美味しくいただきます。

10年目

2021年3月11日、あの日から10年が経ちました。

午後2時46分、被災地では追悼の祈りが捧げられましたが、自分の周りではいつも通りの日常が過ぎていきました。

でも10年前のこの日の事は今でも鮮明に覚えているし、毎年この時間が近づくと胸騒ぎを覚えます。

折りしも今年は、一か月前の2月13日に東北地方を震度6強の地震が襲い、否が応でもあの日を思い起こされてしまいました。 

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当日は、突然の縦揺れが起きた時は思わず、

「これはヤバイかも…。」

と、次に来る大きな揺れに対して身構えましたが、幸いあの時襲ってきた様な揺れは来ずに収まったのでほっとしました(それでも6強の地域では大きな被害が出ましたが)。 

よりによって10年目にこんな地震がまた来るとは思いもよりませんでしたが、それはまるで、テレビ各局が準備していた震災特集番組の予告編でもあったかの様でした。

 

今年も「あの日」が近づくにつれて多くの震災番組が流されましたが、今回はどの局でも当時の津波映像が再び流されていたのが目立ちました。

これまでは被災者への配慮から、メディアでは津波の映像は自主規制の様な形で控えられていましたが、今年は10年という節目の年という事からか、各局ともまるでこの日を待っていたかの様にあの日の津波映像が使用されていました。 

地元ローカル番組では、どちらかというと被災地の復興という部分をクローズアップした内容が多い印象ですが、全国向けの中央局制作の番組では、【あの日を忘れない】という視点からの番組作りがなされていた様に感じます。

もちろん震災の記憶を風化させてはならぬとは思いますが、当時受けた傷が癒えぬ人はまだ大勢おり、その人達はこの時期に集中して流されるこの様な震災番組をどう思うのかが気になっている所です。

 

ただ、この10年間震災番組をウォッチしてきた身から見ると、当時小学生だった子供達が今は成人となり、地元や震災に向き合う彼・彼女らの姿などが紹介されたりすると、改めて過ぎ去った年月の長さを実感すると共に、新たな希望の光を見た思いもします。

福島の原発に関しても、事故直後に溢れかえった放射能への不安煽りの番組も今はめっきり減り、廃炉作業への冷静な視点での報道が多くなったのを見て、こうなるまで10年の月日がかかったのかとも思います。

 

世間では震災の風化というものが度々問題視されますが、ただ伝える側に勘違いしないで欲しい事は、被災地では、いや多分この震災を経験した日本では、「あの日」を忘れている人は誰もいないという事です。

問題はこれから先、震災を知らない世代がこの体験をいかに継承していくか、その姿を追って記録する事こそがメディアに託された使命だと言えます。

 

10年目の今年、東北では復興事業が次々と完成して新たな街並みが整備され、震災の傷跡はどんどん見えなくなっていますが、ここに来て復興の足跡を辿る良質なアーカイブが増えたのは大いに評価されるし、これこそがメディア本来の姿であると感じます。

復興していく被災地には、かつてはここに多くの人が集う街があった、そして今の姿になるまでには、震災によって運命を変えられた様々な人がいた、定点観測の静かな映像は、そう語っている様に感じます。

コロナが収まったらまた、復興した地をこの目で確かめる旅をしたいと考えています。

それまでしばらくは、せいぜい録り貯めた震災番組の整理作業に精を出そうと思います。

 

10年ひと昔と言うけれど、昔というにはあまりにも短すぎるし、たとえ数字は一区切りでも、これは今も現在進行形の中の単なる一通過点でしかない、そんな思いを抱いた10年目でした。

震災10年目のさんさん商店街に行く

東日本大震災から10年、地元ローカル局では多くの震災特集が組まれています。

サンドウィッチマンが出演している東北ローカル番組でも毎週被災地の今を伝えており、その中で南三陸町の震災復興祈念公園も紹介されました。

昨年訪れた時はまだ工事中だったので間近まで近づく事は出来なかったのですが、

(2020年3月)

