杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

震災から3週間~仙台市近郊の風景~(追記あり)

震災から3週間、津波に襲われた地域は依然復旧の見通しも立たず厳しい状況に置かれています。
それに対して市内の方では着実に復興への道のりを歩んでいます。
当初はライフラインも寸断されていた街中でも、仙台市内では今は大分回復に向かっており、周辺地域でもあとはガスの復旧のみという状態まで来ています。
自分は仙台でも北エリア方面が主な生息地域なのですが、地震初日の報道で知った「東京インテリア」の惨状は、一週間目の18日にようやくこの目で目撃する事が出来ました。
いや、確かに派手にやられていてそれだけで絵になってしまいますが、実際これほどの被害となったのは周辺ではこのビルぐらいで、これだけを見て仙台市全部がこうなっていると思われては困る所です。



撮影した日は金曜日の夕方5時頃だったのですが、普段なら渋滞になる4号線バイパスもこの頃はまだ震災の影響でガラガラ状態でした。





この頃のライフラインは、電気は仙台市内ではほとんど復旧していましたが、水道はまだ一部で断水、ガスはどこもまだという状態でした。
また生活物資では、スーパーは店舗内の在庫商品を軒先で販売している状態で、どこも皆長い行列が続いています。
それにしても、こういう風景を見る度、日本人は本当に我慢強いものだなとつくづく感心してしまいます。
自分も列の中にいる時、一緒に並んでいる青年に聞いた話ですが、震災当時ホームセンターのショーウィンドウが割れてても、誰も中の品を持っていく人はいなかったそうです。外国人にはとても信じられないだろうなと、思わず2人して笑ってしまいました(でも実際は、30日宮城県警発表によりますと、26日現在で仙台市内では空き巣・窃盗など290件、総額1億円もの被害があったそうですorz…)。





3月20日(日)には泉中央方面に様子を見に行ったのですが、ミスドとケンタッキーが早くもオープンしていたのに感動でした。勿論両者とも長い列です。
この頃になると、そろそろこういうファーストフードに飢えてきた頃でした。





地震の被害状況ですが、ちょっと見には一見何ともないように見えますが、実は良く見るといたる所で亀裂や陥没が見られ、改めて今回の地震の大きさを感じさせられます。









道路の段差はあちこちで見られ、補修工事の人達が忙しく作業しています。



いずこから来た災害復旧の応援バス、話を聞くと東京ガスの作業員が付近の点検をしているそうで、寝泊りはお隣の山形県天童市、そこから毎朝通ってきているとの事で、遠路はるばるの支援に思わず感謝です。



28日にはスーパー「西友(SEIYU)」が24時間営業を再開し、ようやく流通体制も整ってきて食品売り場には品物が並ぶようになりました。
他のスーパーも徐々に復旧し、こちらの「ヤマザワ」でも店先に客が並ぶ光景はなくなりました(29日の映像です)。



店内を覗いてみると、肉・野菜等はもう普通に売られています。





驚いたのが魚介類売り場、意外なほど多くの品数が並んでいます。
ヤマザワ」はお隣山形市に本社を置くローカルのスーパーですが、そのためおそらく日本海側からの独自流通ルートを利用しているものと思われます(未確認ですが)。



それでも乳製品とかお菓子・乾麺類の棚はからっぽ、他にもすかすかの棚があり震災の影響は未だ続いている事を伺わせます(多くの食品物流倉庫が津波被害にあい、配送トラックが皆流されてしまったのです)。









それでも食料品が充実してきた事はありがたく、もう寒空の中を並ばなくても済むと思えば、レジの行列などは苦でもなくなります(現在はこの時よりも品数は徐々に増えてます)。



ただ、あいも変わらずがガソリン渋滞、徐々に車が増えるにつれ、輪をかけてひどくなってます。
本当に何とかならないものか…。




このように仙台市内及び近郊では着実に復旧への道のりを歩み出し、平穏な日常を何とか取り戻そうとしています。
でも津波被災地ではまだまだ地震当日のままという状況が続いていて、避難所の様子などがテレビ報道がなされています。
しかしあまり全国的な報道はされていませんが、実は仙台市内の地震被害も相当深刻なものがあるのです。
今回の地震では地盤が大きく傾いた箇所もあり、それに建物の老朽化も加わり、倒壊の危険があるビルやマンションなどの建物は22日現在で849棟にもなります。知人の家も「危険」の赤紙が貼られ、外見は何ともないのにもう住めないという状況に置かれてしまいました。
震災翌日から泉区の給水所となった南光台小学校も、去年耐震工事を施したばかりにも関わらず今回の地震で倒壊の恐れありと判定されてしまい、新学期から生徒達は近接の市の施設と中学校とに分かれての授業となります。
昨年創立40周年の記念行事を行ったばかりでした。
  (3月13日撮影)




校庭には地割れの跡が見られます。話によると、この学校は異なった地質の上に建てられたものだそうです。




全国ニュースで流される被害状況はどうしても派手な部分だけに集まりがちですが、実はこのような細かな部分に深刻な問題が隠れていたりするのですね。
おそらく他県の内陸部でも同様な事が起こっているのかもしれませんが、そういう問題は中々広く知られる事はありません。

今回の震災では数多くの尊い命が失われました。我々はそのあまりに重い事実を受け入れつつ、それでも何とか平静な日常に戻ろうとしています。
これから先、我々は数々の問題に対峙せざるを得ないのですが、残された者は犠牲になった人達の分まで生きるつもりでこの難局を乗り切らねばならないと思うし、またそれは必ず出来る、そう信じたいと私は思っています。


(4月4日追記)
日曜日にあの「東京インテリア」の様子を見に行ってみました。
外観は変わりありませんでしたが、



入り口にはこんな張り紙が。




見てみると脇の駐車場で販売を行っていました。頑張ってます。

住宅街では盛んにガスの復旧工事が行われていました。その車のナンバーを見てみると、「川崎」、「品川」、「足立」と皆東京ナンバーでした。





これ実は「東京ガス」の災害復旧隊です。



別の場所では「静岡ガス」も。



今仙台には全国からガス復旧隊が来ていて活動しています。本当に有難い事です。

また知人から連絡がありましたが、日曜日のGSは先週とはうって変わってどこもガラガラだったそうです。
どこのGSにもガソリンが行き渡ったのか、それとも先週までにかなりの車にガソリンが供給され一段落したのか、とにかくその報告を聞き、早速GSに行き、自分の車も久々に満タンとなりました。



4号バイパスも車の数が増えてました。郊外でも着実に普段の日常に戻りつつあります。


(4月5日 さらに追記)
何か、全国から集まったガス工事の人達、「ガスマン」と呼ばれているそうですね(→こちら)。
何にせよ、仙台市民にとって彼らは間違いなくヒーローです。