杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「水」を読む(6)~愛と感謝~

彼の「共鳴理論」で私は激しい虚脱感に襲われたのですが、はたして他の読者はここでどんな感想を持った事でしょうか?
確かにある意味感動的でさえあるのですが、残念ながら私は彼の理論に深く共鳴する事は出来ませんでした。
しかし、この本を支持する人達の多くは、彼のこの共鳴理論さえも支持しているように私には見えます。
その支持の源となるキーワードが「愛と感謝」です。

彼はこの章の最後で、
(p.83~84)
地球をこれほどまでに汚してしまったのは、私たち人間が産業革命以来、一貫して生活の便利さと、自分たちのぜいたくさを追及してきたからです。

と述べ、意識の転換を訴え、自然との共生を薦めます。
いやこれは正しい。まったくその通りです。読者が大きく頷く姿が目に浮かぶようです。
そして、
(p.84)
あなたはどんな生き方を選びますか?
心を愛と感謝で満たせば、愛すべきこと、感謝しなくてはならないようなすばらしいことが次々と訪れ、健康で幸せな生活を送る事ができるでしょう。

と結び、「愛と感謝」の重要性を説く訳ですが、いつの間にかまた個人の健康に収束してしまっています。

確かに「愛と感謝」は重要なものだと私も思います。人を愛し、花々を愛(め)で、大自然に思いを巡らせた時、我々人間というものは実は「生かされている」のだという思いを強くします。
しかしどうも、彼はそうは思っていないようです。
(p.83)
自然にあるすべてのものと共鳴できるのは人間だけです。

これはあまりにも人間優位の視点ではないでしょうか?

(p.85から〔第2章 水は異次元への入り口〕が始まるのですが、ここでは水の物理的な性質やら、水は宇宙からやってきたという「お話」やら、ごはんへの声かけ実験の例などが紹介されていきますが、疲れるだけなのでこの項はカットします。)

p.103から〔第3章 意識がすべてをつくっている〕が始まります。
ここで彼はまた、人間の優位性を論じ始めます。
(p.105)
 まず、人間そのもののすばらしさに目を向けなければ、何も始まらないということ。自分たちを悪者にするのは、そろそろやめにしたほうがよいのではないでしょうか

と人間賛歌を唱え始め、
(p.106)
人間が宇宙のミニチュアだとするならば、宇宙にあるすべての元素をもちあわせていると考えるのが自然です。

として、人間には百八の元素があり、それが仏教の百八の煩悩と対応し(波動測定器で証明済みだそうです)、その恨みやらねたみなどの負の感情を打ち消すのがそれと反対の感情、すなわち「感謝」などのポジティブな感情であるとします。
そしておもむろに、
(p.113)
ホメオパシー療法の原理も、同様です。

となってその説明が始まり、その後ホリスティック医学の事なども紹介し、こう結びます。
(p.116)
人間の肉体とは水です。意識は魂のことです。水をきれいに流れるようにしてあげることが、何にもまさる健康法なのです。~(略)~あなたの体すべてを、美しい水の結晶でうずめてみませんか。すべては、あなたの気持ちにかかっています。

プロローグで紹介した〔幸福=健康=水〕という図式がまた登場しました。しかもホメオパシーの詳しい解説付きで。
そして読者は、彼のこの言葉によって、体の中に結晶が出来上がる図をイメージさせられてしまう訳です。勘違いしている人が多い訳がようやく分かりました。
しかしここで私はまた、ついこんな疑問を感じてしまうのです。



「これって、宣伝本?」