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放送で公園の整備が済んだのを知り、天候も落ち着いたので先週末一年ぶりに訪れてみました。

 

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商店街の中はコロナ禍の中の土曜日という事なのか、駐車場は混んでましたが中の人出はそれほどでもありませんでした。

 

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お店の軒先にはこんな暖簾が。

震災から今日までの長い月日に、様々な思いが巡ります。

 

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商店街から川向うの「南三陸町震災復興祈念公園」に渡る中橋は上下二段構造になっていて、上段・下段それぞれから違った景色が見られる様になっています。

 

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渡った先には「旧防災対策庁舎」が。周辺も綺麗に整備されてます。

 

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今回は庁舎の足元まで近づけ、間近から防災庁舎を見上げる事が出来ました。

 

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改めて見てみると、海側に面した鉄骨は内側にぐにゃりと曲がり、これを見るだけで津波の威力やその恐ろしさをまざまざと感じ取れます。

 

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以前2013年に訪れた時は、その惨さにただ手をかざす事しか出来ませんでした。

(2013年10月)

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でもこうして震災遺構として残してくれたおかげで、今は津波の恐ろしさを後世に伝える貴重な生き証人としての役割を果たしてくれていると感じます。

3月になればまた多くのテレビ局がここを訪れるでしょうが、やはり震災遺構というものはテレビの画面などではなく、その地に行って直に見る事によって震災を我が事の様に感じるものだと思います。

 

さんさん商店街・中橋・旧防災庁舎が一望出来る「祈りの丘」からは、震災から復興する被災地の様子がパノラマとなって眺望出来ますが、同時にここは、間違いなく多くの住民が亡くなった悲劇の地であるという思いを改めて抱いたのでした。

 

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(復興庁からのお知らせはこちら。)↓

クロスビーに乗ってて不満に思う事一つ

昨年の春、今まで乗り続けていたワゴンRから、新しくスズキクロスビーに乗り換えました。

実は車検時に代車としてしばらく借りて乗っていて、その走りが気に入り思わず買い換えてしまったのです。

まあまんまとスズキの戦略に載せられてしまった訳ですが(苦笑)。

 

このクロスビーという車、アクセルが非常に軽くて尚且つエンジンのレスポンスも良くきびきび走り、車を転がしていてとにかく楽しいのです。

初めて乗った後、エンジンがやたらよく回ると思って調べてみたらこれ、あのスイフトRStと同じエンジンを積んでいたのですね。

最高出力99ps(73kW)/5500rpm、最大トルク150Nm(15.3kgm)/1700-4000rpmと、1000ccながら1500cc並みの性能を引き出すK10C型直噴3気筒ブースターターボエンジン、これが4WDでも車重僅か1000kgの軽い車体を引っ張るのですから、その加速感はそこらのスポーツカーにも負けない程で、交差点で先頭に立った時などはいつもその軽快な加速感を味わってます。

回転数によっては3気筒エンジン特有の太い振動も目立つ時もありますが、自身昔はバイク乗りだった事もあり、逆にその振動が心地よく感じたりしてさほど気にするものではありません。

それに何より、変速ギアがCVTじゃなく6速オートマというのも高評価の一つ。

今までずっとCVTに乗ってきて、あの勝手にエンジンが回っていってただ乗せられているだけという感じが、どうしても僕の性には合いませんでした。

やはりアクセルの挙動通りにギアが次々にシフトアップしていき、また素直に減速していくATのフィーリングの方が僕的にはしっくりきます。

 

そして、我が家における夫婦共通の趣味が「山城(やまじろ)巡り」というやつでして、城跡に辿り着くまでは人里離れた「ポツンと一軒家」の様な道なき道を走り回る事も多数。

これまでは軽の非力なエンジンを酷使していましたが、クロスビーのおかげでそんな所にも余裕を持って乗り入れる様になりました。

 (例えばこんな道、片側は絶壁の崖)

