杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「どちらでもよい」という答えもある

少し前、ネット内で算数の掛け算の順序をどう考えるかという事が話題になりました(今も継続してる?)。実はこの問題は随分前から言われていたみたいでして、要は小学校での教え方というものがこの議論でのポイントであると思われます。
今回はそれとはちょっとレイヤーが違うのですが、これに関してネット内を探していて興味深い記事を見つけました。
それは「発言小町」の中の〔算数の掛け算〕というトピ(→こちら)でして、ここの質問に対する回答の中で、〔頭を垂れる稲穂〕さんの【小5の先生の教え方が間違っております・・】という回答(2004年6月29日10:27)が中々説得力があるなと感じた次第なのです。
〔問い〕
取引先の会社から請求書が送られてきました。
1部50円のパンフレット750部のものです。
計算式が750×50=37500円
となっていたのでおかしくなり、思わず上司(50代女)に
「こいつ馬鹿ですね。計算式間違ってます」
と見せたら、ヒステリックに
「そんなのどっちだっていいでしょう!。出る答えはおんなじなんだから。!」

そういう問題ではないような。小学生の頃先生に計算式は間違わないようにと繰り返し教えられました。
50円×750部だから37500円になるので
750×50では37500という数字は出ますが、金額ではありません。小学校5年の時に繰り返し教えられました。

「仕事に算数の勉強関係ないじゃない。自慢のつもり?」
悪意で指摘したのではなく、普通におかしいと思ったから説明したんだけど。人にも聞こえないようにいいました。
いってはいけなかったんでしょうか。
  (〔頭を垂れる稲穂〕さんの解答)
  >750×50では37500という数字は出ますが、金額ではありません。小学校5年の時に繰り返し教えられました。

  750×50=37500
  50×750=37500

  どっちでも間違っておりません。どちらも正しいのです。

  750円のものを50個ならば
  750円/個×50個=37500円
 
  50個買って単価が750円ならば
  50個×750円/個=37500円です。

  例えば文章で
  私は彼を苛めました。
  彼は私に苛められました。
  と同じことです。私を先にするか彼を先にするかの違いです。

  結論は;
  小学5のとき教えられたことを馬鹿の一つ覚えで思い込んでいるあなたが間違っております。
  答えが同じですから、両方の数式は間違っておりません。
  要するに数式は両方正しいのです。(以下略)

つまりこのかけ算の考え方は、要は算数ではなくて国語の問題であったと。
そしてここでの問題の本質は、
小学5のとき教えられたことを馬鹿の一つ覚えで思い込んでいるあなたが間違っております。
という事なのかななんて思っちゃったりする訳ですね。

このように、小学校の頃に誤って覚えた事をそのままず~っと思い込んでるって事結構ありますよね。
例えば漢字の「書き順」というもの、これなどもよく話題になりますね。
よく言われるのが「上」の書き順。これなど今でもちょくちょく相談室などで質問が寄せられています。
小学生の頃、私は習字を習っていまして、そこでは「よこ」→「たて」→「よこ」の順で書く様教えられまして今でも私はこの書き順で書いているのですが、現在の学校教育では「たて」→「よこ」→「よこ」で教えられています。
そこでよく、どちらの書き順が正しいのかなどという質問が寄せられたりする訳ですが、実はこれ、どちらでもいいんですね。
この「どちらでもよい(両方正解)」という答えに納得しない人がいる事であれこれ問題が起きる訳ですが、実は「書き順」に「正しい」かどうかを求めるのは間違いであるという意見もあるのです。
それはこちらで詳しく解説されておりますが、要は、「書き順」とは見た目に整っている形を能率よく書く事が出来る書き方を指導する際の【基準】なのだ、という事なのですね。
この辺の所は昭和33年に文部省から刊行された『筆順指導の手びき』(参考pdf)を見てみれば分かりますが、この中でも「上」については両者の書き順が紹介されています。↓


そしてこの『筆順指導の手びき』の「1.本書のねらい」の項ではこうも書かれています。
もちろん、本書に示される筆順は、学習指導上に混乱を来たさないようにとの配慮から定められたものであって、そのことは、ここに取りあげられなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない
つまり、学校の授業では一応こう教えるけれど、違う書き順であっても構わないと言っている訳です。
ですから、そもそも書き順テストなどというものは、本来テストとしては馴染まないのではないかとも思えます。

また「書き順」と同様問題になるのが、文字のデザイン書体による違いというものです。
一番分かりやすい例として「冷」という字を挙げてみます。
教科書では「教科書体」という書体が使われますが、これは漢字そのものが元々手書きであったため、教える時はなるべく手書きに近いものをという事で採用されたものですが、そこではこのように書かれます。
   
