杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

EMへの疑問(3)~EMは「ニセ科学」か?~

EMについてあれこれ調べていますと、必ずと言っていいほど「波動」やら何やらが登場してまいります。そのためよく「EMはニセ科学」とも言われています。
ここでは本来「環境浄化活動」に焦点を絞るつもりでいましたが、やはりこの問題も避けては通れないと思い、ここで私自身の感ずる所を書いておこうと思います。

ニセ科学」とは、【見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの】というものを指して使われている単語で、「波動」などがその代表格に上げられます。
そしてその関わりからEMも「ニセ科学」の仲間と見られている訳ですが、実は私自身としては、『商品』としてのEM自体は「ニセ科学」ではないと思っています。
EMは『数ある微生物資材の中の一つ』にしか過ぎない、というのが私の認識です。つまり普通の微生物資材であるという事です。
普通の微生物資材であるからには、それなりにうまく使えば効果は十分期待出来るものです。事実、単なる宣伝文句に躍らされずに独自の試行錯誤を繰り返し、うまくEMを使いこなしている人もおり、また、EMに限らず他の微生物資材を利用している人も多々おります。

しかしEMの問題は、この普通の微生物資材を特別なものとして扱うその姿勢(「思想」と言ってもいいかもしれません)にあります。
これは比嘉さんが、たまたま微生物同士を混ぜてみたらそれがうまく共生しているという現象を見てそこに神秘性を感じ、出来上がったEMに並々ならぬ愛情を注いでいるからと考えられます。
そしてこの愛情はまた、当時学者達から見向きもされなかったり、その効果を否定されたりした反発から来ているものかもしれません。
しかし、このEMというものは嫌気性・好気性両方の微生物がうまく共存しているというのが売り文句である訳ですが、そのような微生物資材は他にもたくさんあります(→参照)。
つまり、他の国はどうか分かりませんが、少なくとも我が国では、EMは普通の微生物資材の中の一つに過ぎないのです。
その普通のものを特別なものにしてしまっているのが比嘉さんの理論です。

カニズム解説でも分かるように、EMは「役に立つもの、立たないもの」、「酸化、抗酸化」、「崩壊、蘇生」そして「善と悪」というように、その所作を単純な二元論で語ります。この二元論というものは実に分かりやすいものです。
そのためこれを聞いた者は、本来ならばより深く考えなければならない事についても、その考えはどんどん単純化されていきます。つまり「思考の単純化です。
これによりやがて、うまくいったのはすべてEMのおかげと考えるようになってしまいます(心理学で言う所の「確証バイアス」ですね)。

そして、この先に待ち構えているのが「盲信」です。

そしてこの「盲信」をさらに補強するものとして、比嘉さんの「波動理論」が追い討ちをかける訳です(これとかこれ)。
ニセ科学」とは【見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの】と紹介しましたが、こちらの解説に沿って言うならば、EMの理論は「科学を装っているもの」と言えると思います(ちなみに比嘉さんの言う重力波とはこれの事です)。

EMはその「理論」が「ニセ科学」なのです。

そして、元々「ニセ科学」ではなかったEMを「ニセ科学」にしてしまったのは、物事を単純な二元論で語る比嘉さん自身であり、そしてその影響はこのような形で現れたりしているのです。

ただここで、EM問題を取り上げる上でかねてから気になっていた事があります。
それは、EMを批判している人達もこの単純な二元論に陥っていやしないかという懸念です。
時々、
「EMは効果がないのに効果があると言っている。だからニセ科学だ。」
というような批判も見受けられます。
しかしそれは間違いです。
色々挙げられているEM効果の中には、確かに実際効果があるものもあるのです。
それをすべて一緒くたにしてただ効果の「ある」「なし」の問題として論じているのは、批判者自身「思考の単純化」に陥っていると言われても仕方がありません。
勿論効果の確認作業は重要な事ではありますが、EMを「ニセ科学」の問題として語る場合、事の本質はそこではないのです。
問題とすべきものは、人々を盲信に走らせてしまうその「背景」なのです。

これは別にEMに限った事ではありません。諸々の「ニセ科学」の問題を考えるにおいて、最も注意すべき点がこの「二元論」であると私は考えます。
ただ単純な「ある」「ない」、「善い」「悪い」、だけで論じてしまう事は、結局批判する側もニセ科学信奉者と同様の考えに陥ってしまう危険があると思うのです。
そうならないために、物事の一面ばかり捉えるのではなく様々な側面に目を向けるという事が、批判する側は尚更必要であるとつくづく感じるのです。

最近の比嘉さんの発言を見ていますと、その内容はますますエスカレートしているように見えます。
まるで比嘉さんが、EMが「ニセ科学」と言われた事に対し、それをただ効果の「ある」「なし」だけの問題と捉え、そして効果を否定した者を「敵」とみなし、彼らを打ちのめすがためにただひたすらEMの成功事例を宣伝し続けているかのような印象を受けます。

私には、比嘉さんはもう完全に「敵」「味方」の単純な二元論の虜になっているようにしか見えないのです。