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 座席位置が高いからボンネットの見切りも良く、室内の広さと見晴らしの良さはこの車の大きなアドバンテージだと思ってます。

 

もちろん良い所だけではありません。

 

よく言われるクロスビーの欠点として、試乗インプレッションの記事ではシートの柔らかさが問題にされ、事実自分も新車が来た時早速200kmを走破してみたのですが、確かに降りた後に腰が痛くなったという経験をしました。

「このシートは使えない。」

そう思ってしばらくは車屋さんで硬めのシートクッションやレーシング用シートなど色々物色したのですが、これといったものが見つからぬまま3~4000kmほど走っている内に、何とこの柔らかかったシートが徐々に自分の体に馴染んできたのです。

市販されているシートクッションでは低反発性シートが多いのですが、このシートはそれ自身がまさにそんな感じで、乗るほどにいつの間にか座面が自分の体に合ってきて、夏休みに3日間で1000km以上走破した時でさえも、腰の痛みはさほどではなかったのには我ながら驚きました。

やはりこの辺の使い込んだ感触というものは、試乗時の印象だけでは絶対に分からぬものなのだと実感します。

 

でも乗っていて唯一不満に思うのがこのスピードメーター。↓

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この車で200kmの表示があるなんて、

「なぁ~に考えてんだ!」

と思う訳です。

しかも、アナログメーターというものをまるで理解していないただの見た目重視のデザインに、これがとても車メーカーの仕事とは思えず、

「これデザインしたのトウシロかよ!

と思ってしまうのです。

 

そもそもアナログメーターの利点というのは、細かな表記を見るのではなく感じる事によって状況を理解する、つまり直感的に判断出来る所にある訳です。

スピードメーターならば、メーター針が垂直となる所を基準とし、それが右に傾くか左に傾くかで速い遅いを瞬間的に感じとれるのです。

 

ちなみに他のメーカーはどうなってるかと言うと、例えばトヨタのヤリスクロス。

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スポーツタイプの日産スカイライン

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どちらも最高速は180km、中心の90kmの所で針は垂直になる様にデザインされています。

そして国内常用域である60~100kmの間では針は常に垂直方向上部を差しているので、ドライバーの視界の下方端には常に針が存在し、速度を確認する際も縦方向への最小限の視線移動で済む訳です(たまにデザイン重視でメーターの開始が水平からとなってるのもありますが、それでも常用域ではメーター針は上方部にある様になっています)。

 

同じスズキの車でも、2013年に登場したスイフトXS-DJEはこう。

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240kmというチャレンジングなメーターを付けた、2011年のZC32型スイフトスポーツでも常用域では針は上方部を差し、尚且つ分かりやすい様に100kmの所には目印が付けてあります。

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半面クロスビーはどうか(カタログより)。↓

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針が天頂を示すのは時速160km、この車でこんなに出せますかって!

そして最もよく使う常用域60~100kmでは針は常に左側水平或いは下方向を向いていて、その分速度確認するにも斜め下方への余計な視線移動が必要となります。

おまけに速度表示のピッチ間も狭いため、微妙な速度を確認するにはどうしてもコンマ何秒かは遅れる事になり、ちょっと目を離すその僅かの差が実際は数メートルの差となり、その分事故に結び付く確率も高くなる訳です。

 

まあ、実際街中では前の車に素直に付いていけば良いので小まめにメーターを覗く事はないですが、この車、加速が良く静かなので、自分の感覚では60kmで走っているつもりでも実は70km出てたという事がざらにあるのです。

でもこのメーターでは60kmか70kmかを瞬時に確認するのは難しく、運転中ついメーターを凝視してしまったりして危ない事この上ない。

つまりスピードメーターとしての本来の役割を果たしていないのです。

その上、スポーツモードやスノーモードに切り替えた時には、カタログの様にメーター横に動くイラストが現れ、メーカーでは「遊び心」のつもりでしょうが、これが何ともガキっぽい。

