杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

当日の震災記事

震災当日、停電と携帯のバッテリー切れにより、情報の把握はラジオだけとなりました。
それでも次の日には、多分本社も相当な被害があったであろう地元新聞の河北新報でもしっかり特別版が発行され、それが街中で配られていました。
眠りかかっても余震で起こされ、スイッチを入れたラジオからは浜辺に100~200もの死体が打ち上げられたという悲惨な報道がなされており、一体何が起こったのか我々被災者にはまるで分からないという状況だったのです。
そんな我々に対し、その新聞紙面はかなりショッキングなものでした。

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前日からのラジオ報道からかなりひどい状況である事は想像出来ましたが、実際このように画像として見てみると、改めてその被害の規模の大きさに愕然とさせられます。
次の日の紙面はこのようなもので、ラジオ以外の情報が得られなかった我々に対し、それはテレビ以上の情報を提供してくれました。

 

ただここで気になったのがテレビ欄、さすがにNHKではすぐに災害特番となりましたが、民放ではまだのんびりと通常放送となっている所もあり、この対応の差が悲惨な記事の中で何かおかしささえかもし出していました。



実際は多分、すべての局が特番となったのでしょうが、結局この日の夜に電気が復旧した後はNHKばかり見る事となり、ここで津波映像を初めて目にして改めて今回の地震の大きさを実感する事となりました。
これに比べたら自分の受けた被害など何と微々たるものか、そんな安堵の思いと共に、これから先、東北は果たして再生できるのかという不安が入り乱れる心境となったのです。

給水所の列に並んでいる時、朝日新聞の号外が配られました。その一面もまた暗鬱な気持ちにさせられるものでした。

  

  

朝日新聞はどちらかというと劇場型の見出しが踊り、当事者の不安感をより増してしまう様な感じがします。もっと現状を冷静に伝える様な表現を心がけるべきでないかとも感じました。
いずれにせよこの日の事は今後親から子、子から孫へと語り継がれていくべきものです。これらの新聞はこの先ずっと保存していくつもりです。


これから先の事は今はまだ考える余裕はありませんが、取り合えず今やるべき事をやる、ただそれだけです。
交通機関がマヒした中でいつもより倍もかかる通勤時間にもめげず、皆黙々と職場に向かう姿を見ると、それが復興に向けた確かな歩みに思えてくるのです。
日本中、世界中の人達からの支援の言葉に、ただ感謝の気持ちが溢れるばかりです。