杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「水」を読む(3)~結晶写真~

ついプロローグ部分の紹介が長くなってしまいました。
しかしこの部分は、江本氏自身の根本をなす考えが述べられており、この後に続く重要な布石となっていますので、敢えて詳しく取り上げてみました。

さて、30ページ目からようやく本編(第一章 宇宙は何で出来ているか)が始まり、ここで結晶写真の登場となります。
様々な言語で「ありがとう」と書いた紙を見せた綺麗な結晶などがカラー写真で紹介されます。
それと同時に、「ばかやろう」や「ムカツク」などのネガティブな言葉をかけ、彼の言では、「結晶がばらばらに壊れた形(p.23)」のものも比較として紹介されます。
しかし、これらの写真を見ているうちに、私にはどうにも腑に落ちない部分が出てきました。

確かに結晶の写真は美しく、まぎれもない本当の写真です。それは確かに、「1ミリほどの粒」の小さな突起部分が核となって成長したものだと思われます。
だから写真では、盛り上がっている部分を撮影している訳ですから、結晶部分にピントが合っている時はその周りはピンボケとなり、同時にライトの光も周りに拡散されるので周辺は暗くなり、それがあたかも、結晶が水の中に浮いているようにも見え、また思わずそういう錯覚にも捕われてしまいます(現に、そう勘違いしている人も多く見られます)。

しかし、ネガティブな言葉を見せた方はどうでしょう?

丁度分かりやすいものがあるのでこれを例に挙げてみましょう。



これは「小学校での実験です。」と銘打っているもので、下側はいわゆる「結晶ができなかった」とされるものです。
しかし、よく見てみると、上の方は他の写真と同じように「結晶部分だけ」にピントが合っているのですが、下は全面にピントがあっています。
という事は、これは「粒の頂点(曲面)」を写したものではなく、「平面」を撮った事を意味しています。

一体どこを撮ったのでしょう?

彼はプロローグの中で、

(p.21)
氷の盛り上がった突起の部分に光をあてて顕微鏡でのぞくと、結晶があらわれるのです。

と、書いています。
という事は、少なくとも突起部分にレンズを向けるというのが大前提のはずですが、この「ばかやろう」にはそのような跡は見られません。
これがそもそも、結晶が出来るべき大前提の突起部分が初めから存在しなかったのか、それともうまく探す事が出来なかったのかはここでは判読できませんが、少なくとも「突起部分」を撮ったものではないという事は言えます。
同じような写真は他にもあります。



これもピントは広範囲に合っています。これも「突起部分」ではありません。

小中学校の頃、誰でも一度は顕微鏡を覗いた事はあると思います。そしてその時の事を思い出すと、ほんのちょっとレンズを上下しただけでもピントはあっという間にずれてしまった経験を持っているはずです。
倍率が高くなればなるほど、ピントが合う範囲(被写界深度)は浅くなります。そしてこの場合は、奥行きに合うピントの範囲が狭まるという事になる訳です。
多くの結晶写真を見ると、ピントが合う範囲は丁度日の丸の国旗の丸の部分ぐらいであって、彼の説明を元にすると、それがだいたい1ミリ程度であろうと判断できます。
実際に結晶が出来るためには、結晶の核(コア)の部分となる尖った部分が必要となり、それがあるかないかで結晶が出来るか出来ないかが決定されます。
この、「ピントの範囲」という事に注目して、次の写真を見てみましょう。

 


これは別の「ばかやろう」を見せたものと「ヘビメタ」を聞かせた写真で、彼はこれをそれぞれ、「結晶がばらばらに砕け散ってしまいました(p.24)」、「結晶がばらばらに壊れた形(p.23)」と書いています。
写真は表面が同心円状になっていますので、これは間違いなく粒の部分を写したものだと言ってよいかと思います。
しかしピントの合っている範囲から見ると、これは1ミリの粒の頂点がそれほど鋭角ではなく、明らかにもっとなだらかになってしまったもので、結晶が出来るための核の部分が形成されなかったか、或いは核の部分が融けてしまってなだらかになってしまった氷の表面を写したものだと思われます(「ヘビメタ」などは、氷が融けかかっているのが反射の具合で分かります)。
つまり、元々結晶などは出来るべくもない状態のものであり、もし解説を入れるとすれば、これこそ本来の「結晶が出来なかった」とする写真であって、それを彼は「砕け散った」などと解説しているのです。

もう一つのパターンとして、先端が盛り上がらずに逆に陥没してしまったものもあります。丁度良い例がありました。



この写真には「天使」(上)と「悪魔」(下)という文字を見せたことになっており、このような解説がなされています。

天使は、小さな結晶のリングで包み込む印象があるのに対して、悪魔は、中心の黒い部分が盛り上がって攻撃してくる感じがあります。

「天使」に関しては、くぼんだ部分の周りのへりの部分が鋭角となり、そこに結晶の核となるでこぼこ部が生じ、たくさんの結晶が生成されたと思われます。
しかし「悪魔」の方は、よく見ると中心部は「水滴」が盛り上がっている様にも見えます。そしてへりの部分は大分氷が解けているようにも見えます(右上部分は水が被さっています)。
つまりこれは、粒の先端部が融けてしまった状態の写真であり、撮影するタイミングが遅れてしまったものとも考えられます。
また、別の可能性としては、上側の結晶写真のような形が融けてしまった後の写真、とも考えられます。

結晶写真を見ていると、それがあたかもその形で水の中に存在している錯覚に捕われます。しかしこの結晶というものは、実際は氷の表面にほんの一瞬の間に現れ、その後はすぐ融けて無くなってしまうものの瞬間の姿を写したものです。

では、上の「天使」の結晶が、その後融けてなくなった後の姿は果たしてどのような形になるでしょうか?


このように詳細に写真を分析してみると、ネガティブな方は写真を撮るタイミングがかなりずれているように思えます。それに彼の解説も、あくまでも彼自身の「印象」を語っているだけであり、これをもってして「ありがとうの言葉を見せたから綺麗な結晶が出来た」という【根拠】にはまるでなっていないと私には思えてしまいます。

そして大事な点がもう一つあります。
これらの写真を撮っているのは実際は彼ではなく、彼の会社の研究員であり、彼はその研究員が写した写真だけを見てこう判断しているという事です。
そしてその研究員も、どうやら彼の考えに強く影響されていると思われます。
(p.19)
さっそく私の会社の若い研究員に、この実験を始めるようにいいました。(~中略)
喜びいさんで私のところに報告にきた研究員の姿に、私も思わず胸が熱くなりました。

(p.22)
しばらくすると、水の結晶を撮っていた研究員が、とてつもないことをいい出しました。「水に音楽を聴かせて結晶を見てみよう」というのです。彼は、すっかり水の魅力にとりつかれてしまっていたようです

そして江本氏自身も、
(p.17)
水は情報を記憶し、それを運ぶものだというのは、私の固い信念でした。
(p.19)
ただ不思議なことに、私には確信がありました。絶対にこの仮説は正しい、だからこの実験もうまくいくだろう、という強い予感のようなものです。
(p.20)
心から確信していることはうまくいきます。.

と何度も述べています。

しかしこうして結晶写真の彼の解説を読むほどに、私にはこれが、彼自身の強い【思い込み】によって、自分に都合の良い解釈しか出来なくなっているようにしか見えないのです。