はっきり言ってこれも余計な表示であり、トウシロのデザインと呼ぶ理由がここにある訳です。

 

昨年10月にクロスビーはマイナーチェンジが行われ、待望のACC(アダプティブクルーズコントロール)や「車線維持支援機能」という安全装備はより充実しましたが、残念ながらメーターはカラーリングだけの変更でした。

同じメーターはイグニスにも搭載されており、この部分だけは問題ありと言わざるを得ず、メーカーにはぜひ再考を望むものです(出来れば新たなデザインのスピードメーターのパーツ販売をしてほしい)。

 

こんな事に苦情を言うのは僕だけかと思いきや、同じ問題を指摘しているユーザーの方が他にもいらっしゃいました。

やはり同様の不満を持ってる人もいるのですね。ちょっと安心しました。

 

ちなみに最新の4代目スイフトのメーターを見てみると、最高速はとうとう260kmという、国内では走行不可能な表示となってしまってます。

ここ、ヨーロッパじゃないんだからね、ホントにもう…。

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そしてよくよく見るとこのメーター、数字位置といいピッチ間隔といいクロスビーとほぼ同じ、どうやら針を可動させる内部ギヤなどはクロスビーと共用部品を使用してるんじゃないかと。

こんなかっこばかりで安全性無視のデザインをしたデザイン部、そして何の疑問も持たずに採用してしまったスズキ上層部、一体どうしちゃったの?

 

ちなみに安全性重視のボルボのインパネデザインはこうなってます。

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最高速はスイフトと同じ260km表記ですが、低速域の0~40kmは良く目立つ色の細かな速度表記、それ以上は常用速度域を示すグラデーションで誘導、そして規定速度(この場合は100km)が設定されたら、そこの目盛りは赤で表示されます。

常用域では針は上方部を差す位置にあり、この様にドライバーがスピードを直感的に判断出来る様によく考慮されています。

スズキもヨーロッパをターゲットにするのならば、せめてこれぐらいの安全性は意識してほしいものです。

 

また、こんな事を何も指摘しない車評論家やライター達も問題だと思います。

分かっていながら何も言わないのか、それとも何も感じなかったのか(ならばライター失格)、或いはメーカーや出版社に対する忖度か。

とにかくダメなものはダメなのだとはっきり言わない事が、こうしてメーカーに大きな勘違いをさせる原因だと思うのです。

特に安全性に関しては命に関わる問題でもあるし、たとえ些細な事でも気になったらズバズバ指摘し、メーカーはその声を真摯に受け止める努力をしなければ、これから始まる新たなEV社会においても、国産メーカーは他国からどんどん取り残されていくばかりだと思います。

 

とまあ、言いたい事を言わせてもらったけど、クロスビーが楽しい車である事には変わりありません。

特に4WDに装着の「スポーツモード」。

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これに切り替えた途端アクセルはクィックな反応となり、特にワインディングロードを走る時などは、ヘアピンカーブを抜ける時もエンジンは息継ぎもせず軽い車体をグイグイと引っ張り、まさにこれこそが真骨頂と言える走りをするのです。

それにこういう道ではスピードメーターはあまり意味を持たないので、この時は何も考えず気軽にハンドルを握れます。

東北の県境には今でも急峻な峠道が数多くあります(例えば国道398号線の宮城~秋田県境の「温湯七曲り」とか、米沢市~白布温泉間の「船坂峠」旧道などなど)。

昨年の夏は牡鹿半島を走ってきましたが、その時もメインの「牡鹿コバルトライン」ではなく、女川原発がある海岸線の方の道を走ってきました(原発関連工事でダンプだらけでしたが)。

今年はまた、以前軽で苦労して走った峠道を、再びこいつで走破したいと思っている所です。

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ここも車雑誌の試乗レポートでは絶対に紹介されないだろうし、でもこういう道こそがクロスビーには一番似合っていると僕は思っているのです。

