杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「水」を読む(5)~共鳴~

彼の提唱する「波動理論」を見てみますと、それは音の波、「周波数」という、あくまで物理の概念が彼の頭の中にある事が分かります。
そして人間の感情というものも、この物理の概念と同一のレベルで語られます。

「音」、「周波数」と来れば、次に登場するのは「共鳴」です。
この後の展開は、昔、学校の理科の時間で習った、まさに「教科書通り」となる訳です。

しかし…。


「共鳴」という現象を、彼はまず音叉の実験で説明します。これは誰しもが小中学校の理科の時間で教えられた事であり、最も分かりやすい例でもあります。
しかし彼はそれを、
(p.79)
同じ周波数をもつものは一方が音を出すと、共鳴して音を出します。類は友を呼ぶということわざがありますが、同じ波動をもつものは引かれあい、反応するのです。

と、純粋な物理現象を人間の営みに無理やり適用してしまいます。しかもその根拠が「ことわざ」です。
事例は続きます。
(p.79)
街を歩いている犬は他の動物を見ても反応しませんが、道の反対側からもう一匹の犬が歩いてくると、敏感に反応します。救急車のサイレンの音やお豆腐屋さんのラッパの音に反応して遠吠えをする犬がいますが、これも共鳴の一種でしょう



……え~っと。



思わず「大丈夫ですか?」と心配してしまう程の事を堂々と述べています。どうやら彼は、犬の習性にはあまり詳しくはないようです。

また、共鳴現象は同じ周波数でなくても、その倍数や二分の一・四分の一にも反応するとしてこういう事例を紹介します。
(p.81)
考えてみれば、人間はキリストやお釈迦様といった、聖人といわれた高い波動をもった人にも引かれますが、その一方で、社会のルールとは関係なく奔放に生きている人や、極道の生き方、石川五右衛門のような大泥棒にも、何らかの魅力を感じるものです。


……。


これはまったくの彼の主観でしかないですね。私とは大分違う感覚をお持ちのようです。
あ、でも「忍びの者」は中々の傑作だとは思いますが。

そして、「恋」というのも一種の共鳴現象であるとし、十の才能がありながら五の能力しか発揮できなかった人も、十・十二の人に恋すればそれほどの能力が発揮できるとし、こう続けます。
(p.82)
年をとってもよい仕事をしつづけている人というのは、いつでも恋をしている人なのではないでしょうか。




……。


……。



私は今まで、出来るだけ真面目にこの本を読み解こうとしていたのですが、ここに来て突如激しい疲労感に襲われることになるのです。




この項はカットだったかな~(^^;)。(←禁断の顔文字!)