習字などで使われる行書体ではこうです。
   
でも、普段見慣れている明朝体とかゴシック体ではこう書きます。
     
「鈴」の字も同様、教科書体・行書体ではこう。
     
明朝体・ゴシック体ではこうです。
     
見てお分かりの様に、漢字の右側部分の形は明らかに異なっておりまるで別物になっています。
学校では漢字は教科書体の形で教えますが、ところが実社会で使用されている字体はほとんどが明朝・ゴシック体ばかりなのですね。特に役所関係などでは戸籍謄本などの書類はすべて電算化され、そこでは明朝体が使われていて「鈴木」さんなどは皆こちらの書体に変わっています。
ではもし、漢字テストの「ツメたい」に明朝体の様な字を書けば、それは果たして正解なのか、それとも間違いとなるのでしょうか?
答えは○なんですね。
実はこの事は文部科学省から出されている「常用漢字表」のページの「(付)字体についての解説」の項にしっかり記載されています。
ここの「第1 明朝体のデザインについて」の(前書き)(→こちら)ではこう述べられています。
それらの相違はいずれも書体設計上の表現の差,すなわちデザインの違いに属する事柄であって,字体の違いではないと考えられるものである。つまり,それらの相違は,字体の上からは全く問題にする必要のないものである
また「第2 明朝体と筆写の楷書との関係について」の(前書き)(→こちら)ではこうも述べられています。
このことは,これによって筆写の楷書における書き方の習慣を改めようとするものではない
この「冷」や「鈴」に限らず、例えば「女」の片側ははみ出すのか出さないのかなどという問題も、実は両方とも正解とされているのです(→こちら)。
常用漢字表」より。 ↓
   
ここに挙げた書き方はどれもが「正解」、つまり「どれでもよい」のです。もっとも字体に拘る人にとっては中々受け入れがたい事かもしれませんが。
戸籍に印字された字を見て、全国の「鈴木さん」達は果たしてどう思っているのでしょうね。

一例として漢字を紹介しましたが、このように、教科書の中で教える事だけが正解で他はすべて間違いという訳では決してなく、世の中で広まっている使われ方だとか世間の常識などに照らして間違っていない事であるならば、たとえそれが教科書通りでないとしても、実はそれを正解としても構わないのですね。
教育には幅があるのです。
教科書というのはあくまで「一つの土台」であって、それがすべてであるという訳では決してありません。そして世の中の問題は、これは○、これは×などと単純に分けられるものではなく、そこには「どちらでもない」とか「どちらでもよい」という答えもあるのです。

3×5=15は正解で5×3=15の式は間違いであるとして議論になった掛け算の順序問題(→これ)でも、その時先生がバツとしたのにはきっとそれなりの理由があったのでしょう。
ではここで一つ頭の体操を。

  「さらが5まいあります。
  1さらにりんごが3こずつのっています。
  りんごはぜんぶでなんこあるでしょう。」
 という問題の計算式は
  3(個/皿)×5(皿)=15(個)
 で正解となります。

 では計算式
  5(皿)×3(個/皿)=15(個)
 が正解となる様な問題文を考えなさい。尚、皿の上にのっているのはりんごとする。

文章問題で掛け算の式を考える場合、そこでは必ず【単位】が考慮される事になります。それなのにそこからただ数字だけを取り出して、かける数が後、かけられる数が前などと機械的に教える事により、冒頭の事例の様な誤った理解が生じたりする訳です。
それにもしそういう教え方をするならば、そもそもこのような文章問題自体が適当ではなかったと私は考えます。文章問題は算数だけではなく国語の力、つまり文章の理解力も必要になるからです。
文章を読む時、頭の中では様々な思考が生まれ、人それぞれの理解が形作られます。5×3とした子供も、もしかしたら上記の様に単位も併せて考えたのかもしれないのです。
でもそれをただ単純に、教えたのとは違う理解だからバツとしているのだとするならば、それこそ教える側の方が、ただ一つの解しか認めないという極めて狭い視野に捕われているのではないのか、そんな不安を私は覚えるのです。

子供達は先生の言葉に大いに影響されます。それは前回エントリーの「ツリー・オクトパス」の一件に通じる危険性も孕んでいると言ってもいいでしょう。いやむしろ、ひょっとしたら大人達の方がすでにそうなっているのかもしれません。
そんな大人達に教育される子供達は、果たして将来どんな考えに取り付かれてしまうのでしょうか。
父母や教師のみならず、これから子供達を導く立場になる人達は、ぜひ冒頭の事例を他山の石としてもらいたいと願うものです。



ところで今回、書体を色々調べていて新たな発見をしました。
「今」という字を私は習字時代のくせから
   
と、ひとがしら「人」にカタカナの「ラ」という具合に覚えていて、最後の部分は「はらい」で終えていたのですが、明朝体・ゴシック体ではすべて「止め」になっているのですね。
     

で、教科書体はと見てみましたら…、


    

なんと! これも「止め」で終わってるではありませんか! 常用漢字表でもこの「今」の字には何の例外指定もありません。
という事はこれ、最後は「止め」でなければ×って事? そ、そんなさら…。

(推薦サイト)
「漢字文化資料館」より「漢字Q&A」→こちら


(2015年10月23日 追記)
リンク切れ部分を少し直しました。

(2019年4月1日 追記)
新たな年号が「令和」と決定し、リンク切れを更に修正しました。