ウーロン茶にハマる

コロナコロナで明け暮れた2020年も終わり、新しい年となって少しは収まるかと思いきや、都心部ではとうとう非常事態宣言が発令され、一方お隣韓国では日韓の新たな火種となる判決が下されたりして、そんな情報を追いかけている内に気が付けばもう20日過ぎ、すっかりブログ書くのをサボってしまいました。

そこで今年一発目のネタとして何にしようかと思った時、個人的には菅政権の政策の中で一番関心がある「グリーン社会の実現」について何か述べようかと思ったけど、まあ初めは軽く近況報告でまとめようかと(笑)。

(言い忘れましたがこのブログ、自分では元々「環境ブログ」という位置付けで、環境問題を色々取り上げようと始めたのです(えっ⁉w)。)

 

実はこの所ずっとウーロン茶にハマっております。

昨年の暮れ、ドライブ中にコンビニでたまたまウーロン茶を買い、帰宅後余ったそれに焼酎を入れてウーロンハイにして飲んだ所、それが非常に美味かった!

以来我が家の家飲みではウーロンハイが定番となり、それだけではなく食事中でも水代わりにウーロン茶を飲む様になったのですが、そのせいかどうか分かりませんが、正月中あの食っちゃ寝の怠惰な生活をしてたにも関わらず、不思議と胃がもたれるという事はありませんでした。

ウーロン茶の効用としてよく脂肪燃焼効果などがCMで宣伝されてますが、調べてみるとつい最近、筑波大学でその研究がなされていて確かに効果がある様な発表がなされてました。

 

まあ元々健康効果を期待した訳じゃなくてただ美味いから飲み始めただけなのですが、こんな効果が見込めるならば今後も飲み続けようかと思った次第です。

何よりうちの近所にはイオン系のスーパーがあり、そこにあるトップバリューのウーロン茶は2リットルボトルで何と98円!という非常にリーズナブルなプライスで売られていて、もうコンビニで500mlなんか買うのが馬鹿らしく思えてきます。

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こうして今年からウーロン茶は、今や我が家の冷蔵庫には常に鎮座ましましてる、新たなパートナーとなっているのでした。

 

こんな感じで今年もまた、ぼちぼち始めていこうと思います。

今年もよろしくお願いいたします。

特撮アーカイブセンターは特撮ファンならぜひ行くべき所

11月3日、福島県須賀川市に特撮資料を収集保存する「須賀川特撮アーカイブセンター」がオープンし、この模様は地元新聞Gigazineなどでも大きく紹介されました。 

これは特撮ファンなら見ずばなるまい!

そう思い、よく晴れた週末の朝早く、高速を飛ばして行ってきました。

施設は出来たばかりでまだカーナビ情報には登録されてないので、場所は先のGigazine記事にあった地図を参考にし、東北自動車道郡山南ICを降りて県道55号線を15分ほど走ると、一面の田んぼの中にその施設はありました。

ただ入り口の看板が小さいので見落としには要注意、僕は一度通り過ぎてしまいました。

ストリートビューで見てみると、以前ここは「須賀川市岩瀬支所」という場所で、アーカイブセンターはここの建物を改築したのですね。

(グーグルストリートビューより)

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着いた時は朝10時前で車はまだ少なかったのですが、ここが満車になるのはそう長くかからなかったみたいです。 

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側面に回って入り口へ。

受付では検温・アルコール消毒後名簿に氏名を記入し、入場券を預かって中へ入ります(入場無料が素晴らしい!)。

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館内についてはこれもGigazineで紹介されてましたので、まずはこちらから読んでもらった方が良いかもです。↓ 

 

入ってみると、壁の寄せ書きは記事よりも増えていました。

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 ロビーでは「シン・ウルトラマン」のお出迎え。 

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天井には飛行機のモデルが多数、すべて撮影に使用されたものらしいです。

一式陸攻と言えば「山本五十六」ですが、モデルの出来から見るとどうやら2011年の東映作品のものみたいですね。

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収蔵室入り口には収蔵品のリーフレットが用意されてますが、これがまた…。

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細かい事この上なく、老眼の身にはつらいものでした(苦笑)。

(表面)

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(裏面)

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よく見るとこれ、イラスト・文は樋口真嗣氏本人が書いているのですね。

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収蔵品リストはさらに細かく、これでもかという小さなフォントで思いっきり詰め込まれていたのでここで見るのは諦め、帰宅後にじっくり見る事としました。

 

収蔵庫に入ると壁際には科特隊本部の透視図が。こうなってたのか!

