杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

THE 21st JSFへ行く(2)

第21回定禅寺ストリートジャズフェスティバル2日目、空模様は昨日とうって変わって朝からシトシト雨状態、ちょっと不安な気分になりつつ会場へ。

前回の日記で載せ忘れていましたが、今回公開された地図は下記のものです(クリックで拡大)。

  

地下鉄勾当台公園駅を出ると雨は何とか降り出さずにいてくれて、逆に気温は涼しくこれが後々大いに助かる事となります。

まず訪れたのは勾当台公園滝前ステージ(No.24)、午前中一番目のバンドは奥州市のフージョンバンド「HUMPTY DUMPTY」を聴衆。
紹介によると当バンドはオールマンブラザーズ系統を目指している様ですが、ギターサウンドなんかまるでジェフ・ベックの様、ダブルドラムスも迫力満点。
一発目からパンチの効いた、ノリノリの気分で今日が始まりました。

 

次に向かったのは道路を挟んだ県庁庁舎前ステージ(No.22)で、「Sexy Dynamite Jazz Orchestra」というビッグバンド。メンバーの多くが女性という事でちょっと気になっていました。
実際見てみますと確かに女性が多く、何となく映画「スィングガールズ」のそれからというイメージを持ってしまいます。
それにしても観客層が先ほどとは全然違い、それなりのお歳の方々ばかりでした。
やはりこの手のジャズバンドを好むのは、ある一定の世代の方達なのでしょうか。

 

そこから市民広場隣の円形公園ステージ(No.2)へ。ここで友人から聞いて気になっていたバンドを覗いてみます。
紹介文は『アニソンで仙台を元気にしよう!』「Ze' Gok」、結構込んでます。

 

『勇者ダンバイン』、かっこええ曲や。生演奏をバックに気持ちよさそ…。
多分ここにいたアニソン好きの連中は皆こう思っていた事でしょう。
 「俺に歌わせろ!」

そして近所のラーメン屋で昼食を済ませた後市民広場(No.1)に戻ってみると物凄い人の波。足の踏み場もないとはまさにこんな具合、天気が涼しくて本当に助かりました。
これが昨日の様な天気だとしたら、間違いなくバッタバッタと倒れる人が続出だった事でしょう。
皆これが目当てだったのですね。在日米軍音楽隊ジャズバンド「The United States Army Band」、現在全国各地で慰安演奏旅行中、JSFに併せて来仙です。
MCの人は日本語ペラペラ、そのエンターティメント性はさすがです。

 

ここで偉いと思ったのは、この日は我々にとっては大震災から丁度半年ですが、彼らにとっては「あの日」から10年目でもある訳です。
しかし彼らはその事には一切触れず、ただ震災への苦労をねぎらう言葉ばかりであったのです。
今回の震災での米軍の協力は皆が知る所であり、客席からは「ありがとう!」のかけ声も。
最後はスタンディングオベーションで市民から感謝の気持ちを。盛り上がりました。



このステージで次はお待ちかね「気仙沼ジュニアジャズオーケストラ『スィング・ドルフィンズ』」、で、このまま待っていたらテレビカメラが次々と。
どうやら皆密着をやっていた様子で、いずれこの模様はテレビでやるのでしょうか。

 

注目の中演奏開始、おそらくお父さんお母さん達は感涙でしょうね。

 

そしてあの「A(ラ)の音」の時間、午後2時46分、観客の中からは起立して黙祷を捧げる姿も。こちらも思わず胸に来るものがあります。
そして無事最後まで舞台をやりとげ場内から大きな拍手、皆我が子や孫の姿をダブらせているかの様です。

 

ここで市民広場を後にして駅前方面へ移動開始。
途中喉が渇いたので錦町公園(No.27~29)で養分補給も兼ねて休憩です。
ここは今までのステージと違い、どことなくほのぼのムードがある場所で、ピクニック気分で訪れている家族連れが多かったですね。

 

 

 

丁度演奏していたバンドは「Soul Messengers」、

 

「kickers」、両者ともソウル系統のミュージックです。

 

裏手から見るとこんな感じ、お客さん結構いますね。

 

更に仙台駅に近づいた花京院スクエア前ステージ(No.34)、ドラム・ベース・キーボードの三人以外はすべてサックスだけという異色ジャズバンド「project SAX BLUE」を聞いてみました。

 

サックスだけとはいえ、アルトとテナーがあるので決して単調な音と言う訳ではありませんでした。
ただ唯一の欠点、ソロパートを吹いてる人が一瞬誰だか分かりません(^^;)。これからは「見せ方」も一工夫欲しい所ですね。

そうこうしてる内にようやく駅到着。ここワークマンスクエア2(No.37)のステージで本日トリを飾るのは、何と!あの!「サタンオールスターズ」!
今まで奥の方のステージばかりであったのが、仙台の玄関口で堂々とという恥ずかしい素晴らしい事になろうとは!
早速始まる前の時間からムッチー閣下のMCが笑かしてくれます。
何でも震災後に地元ローカルテレビ局から取材を受けたそうでして、その中ではサタンオールスターズが存続の危機に瀕していた【という事にされてしまっていた!】そうな(^^)。

  

そして言うまでもなく、仙台駅パルコ・エスパル前は興奮のるつぼと化してしまったのでした。
また来年お待ち申しております。

 

夕闇迫る頃、また勾当台公園の野外音楽堂ステージ(No.23)に戻りますと、そこではもうファイナルのタイアップステージが行われていました。
仙台を代表するラテンバンド「サルサ2号」も登場、短い時間でしたが今年もラテンリズムを聞かしてもらいました。

 

滝の前ではまだまだ続くステージ、こうして今年も無事、JAZZFES改めJSFは幕を閉じました。

 

今年は例年とは違って主にビッグバンドを攻めてみましたが、その他にもお初のバンドが結構ありました。
反面、ゴスペルとか少人数のジャズカルテットもブルースも聞き逃しました。やはり数が多過ぎますね。まあ聞き逃した分は来年の楽しみと致しましょう。

それにしても、ここまで来るのに要したスタッフの苦労は並大抵の事ではなかったはずです。
そして、それにも増して大変だったのは被災したバンドメンバーの方々、中には楽器ばかりではなく肉親まで失った方もおられます。
それでも今回、このJSFに出る事を励みに今日まで頑張ってきたという人達が数多く存在しています。

でも実行委員会では、敢えて復興とか哀悼とかを前面には出さず、ただただ【例年通り】に開催するという事を目指して準備を進めてきたといいます。
例年通りいつもどおりに行う事、そして被災地でその姿を見せる事こそが何より重要な事だったのですね。
だから観客である自分達は、それこそ例年通り心底音楽を楽しむ事が出来たのです。

悲しみは時が経てばやがては薄らいでいくと言われますが、あれは嘘です。
悲しみはその時の姿のまま、心の奥底にしまい込まれるだけなのです。
その悲しみを、人は楽しい思い出で蓋をするのです。
たくさんの楽しみが増えれば増えるほど、それは分厚い蓋となり、悲しみはやがて封印されていく。私はそう思います。

そんな楽しい、幸せなひと時を過ごさせてもらったJSFに感謝すると共に、それを影で支えてくれたすべての方達にも、心から感謝したいと思います。



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