杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「評定サイト」に望む事

明治大学科学コミュニケーション研究所という所が、「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」というユニークなサイトを立ち上げました。
(こちら→)http://www.sciencecomlabo.jp/index.html
その〔活動概要〕を見てみますと、このサイトの目的は
疑似科学と疑われるものについて、これまで判明している知見から、その効果の主張に伴う科学性の程度をおしはかる試みを行っています。
とあり、要するに「これは疑似科学では?」と思われるものの疑似科学度」を評定してみようという取り組みであると思われます。
また別な見方をするならば、「なぜこれが疑似科学と呼ばれるのか」という理由を、所定の基準に照らし合わせながら明らかにしていく試みとも言えます。

大学という学術機関がこの様な取り組みを行う事については、個人的には大きく評価をする所ではありますが、実際にその中身を見てみますと項目によってはかなり荒削りの所もあり、また評定基準がいまいちはっきりしていない様にも見え、この部分について様々な人達が疑問を発しています(→参照)。
私自身も内容については数々の疑問や不満を抱きましたので、今回はそれらについて指摘していきたいと思います。

ざっとサイトを見た限り、まずこのサイトが一体誰に向けて発信されたものなのか、いま一つはっきりしません。
その疑問についてはこちらの方も詳しく述べておりますが、仮に社会一般に向けて注意喚起の目的で立ち上げたならば、サイトの作り方自体にもっと「見せる工夫」が必要ですし、取り上げた項目についても、「これが疑似科学?」と疑問を持つものも少なくありません。

例えば「サプリメント」という項目ですが、ここでは挙げられている栄養素自体の評価ではなく、市販されているサプリメント謳い文句が本当なのかどうかという観点から擬似科学評定が進められています。
評価対象は、「コラーゲンで肌プルプル」「ブルーベリーは目に良い」「βカロテンはコレステロールを低下 」「膝の痛みにグルコサミン」などという、世間一般で言われているサプリメントの宣伝文句であり、その説明に怪しい所はないかという視点で評価が行われている訳です。
これらは誇大広告とか過剰宣伝という、言わば「販売手法」に対する疑問であり、「ブルーベリーエキス」の総評などでは疑似科学的言説」という表現を用い、結果『疑似科学』との評定を下しています。
しかし私個人の疑似科学の認識ですと、例えば、
「ブルーベリーの成分であるアントシアニンが体内で元素転換反応を起こし、そこで生じた○○という化学物質が目の網膜細胞を蘇生させる事により、視力が著しく回復~」
などと、独自の架空理論を持ち出して効果のメカニズムを説明したりするならば、これは明らかに疑似科学であると言えるのですが、正当な化学実験での効果を体験談などを交えて針小棒大に語る宣伝手法が「疑似科学」であるかと言えば、それには大きな疑問を感じます。
この様な宣伝手法は別にサプリメントに限ったものではなく、他の健康食品や健康器具等、健康関連商品全般に言える事で、その中でなぜサプリメントだけを代表して取り上げているのか、まずはその説明が必要であると感じます。

このサイトで決定的に欠けているものは、ここで取り上げた「サプリメント」「民間代替医療」「生活環境改善 」「自己啓発」「不思議現象」というタイトル項目それぞれの、社会的背景やその位置付けに関する解説であり、各題材を取り上げる事としたいきさつなどもそこで説明されるべきと感じます。
これはタイトル項目毎にそれぞれの解説へのリンクを張る事で解決しますので、ぜひ考慮していただきたいと願うものです。

また〔生活環境改善〕項目中の「有機農業」についても、

    有機農業に期待が寄せられる「安全で良質だ」という論理には疑問がある。
    有機農業が疑似科学のトピックとしてあげられる事態にあること


との解説がなされています。
当初「有機農業」の農法についての疑義かと思っていましたが、〔総評〕を読みますと、ここでの「有機農業」とは有機農法という具体的な作業方法ではなく、その概念そのものに対する疑義である様にも見え、しかし途中の観点基準では「農法」そのものについての考察もあり、これが「農法」についてなのか「概念」に対しての評価なのか(「実践」か「理論」か)どうもはっきりしません。
それにこれは「農業」という基幹産業に直接関わる大きな問題でもある訳ですから、尚の事その社会的背景抜きには語れない事例であり、より詳細な考察が必要ではないかと思います。

水ビジネス」の項目では解説に、
ここではまず水からの伝言の事例を挙げて「水」における疑似科学的言説を評定していく。
とありますので、それならば初めから「水からの伝言」という項目にすべきではないでしょうか。