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収蔵庫には円谷特撮ではお馴染みのメカの数々、思わず熱くなります。

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轟天号の3尺モデルも。まだ本物が残っていたのですね。

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円谷英二最後の特撮映画「日本海大海戦」の戦艦三笠の勇姿、でかい。

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船体は木製、職人の手作りの技を見せるため、敢えて外壁を剥がした状態で保存されてます。

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映画公開時、少年サンデー(だったと思う)の巻頭カラー特集に載ったイラストページのパネルもあります。懐かしい!

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東宝特撮プールでの撮影風景、寒天の海や波止場で輸送船を見送る人々は紙の切り抜き人形であるなど、メイキングを見て撮影の裏側を知るのは子供心にも楽しいものでした。

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隣には巨大な戦艦大和が。

資料によるとこれは「男たちの大和」に使用された1/35モデルだそうで、手すりや階段、3連装機銃の台座周辺の作り込みなど実に細かく出来てます。

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昔、東宝映画「連合艦隊」(1981年)の公開時、撮影に使用された10m級モデルが「船の科学館」で野外展示されていたのを見ましたが、その時は正直1/700スケールモデルをそのまま大きくしただけの様な甘いモールドでがっかりした覚えがあります。

本編映像では水面の波のスケールとも相まって10mもの巨大さがまるで感じられなかったのですが、その理由があのモデルを見て分かりました。

その時はそれよりも、船の科学館に飾られていた大和の精密モデルの方に思わず目を奪われてしまったのですが、今目の前にある大和はそれを凌駕する程のクォリティで、モデリングテクニック自体も昭和の時代からは隔世の感があります。

 

その後方にはさらに大きく細密な1/12.5スケールの大和の艦橋がどぉ~んと。

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これは本編実写部分との合成で使用されたものなのでしょうね(多分)。

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モデリング技術の進化ももちろんですが、特撮の歴史の中では何よりもデジタル合成技術の進歩が大きかったとつくづく感じます。

 

そしてお隣には「巨神兵東京に現る」で使用された巨神兵のモデル。

文楽人形の様に3人で操る事は知ってましたが、実物を見るとこれもまた各所に作り手の拘りが感じられますね。

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背面の壁側には、特撮スタッフを紹介するパネルが数多く掛けられています。

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2階への階段の踊り場ガラスにもその姿。

こういう所に特撮を支えるスタッフへの敬意を感じます。

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そして隣には「モスラ」のセットに立つ円谷監督のお姿。

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2階展示室に入ると存在感ある大きな建物のモデルが。

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これはNHK大河ドラマ「いだてん」で使用された「帝国製麻ビルヂング」の1/18スケールのモデルだそうで、その時の撮影風景がパネルで紹介されています。

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細部の作り込みや石造りの壁の表現などよく出来ています。

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アップで見ると本物みたい。見事です。

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このモデルは画面に映る側だけのセットで、後ろ側には昭和35年当時の東海銀行日本橋三越本店のモデルも展示されてますが、雑居ビルの看板にも職人の拘りを感じますね(ダンってこれね)。

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こうした様々なモデルによってあの昭和の風景が出来上がったと思うと、こういう目で改めて録画していた「いだてん」を見直してみようかと思います。

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隣のスペースには街並みのセット、手前にはこれも良くできた一軒家のモデル。

