杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

EM批判記事へのさらに驚くべき批判

7月3日と11日の朝日新聞青森版に載ったEM批判記事に対し、DNDメディア編集長の出口俊一氏(以下出口さん)が25日にDND上で批判を行いましたが、8月1日、「朝日のEM批判記事検証:青森からの現地報告」と題して2回目の批判記事を掲載しました。
早速読んでみましたが、今回は出だし早々で目が点になってしまいました。
前回の批判では、出口さんが比嘉照夫氏(以下比嘉さん)の言説をまるでご存知でなかった事が明らかになったのですが、今回は更に、そこに書かれている内容そのものすらまるで調べようともせず、ただ比嘉さんの言葉をまるまる受け入れているだけという事が確認されたのです。
問題の部分を引用します(強調は引用者によります)。
引用した元の文章は、比嘉氏が2007年にゲストでスピーチしたもので、スピーチのテーマが「EMや波動はエセ科学か」だった。根拠のない批判を繰 り返す国立大学の准教授を例に挙げて、比嘉氏は確かな検証もせず偏見で決めつけることの軽率さを問題視した内容だった。そういうスピーチの肝心のところは 1行も触れない。
比嘉さんの問題のスピーチはEMサイト内で紹介されています。↓
「新・夢に生きる 第5回 EMや波動はエセ科学か?」(→こちら
この冒頭部分を見てみましょう。
昨年の12月、江本勝さんが設立した(株)IHMの20周年記念セミナーに船井幸雄さんと私がゲストスピーカーとして招待され、波動についていろいろとお 話しする機会がありました。私はEMの本質的な効果は、関英雄先生が確認した重力波と想定される縦波の波動によるものと考えています。
江本勝という人は、1984年にMRA(共鳴磁場分析器)と出会い、これを日本に広めたい(売りたい)と思い、
独自の「波動理論」を展開し、
波動の存在を視覚化しようと氷の結晶写真を思いつくがさほど注目もされず、
  (クリックで拡大)
  (「波動と水と生命と」 PHP研究所:1995年4月3日刊)
そこで撮り貯めていた結晶写真の写真集を出した所これが思わぬ大ヒット(1999年)。
これに気を良くして、結晶写真に「いい話」をくっつけて発売したのがこれ(私も読みました)。↓
  
(2001年11月25日初版、サンマーク出版
そしてこの話が小学校の道徳授業で行われている事が知られ科学者達が反発
すると「あれはポエム、ファンタジーです」などと言って追求を逃れたが(2005年)、
結局あの本は彼の会社㈱IHMで販売していたこれの販促本だったのが、今ではこの本だけでも商売になるとして出版部も作られ、現在は各地で積極的に販促活動を行っているという人です。

この人と比嘉さんを結びつけたのが紹介にもある通り船井幸雄氏です。
彼は1992年発売の「波動時代への序幕 」で江本氏を、そして1993年の「フナイミーティング'93」で比嘉氏を引き入れ、1995年には船井幸雄氏が監修した「「本物の時代」が始まる!」に両者を執筆陣に加えるまでになります。
 (クリックで拡大)

それに何と言っても船井さんは「波動」が大好きで、江本さんの商売にも多大な貢献をしているお方で、
(株)IHM20周年に、このような蘇生的な現象を引き起こす波動技術に対し、江本・船井・比嘉の三者の基本的な考えが一致し、すでに実績のある各種の波動技術を「地球と人類の向上のために」実践する研究会を立ち上げることになりました。
という関係となり、お互いへの批判に対しては互いに一致協力するお仲間である訳です。
だから比嘉さんは江本氏やEMへの批判に対して、
原子はもとよりあらゆる物質は固有の波動を持っていることは、かなりのレベルで確認されており、このような波動の応用を従来の常識で理解できないからと言って、エセ科学と断じるのはあまりにも軽率と言わねばなりません。
などと批判し、この一説を取り上げて出口さんは先の様に
確かな検証もせず偏見で決めつけることの軽率さを問題視した内容だった。
と述べている訳です。
つまり出口さんは比嘉さんの言説を何も検討する事なくまんま支持しており、それはつまり江本氏の「水からの伝言」も支持しているという事になる訳なのですが、出口さんはその事に気付いているのでしょうか?
それとも出口さん自身、真正の「波動信者」だったのでしょうか?

