杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「水」を読む(2)~「プロローグ」~

この本の構成ですが、本編はプロローグから始まり、第1章から第5章までなり、最後にエピローグという形になっています。
もちろんすべての項を詳しく説明する事は不可能ですので、ここでは特に私が注目した部分のみを挙げていこうと思います。

それでは早速「プロローグ」から見てみましょう。


「プロローグ」では著者の江本勝氏(以下「彼」と表記)の現代社会に対する考察がまず述べられます。
日常生活の様々なトラブルの話からやがて世界に目を向け、貧困・紛争・人種差別などの混乱状況などを述べ、彼は現代を「カオスの時代」と位置付けます。そしてその世界で人々は救いを求めており、
(p.11)
その一言で世界が救われるような、シンプルで決定的な答えを、探しつづけているのです。

と説きます。
そして彼はそのたった一つの答えが、「人間の70%は水である」という事から、
(p.13)
 物質的にみると、人間とは水です。

という定義を提示します。
そして、続けて
(p.13)
健康で幸せな人生を送るには、どうしたらよいのでしょうか。一言でいえば、体の七〇%を占めている水をきれいにすればよいのです。

ときて、その後、体内の水(=血液)の滞りが健康を害するとし、
(p.14)
感情がいきいきと流れているとき、どんな人も幸福感に満ちあふれ、体も健康になります。よどまず、とどこおらず、流れていること。それが、人間にとっていちばん大切なことなのです。

と説きます。

世界の混沌がいつの間にか個人の健康の話に摩り替わっています。

初めに世界中で人類が抱える様々な問題に目を向けさせ、結局一番の解決策は〔個人の幸せ=健康=水〕という、極めて単純な論理を彼はここで提示しています。
しかしながら、この単純さというものは見た目にも非常に分かりやすく、且つ世界が抱える問題の根本原因はこれであると、思わず簡単に納得してしまう(させられてしまう)ものでもあります。

しかしよくよく考えてみれば、「経済摩擦、国内紛争、人種差別(p.10)」などが、個人の健康の問題ではない事は明らかな事です。
そのような、とても一言では語りつくせないような大きな問題を意識させ、それが人類共通の事として人体の水分含有量というものを挙げ、尚且つそれをただの「水」と呼ぶ、見事な視点の単純化のプロセスです。
読者は思わず、自分自身の問題として「水」というものに注目していく事となります。

しかし私には、この図式は、人々に無用な不安感を覚えさせ、お手軽なグッズでそれが解消されるとする「ある商売」によく見られる典型的な手法に見えてしまい、逆に現実から目をそらせてしまうように感じてしまいます。

この後彼は、水は「エネルギーの伝播役、運び屋(p.15)」という表現をし、その考え方の応用としてホメオパシーというものを紹介します。
ホメオパシーの歴史、物質がまったく残らないほど希釈した水が薬になる事などを紹介し、こう結びます。
(p.16)
ホメオパシー療法では、希釈すればするほど効果は高まるとされています。~(略)~
つまり、もはや物質の効果で症状を消しているのではなく、水に転写された情報が、毒の症状という情報を相殺しているのだと考えられるのです。

そしてこの事例をもって、「水は情報を転写し、記憶する」と彼は結論付けます。
その後、水に情報を転写する機械原文ママ)(p.17)によって情報を転写した水で独自の療法を行い効果があった事、また1987年にジャック・ベンベニストが行ったホメオパシーの効果の実証実験の例などが紹介されていきます。
つまり、
(p.17)
水は情報を記憶し、それを運ぶものだというのは、私の固い信念でした。

とまで言わしめた彼の信念の根拠は「ホメオパシー」にあった訳です。

ここまでは読者の人はまだ半信半疑でいる事でしょう。「ホメオパシー」なる単語をここで初めて知った人もいるかと思います。
しかしその後、きれいな結晶写真を見る事になった時、果たしてどういう気持ちを持つのでしょうか?
彼の言葉を信じてしまった読者は、心の片隅に「ホメオパシー」という言葉をしっかり刻みつける事になるのではないか? そんな不安が私の胸をよぎります。


この後実験の方法がこう説明されます。
(p.21)
水を一種類ずつ五十個のシャーレに落とします(中略)。これをマイナス二〇℃以下の冷凍庫で三時間ほど凍らせます。そうすると、表面張力によって丸く盛り上がった氷の粒がシャーレの上にできあがります。直径が1ミリほどの小さな粒です。

そしてここに結晶が現れる訳ですが、彼は、まず水道水を見てみたらそれは全滅であったが、
(p.21~22)
これに対して自然水は、どこの土地のものであっても、とても美しい結晶を見せてくれました。~(略)~(生活廃水が流れ込む下流では、きれいな結晶は見られませんでした)

と述べています。
よく「水伝」の内容の紹介などでは、「ありがとう」という言葉を見せるときれいな結晶が出来る、などと書かれているのを見ますが、実際は普通の水からもきれいな結晶は出来る訳です。
つまり、彼の言葉を元に解釈しますと、ここで押さえておくべきポイントは、

 きれいな水では、「ありがとう」の言葉を見せなくても、きれいな結晶が出来る。

という事です。
そして「結晶を撮っていた研究員」の提案で、音楽を聴かせてみようという事になるのですが、
(p.22)
使う水も、いつも同じでなくてはなりません。私たちは、薬局で売っている精製水をこの実験に使用してみることにしました。

とあります。
「精製水」とは、科学の実験で使用するため蒸留処理などが施され、不純物が取り除かれた水です。これはこの後の「ありがとう」の言葉を見せる実験でも使用されます。
となると、
・「ありがとう」という言葉を見せなくても綺麗な結晶は出来る。
・精製水に不純物は含まれていない。
という事実から、私には、

はたして、【「ありがとう」という言葉を見せたから、きれいな結晶が出来たのだろうか?】

という疑問が湧いてくるのです。