杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「水」を読む(4)~波動~

結晶写真をよくよく検討してみた所、それはとても「根拠」と言えるものではなく、彼の説明からは【「ありがとう」という言葉を見せたから、綺麗な結晶が出来たのだろうか?】という私の疑問が解消される事はありませんでした。
それどころかむしろ、それは思わずあらぬ疑念さえ抱いてしまうようなものでもありました。
彼はプロローグで、
(p.21)
これらの結晶の形を統計にとり、グラフにしてみると、明らかに似た結晶があらわれる水と、まったく結晶ができない水、あるいは、くずれた結晶しかできない水など、それぞれの水がもつ性質がわかるのです。

と述べていますが、その統計さえも無意味にしてしまうような、極めて粗い実験である事が伺えます。
しかし彼は、私のこの疑問に対する答えを示すことなく、それが疑いようのない事実という前提でその後の話を進めていきます。
いや、そもそも彼は、初めから疑いようのない事という【思い込み】を抱いていたのではないのでしょうか? 彼の説明を聞けば聞くほど、私にはそう思えてくるのです。


たくさんの結晶写真が紹介され、この写真に感動したという人達の手紙が紹介された後、p.67からいよいよ彼の「波動理論」が始まります。
(p.67)
すべての存在はバイブレーションです。森羅万象は振動しており、それぞれが固有の周波数を発し、独特の波動をもっています。

という書き出しの後、彼はこう述べます。
(p.67)
私の話は、すべてこのことを前提にしています。


すべてのもの(物質)が振動しているという事を、彼は量子力学を例にとって説明します。この部分については、素人の私や他の読者にとってもおそらくよく分からない事であり、ただ彼の説明を黙って聞くほかありません。
ただ、この説明部分により、彼がかなりの物理の知識を持っているものと読者は思わせられてしまう事でしょう。
しかしその後、こういう話が事例として登場します。

楽しい会話をしていた時にやつれた顔の友人が現れ、その場の雰囲気が一変するという事を例に挙げ、
(p.70)
~問題は、その友人がドアを開けただけで、一瞬のうちに部屋の空気が変わってしまったということなのです。

と、誰もが経験するような身近な例を紹介し、それを
(p.70)
人間も振動しています。人それぞれが固有の振動数をもっているのです。そういう振動を感じとるセンサーを、誰しもがもちあわせているのです。

として、「悲しみの周波数」やら「愛の波動」「邪悪な波動」などが発信されると説明します。
しかし、彼が前の部分で紹介した量子力学の解説では、あくまで「物質面」での説明しかなされていません。それがこのような身近な事例を紹介する事により、あたかも「感情」の面でも物理的な振動というものが存在するかのような印象を読者に与えています。
しかしながら、この事はあくまで彼だけがそう言っている事であり、その根拠らしきものと言えば、「身の周りでこんな事があるでしょ?」というような事例をただ挙げていくだけなのです。

ここでもう一度彼の言葉を思い返してみましょう。

私の話は、すべてこのことを前提にしています。

これは彼の【思い込み】そのものを表している言葉ではないのでしょうか?
人は一度「思い込み」をしてしまうと、すぐ目の前に見えているものさえ見えなくなってしまいます。時にそれは現実社会で大事故を引き起こす事さえあります。
そして一番怖いのは、その「思い込み」によって、関係のないものまですべてそれに関連付けてしまうという思考になってしまう事です。
彼の挙げる事例を見る度に、私はその思いをますます強くするのです。

彼は続けます。
(p.72)
さて、万物が振動しているということは、どんなものでも音を出しているといいかえてもよいでしょう。

との説明から、水の結晶が変化する考察が述べられます。
(p.73)
水は物がもっている固有の周波数を敏感に感じとり、そのまま転写するのです。~(中略)~
書かれた文字自体にその形が発する固有の振動があり、水は文字のもっている固有の振動を感じとることができると考えられます。

そしてその「証拠」があの「結晶写真」である訳ですが、あの写真が「証拠」たり得ない事はもうすでに述べました。そこに出てくるのは、ただ彼の「印象」ばかりであり(しかも誤った解釈も)、当然彼の波動理論の証明になるものと考える事は出来ません。

結晶の形については、
(p.76)
結晶を撮ったとき均整のとれた六角形があらわれるのは、その水が大自然生命現象に合致しているときだと思われます。

と述べていますが、ここで「生命現象」という単語を使用する事で、結晶の形が人間の感情というものに結びついているかのような連想を読者に抱かせるようにしています。
この後、水の分子→結晶格子→六角形構造→結晶という、いかにも科学的な解説が入り、
(p.76)
「ありがとう」「愛」「感謝」という言葉は、大自然の掟、生命現象の根本原理なのです。だから、水は自然そのままの六角形の形をきれいにつくってくれます。

という具合に、見事に「物質の」自然現象と人の思考とが融合されます。
この所々に散りばめれるもっともらしい科学解説が彼の説に信憑性を与え、読者はだんだん彼の話に引き込まれていく事になります。
そして読者の頭の中には、ただ六角形のきれいな結晶だけがくっきりと思い描かれている事となってしまいます。

ここで、もう一回ページを戻って見てみましょう。そこにはこうも書かれていました。
(p.21)
もちろん、五十個全部に同じような結晶があらわれるわけではありませんまったく結晶をつくらないものもあります

こんな言葉は、もう読者の頭には残っていないでしょう。
でもネガティブな方の写真に疑いを抱いた私は、ついこう考えてしまうのです。

紹介された結晶は確かにきれいだが、残り49個の形は一体どうなっているのだろう?
そこにヘビメタのような写真があった時、彼は一体どういう解説をするのだろう?

と。