杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

社民党のポスターに政治家の「無神経さ」を見る

社民党が発表した集団的自衛権に反対するポスターが酷過ぎると話題になってます。
問題のポスターはこういうものですが、↓

 

私はこの

 「あの日から、
  パパは帰って
  こなかった」


というフレーズを見て、正直大変不快な気持ちになりました。

あの震災を経験した身にとっては「あの日」というのは今や、「震災当日」を指す代名詞となっているのです。
ニュース記事によると、実際あのポスターの子供は党所属議員の子だそうですが、見る側にとってはそんな事は何も分かりません。
私があのフレーズとあの写真から連想したのは、まぎれもない震災孤児の姿でしかなく、そして被災地では実際にそういう児童達がいるのです。

更にフレーズの下には小さく、
 「こんな未来はあまりにも悲しい」
と記されていますが、実際に親を亡くした子供達がこれを見たらどう感じるのか、ポスターの製作者及び党議員達は果たしてそこまで考えたのでしょうか。

このポスターは、自分達の主張ばかりに目が行くあまり、これを見る者も自分達と同様に思うだろうという硬直化した思考がこんな表現を良しとし、誰がどんな立場からこれを見るのかという、相手側に立った視点が完全に抜けているのです。
このポスターからは、己の目的のために子供の悲しみを利用するという、大人の「いやらしさ」と「無神経さ」しか感じられません。

以前、子供に放射性物質とおぼしきツブツブが降り注ぐという反原発のポスターが、福島の人達の心を大きく傷付けたという事があります。
社民党のポスターにはこの反原発ポスターの様に、自分らの主張を訴えるために子供をダシにして不必要な不安を煽り、それによって傷付く人がいる事などにはまるで気付かない、というのと同じ「無神経さ」ぶりを見てしまうのです。

議会での差別野次や金目発言など、政治家が発する不用意な発言が問題になる事例が続きましたが、このポスターの件を見ても今や政治の世界全体では、相手に対する配慮や弱者への思いやりというものが、どんどん軽んじられている気がします。
これは賛成・反対とか、ましてや「表現の自由」云々以前の問題であり、政治家としての「質」を問う問題であると私は感じます。
もういい加減に、情緒的な煽りという低レベルなイメージ戦略から卒業し、政治家ならば感情にではなく、正々堂々と言論でもって相手の理性に訴えたらどうなのだ。
思わずそうつぶやきたくなるほどの酷いものを、久々に見せられてしまいました。

社民党は以前もこんなのを出して物議をかもしましたが、もういい加減学んで欲しいものです。