よくよく見るとこれ、どうやら「巨神兵東京に現る」で使用されたものみたいですね(多分)。

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街のジオラマは奥の方が徐々に小さくなって広がりを表していて、手前の所定の位置からスマホを構えるとベストアングルで撮影出来る様になってます。

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多くの人が向こう側に立ち、自ら怪獣となって記念撮影をしていました。

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 2階視聴覚室では「巨神兵東京に現る」とそのメイキング「巨神兵が東京に現れるまで」が1時間おきに上映されていますが、これでもかという職人の拘りが詰まったメイキングはやっぱり面白いですね。

いずれは古の作品の秘蔵メイキングなど発掘し、特集を組んで上映してくれるのを期待します。

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2階からはホールを見下ろせます。

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このアングルから戦闘機のモデルを見て気付きましたが、これ、「俺は、君のためにこそ死ににいく」に登場した隼3型だったのですね。

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この映画でのミニチュアモデル操演による特撮は非常に良い出来で、ミニチュアも原寸スケールのモデルも双方良く出来ていて見応えあるものでした。

(原寸モデルはこれ、↓ 製作はこちら

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夢中になって見ていると時を過ぎるのがあっという間で、2時間弱の見学を終えて外に出てみると、入り口には入場を待つ多くの見学者の姿がありました。

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館内が意外と空いてると思ったのは、コロナ対策で入場制限していたからなのですね。ここを訪れる時は出来るだけ早い時間がお薦めです(開館は9時から、毎週火曜日が定休日)。

 

帰り際に受付にある須賀川市の観光ガイドを貰ってきました。

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ウルトラガイドマップには、市内にあるウルトラ怪獣モニュメントのガイドが載ってます。

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須賀川市には「市民交流センターtette」内に「円谷英二ミュージアム」もあります。

残念ながらミュージアム内は撮影禁止となっていますが、唯一このゴジラだけは撮影OKとなっています。

(写真は昨年訪れた時のもの)

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館内の特撮スタジオには、アーカイブセンターのパネルにあった「日本海大海戦」の撮影風景のジオラマが展示されていて、アーカイブセンターで実物を見た後にそれを見るとまた実感が沸くかと思います(写真撮影出来ないのが本当に残念!)。

 

帰宅後に収蔵品リストをじっくりと見てみると、後方の棚には「宇宙からのメッセージ」に登場したガバナス帝国戦闘機のパーツもあったりと、その時は気付かずに見落としていたモデルやパーツがたくさんあったのを知りました。

ヒーローマスクでも、ウルトラセブンと一緒にシルバー仮面が展示されてたりと、ここには東宝円谷プロだけに限定しない、広く日本の特撮関連資料がアーカイブされています。

今後はぜひとも大映や松竹とか山崎貴監督作品とか、映画会社や製作プロダクションの垣根を超えた資料もどんどん取り揃えてほしいですね。

そして時々は収蔵品の展示スペースを入れ替えて、奥にある貴重な資料ももっと見やすく展示してもらえたらと思います。

 

あとやっぱりこのリストは、いくら何でもちょっと細か過ぎですねw。

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出来れば有料でも、収蔵品の写真付きガイドブックが欲しかった所です。

資金的な問題などはクラウドファンディングででも募集すればすぐに集まると思うし、館内で販売すれば結構売れるのではないかと思うのですが(少なくとも僕は買います)。

 

これからはぜひとも、物だけではなく昔のメイキング映像などのソフト関連資料も取りり揃え、特撮の魅力を発信する一大拠点に育って欲しいと願うものです。

 

 

 

あ~~~! 舞い上がっててクリアファイル買うのコロッと忘れてた!

