杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「水」を読む(1)~はじめに~

もう何年前になるのか今は定かではありませんが、その日とある本屋でたまたま目にした本がありました。
それは水の結晶写真が載せられているもので、その時ちょっと好奇心にかられパラパラめくってみたのですが、その解説を読むや、「ああ、トンデモ本か」と思ってすぐその本を棚に返してしまいました(「マザーテレサ」と「ヒットラー」には思わず爆笑してしまったものです)。

そしてそんな事も記憶の彼方になってしまった頃、「ニセ科学」という言葉がネット上で目を引くようになり、そこでこの本の事が例として挙げられている事を知りました。
そう、この本は「水からの伝言」という本で、私が見たのは内容からすると多分「2」だったと思われます。

しかし、様々な批判が存在する事を知ってか知らずか、最近になってこの本があちこちのブログで好意的に取り上げられている姿を目にする様になりました。 私はその都度、こんな話がなぜこうも簡単に受け入れられてしまうのかと疑問に思わずにはいられませんでした。
しかし、具体的な詳しい内容については何分未読だったため、敢えてこれに言及する事はこれまで避けてきました。

この度、ようやく某所で「水は答えを知っている」を見つけましたので、早速手に入れて読んでみました。
しかし…



この本が素晴らしい本だと思っている方には申し訳ないのですが、私にはどうしてもそのように読み取る事は出来ませんでした。

また、「水からの伝言(以下「水伝」と略します)」に対する批判は私もよく知っているのですが、実際この本を読んでみると、それまでの批判とはまた違った疑問も抱いてしまいます。
でも疑問と言ってもこれは、自分自身が専門家である訳ではないのでそういう部分からのシビアな問題ではなく、あくまで一般人としての視点からの極めて素朴な疑問です。
ここではそういう疑問点などを色々書いてみたいと思います。

尚、これを書くにあたって、出来るだけこの本の読者の立場に立った目線で進めていこうと思いますので、外部の様々な情報は、ここではあまり取り上げない事とします。


それでは早速この本を読み解いていく事にしましょう。

本を開くと、まず「はじめに」の部分が始まるのですが、そこで早速、
(p.1)
 私が、水を氷結させてその結晶写真を撮るという、まったく新しいアプローチで水とつきあい出してから、すでに八年の月日が流れました。
 それまでも波動測定という方法で水にかんする研究を行ってきましたが、結晶という新しい顔を知ってから、水はさまざまな表情を見せてくれるようになりました。
(強調は引用者)
などと、いきなり「波動測定」という言葉が飛び込んできます。
幸い私はそれがどのようなものであるのかは知っていたのでここで身構える事が出来るのですが、他の読者はこの部分に何の疑問も感じなかったのでしょうか?
しかし何も知らない人がここを読むと、「測定」という単語にごまかされ、彼がさも水の科学的研究をしている科学者と勘違いしてしまいそうではあります。


さてさて、この先どうなる事やら。
言いたい事はたくさんあるのですが、あいにく私はあまりタイピングが得意ではありません。ですから一つの記事をアップするのにもかなりの時間がかかってしまいます。
それ故これから、数回に分けた形でアップしていきたいと思います。
かなり長くなってしまいそうですが、これからしばしお付き合い下さい。
(この項しばらく続きます)
 続き:「水を読む(2)~「プロローグ」~」はこちら