そしてこの事からも分かる通り、実は「偏見」でしか見れていないのは自分であるという事に、ご本人はまるで気付いていないのです。
その事は次の文節からも読み取る事が出来ます。
もっと最近のスピーチはいくらでもあるのに、なぜ、5年前のものなのだろうか。7月3日付でEM批判のコメントを出した長崎大学の准教授のEM批判のパワーポイントを使うから、こんなおかしなことになってしまうのだろう、と推察する。
出口さんは、EMがなぜ「ニセ科学」と呼ばれるのかまるで理解していません。
この時のスピーチは、まさにその理由が述べられていて、比嘉さんがご自身の立場を自ら堂々と述べているものだからなのです。

この後出口さんの批判記事はプールでの実証やら記者の強引な取材方法について批判が行われているのですが、実はどれも新聞記事に対する直接的な批判にはなっていないのです。なぜならば、この記事の本当に問題としているのはいみじくも出口さんが、
同席した別の教師は、もう一つ別の角度から朝日新聞の取材や記事について疑問を口にした。
と書かれている、実にこの部分こそが一番の問題点としていた所なのですが、初めから「偏見」の目で記事を読んでいたので、自らこの視点に気付く事は出来なかったのです。
そして出口さんはご丁寧にも、その教師の言葉をしっかり紹介してくれました。
「効果があるかって聞かれれば、比較検証していないのであるって明言はできない。ただ、自然環境の中でEMの効果を正確に検証出来るかって言った ら、それはEMの効果かもしれないし、他の効果かもしれない。そんな事僕たちが検証する立場ではない。学校としては、環境教育の一環としてやっていて、 EMに効果があるかどうか云々よりは、子供たちの問題解決の力を養うというのが目的なんです。今教えている内容全て正しいか、科学的に検証したか、どうかって言われたら、そんな事を考えたら何も教育の教材に使えないでしょう。近隣に一生懸命やって下さっている善意の方々がいて、僕たちも何かしら環境保全 の為にやらなければならないというところを子供たちに伝えたい。それだけですよ。それが違うと言われたら、教育自体の否定になりますから」と、慎重に言葉を選んだ。
EM浄化活動している人達は、比嘉さんに言われるがまま何の疑問も持たずに行動し、良い方向への変化をすべてEMのおかげとする、そういう見方しか出来なくなってしまいます。そしてそこでは、一番重要な「検証」という視点が省かれてしまいます。
それこそ多くの人が指摘し批判している「盲信」の怖さなのです。
先の教師の方の言葉がこの事をしっかり物語っているのですが、これに気付く事すら出来なくなっているという姿に、私は空恐ろしささえ感じるのです。

ジャーナリストというものは本来は、この様なものに対して疑問の眼差しを向け、こちらの様に追及していくものだと私は思っていました。
出口さんは朝日新聞 青森総局にEM関係者2名を引き連れて訪れた様ですが、すっかりメーカーの広報と化してしまった彼の姿を見て、支局の人達は果たしてどう思った事でしょうか。


【盲信】もう‐しん〔マウ‐〕
・[名](スル)わけもわからず、ただひたすらに信じること。「権威の説として―する」
goo辞書より)

〔類語・縁語〕
・(~による説明の)鵜呑み ・ (~に対する)盲目性 ・ 狂信性 ・ (~に)盲従 ・ (信じて疑わない)無邪気さ ・ 悪意のなさ(が不気味) ・ (~を)信奉 ・ 疑うことなく~
weblio類語辞典より)

(参考)
・『有用微生物群(EM)まとめ』より「EMの何が問題なのか
・自ブログ「EMへの疑問(3)~EMは「ニセ科学」か?~」
・ 〃  「EMだんごを投下する前に考えて欲しい事