まあいずれまた行くからいいかぁ~w。

震災遺構中浜小学校へ行く

震災から4年が経過した2015年6月、海辺の道路の復旧具合を確かめる意味も含め、福島県相馬市に向かって県道38号相馬亘理線を走っていた時でした。

 (2015年6月撮影)

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 やがて見晴らしが良くなった平地の中に、その建物はポツンと佇んでいました。

手前には「千年塔」の慰霊碑、ここで多くの方が犠牲になった事を伝えています。

 

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建物の中を覗くとめちゃくちゃになった教室内が当時のままの姿で現れ、窓にはまだカーテンもかかったまま、改めて津波の恐ろしさを感じます。

 

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津波にも耐えて残った木には、黄色いハンカチが掲げられていました。

 

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この建物が「中浜小学校」という名のこの地域唯一の小学校であった事や、この校舎の屋上に生徒達が避難し、全員無事に救助されたという事を知ったのはしばらく後の事です。

そして、あの時ただ放っておかれただけの建物はその後どうなったのか、ずっと気になっていました。

 

あれから更に5年経った今年2020年9月26日、この建物が震災遺構中浜小学校として山元町に新たにオープンしました。

 

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秋晴れの日、5年ぶりにここを訪れてみましたが、小学校に通じる新たな道路が整備され、元の木は枯れてしまったのか、あの黄色いハンカチは「千年塔」の敷地のポールに掲げられていました。

 

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敷地には駐車場も完備され、管理事務所で400円の入場料を払い小学校の中へ。

校庭の一角には日時計のモニュメント。後で知りましたが、これは震災当時救助のヘリが離着陸した場所との事でした。

 

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校舎入り口には、津波で倒された時計塔が当時のままの姿で展示されています。

 

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校舎には津波到達点の表示、当時は2階の天井まで津波が押し寄せていた事が分かります。

 

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見学コースは3階に分かれ、それぞれの階で専門のガイドの方が当時の様子を詳しく解説してくれます。

(パンフレットより)

 

1階では津波の威力をまざまざと思い知る事が出来ます。

特に、寄せ波よりも引き潮の威力が凄まじかったというのが印象的でした。

 

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海に面した教室では、引き潮で室内の物品はすべて持っていかれました。

 

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2階には視聴覚教室があり、映像で震災当時の校長先生の話が流され、あの時どう判断すべきか津波避難の難しさが語られます。

資料室には震災時前後のタイムラインの表示があり、避難活動の詳細が語られます。

 

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説明では、震災2日前の地震で一度避難計画をシミュレーション出来た事が大いに助かったとか、学校が建設される時地域住民の意見で土台が2mかさ上げされていた事、そのおかげで津波後すぐに校庭からは水が引けてヘリの離発着が出来る様になったとか、皆が助かったのは様々な偶然が良い方に重なったおかげである事などが語られます。

 

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室内には震災前の町の姿の模型が展示されてました。

 

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3階の屋上に登ると、そこからはすぐ海の姿が望めます。

 

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現在はこうして海が望めますが、以前は松林が生い茂っていてここからも海の姿は拝めなかったそうです。

そのため町の人達は、自分達がこれほど海に近い所に住んでいたという実感はなかったと言います。

屋上からは唯一残った松林の木が見えますが、これが大量に生い茂っていたと思えば、海が見えなかったというのも頷けます。

 

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生徒・先生と保護者合わせて90人が避難した三角屋根の屋根裏部屋(パンフ写真参照)は写真撮影は出来なかったのですが、中は当時のまま保存されており、たまたま見つかった避難用毛布にくるまり、懐中電灯2本だけで過ごした一夜が解説員によって語られます。

 

以前から気になっていた校舎前の「千年塔」ですが、元々そこの場所には町の墓所があり、それが津波で墓石もお骨もすべて流されてしまったそうで、町では唯一の鉄筋の建物である小学校だけがこうして残ったとの事でした。

 

初めてここを通った時、何もない所と思ったその場所には、震災前には人々が平穏に暮らす町の姿が確かにあったのです。

 

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震災遺構中浜小学校は、震災の記憶を語るために今もその場所にただ一つ佇んでいます。

 

 

※10月1日、2階にあるディスプレイが「2020年度グッドデザイン・ベスト100」を受賞しました。

地震発生のメカニズム・津波タイムスケールの展示物は必見です。