また、小項目の選定では物質的な事例が多く取り上げられていますが、まことしやかに流布されている「説」というものもっと取り上げてほしいと思います(例えば健康分野における「牛乳有害説」「白食品有毒説」など)。

評定の考え方では、

  ・ 実証的効果を示すデータの観点から、透明性、再現性、客観性
  ・ 効果の作用機序を説明する理論の観点から、論理性、体系性、普遍性
  ・ データと理論の双方の観点から、予測性
  ・ 社会的観点から、公共性、応用性


という9つの条件を設定していますが、その中の「公共性」という単語は誤解されやすいと感じます。
社会的観点からの「公共性」と聞けばつい、それがどれほど社会全般に知られて(受け入れられて)いるかという尺度を思い浮かべてしまいます。
しかしここではこの語句については、
 「こうした効果を評価するための、社会的にオープンな仕組みが設けられているか。
という分かりづらい説明がなされており、要は専門の公的研究機関や学術団体の有無の程度を表している訳で、それならば「公共性」という誤解されやすい単語よりも、ここは「研究性」とか「専門性」とか、もっと別の表現にした方が良いのではとも思います。

そして評定の仕方でも、ここでは
「科学」「発展途上の科学」「未科学」「疑似科学
と4パターンだけの評価しかなされない訳ですが、果たしてそれで良いのかという疑問が残ります。
科学というのは単純な
  科学(白)⇔疑似科学(黒)
という2者択一ではなく、限りなく白に近い部分から限りなく黒に近い部分の間に長いグレーゾーンがあり、それぞれの科学理論がその中を行ったり来たりしていてその境界は極めて曖昧であると言われています。
ためにこのサイトでは、評定そのものを(高)(中)(低)というアバウトな区分けとし、「発展途上の科学」も「未科学」も、その位置付けは敢えて漠然とした形にしているのではないかと思われます。
4者の位置付けは図示すればこの様な関係を想定してるものと思えますが、
   
「発展途上の科学」と「未科学」の位置はここに決まっているという訳ではなく、両者ともその前後にかなりの範囲があり、常に左右に揺れているという具合に考えるのが正解でしょう。
しかしこの様な事を、あの文章だらけの画面で果たして正確に言い表せているでしょうか。
このサイトが一般の人に向けて公開されたのであるならば、その中身を分かりやすく示すのも重要であると感じます。
そのためには、ただ「未科学」とか「疑似科学」などと言葉だけで示すのではなく、例えば上の図の大体の位置にその項目を置いたり、或いは3次元的なグラフにしたり、また9項目の判断材料によるレーダーチャートを示し、円の大きさとそのいびつさで疑似科学度を判断させるという表現方法もあるでしょう(この場合判断基準は5段階評価とするのがベスト)。
より多くの人に見てほしければ見てすぐ理解出来る様な工夫も必要であり、図版なども交えてもっと視覚的に訴えかけるサイトデザインにする事も必要だと思います。

また、項目毎に参考文献が紹介されていますが、この文献のどの部分が本文で使われているのか、何の説明もありません。
これは説明文の中に脚注№を振って、参考文献の参照ページをきちんと示すべきです。

このサイトはまだプロトタイプという位置付けでまだまだ改良の余地がありますが、各項目ではコメント欄も開放されており、今後様々な意見によってより有意義なサイトに育っていく可能性があると私は思います。
私自身は工学系の人間で、「科学」については専門家の方達とはまた違った理解をしています。
「科学」とは、より豊かな生活を営むための便利な道具であり、それと同時に、ものの信頼性を評価するための「ものさし」であると自分は思っています。
「~が科学的に証明された。」
そう言われて人はその信頼を確かなものにする訳で、逆に現代人は、この言葉には極めて弱いとも言えます。
しかし疑似科学は、「ものさし」ではありません。
疑似科学が蔓延るという事は「まがい物のものさし」が使われるという事で、それにより本来の「ものさし」の精度は失われ、人々は誤った信頼を抱く事になる訳です。
「まがい物のものさし」による誤差がたとえ小さなものであろうとも、複雑に絡まるシステムの中で、やがてそれは大きなひずみとなって姿を現す事になります。
時にそれが取り返しの付かない事態を引き起こす事は、数々の現実の事例が物語っています。

今後この疑似科学評定サイトがより充実し、正確な「ものさし」を手にするための手助けとなるべく育っていく事を期待したいと思います。