杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「水」を読む(8)~疑惑~

私は今まで、自分自身が感じた疑問、【「ありがとう」という言葉を見せたから、綺麗な結晶が出来たのだろうか?】の答えを探してこの本を読んでみました。
 ところが、彼がその「証拠」として示して見せた結晶写真は、何ら「証拠」ともなり得ないものでした。

実は私は、彼(実際は研究員が撮っているのですから「彼ら」とするのが正確ですが)が今まで撮っていた自然の水の結晶写真については、結晶が出来るべき核の部分が、不純物の有無によってそれがうまく形成されるか否かで、「水質の視覚化」というものが出来る可能性はあるかもしれないと思っていました。
それは、詳しい水質を検査し、その不純物の量や質を比較検討すれば、その差というものが結晶成長に影響しているという傾向ももしかしたら見出せる事が出来たかもしれません
それはあくまで「未科学」の領域ではありますが、まがりなりにも「科学」として研究され続ける事になったのかもしれないのです。

しかし彼は、そういう気などさらさらありませんでした。始めから、ただ「波動」の存在を証明する手段のためだけに結晶写真を撮り続けていたからです。
では、彼は本当に波動の存在を信じているのか?
私は信じていると思います。それは彼の理論があまりにも稚拙すぎるからです。
彼が述べる専門的な解説については、自分の考えに合致する理論ばかりをただ寄せ集めているだけとしか見えませんが、まがりなりにもそれらは、一応理論として成立するもののようにも見えます。
それに引き換え、彼自身の言葉で述べる波動論はあまりにも稚拙です。
だから彼が、水結晶が科学的に応用できる分野として挙げる例でも、
(p.196)
この技術は地震だけにかぎらず、台風や洪水、異常気象などの自然災害の予知感染症ウイルスの予測、あるいは他国が秘密裏にすすめる軍事実験の解明など、さまざまな分野での応用が可能になるでしょう。

などと、思わず頭を抱えてしまうようなものばかりです。それをここまで堂々と言える事など、逆に本当に信じきっている者にしか出来ない事でしょう。

しかし現実として、クラシック音楽を聞かせたり、「ありがとう」の言葉を見せてきれいな結晶が出来たという論拠については、その「証拠」を提示する事は実際はかなり困難な事です。事実、「五十個全部に同じような結晶があらわれるわけではありません。(p.21)」とも彼は述べています。
では、この結晶が、確かに言葉に影響されたという事を証明するにはどうすればよいのか?
彼はその「証拠」を、ネガティブな言葉の「崩れた結晶」の写真を対比として提示する事で、読者に自身の説の正しさを印象付けようとし、またその結果、彼自身も自らその結晶の虜となってしまいました。
そして彼の波動理論に対する信念も、この結晶写真によってより強固なものとなりました。
しかしこの写真は、実は「諸刃の剣」でもあるのです。
もし、「ばかやろう」の方の氷からきれいな結晶がわずか一個でも現れたとしたら、彼の波動理論は根底から覆るのです。
これほどの脆弱な理論を、彼一人で背負って維持していく事など不可能な事だと思います。
ですからここには、当然彼をサポートする人達(スタッフ)が存在するのです。

このスタッフの存在に思いを寄せた時、私はある「妄想」を抱いてしまいました。それをちょっと紹介してみたいと思います。
しかし、これはあくまで私の「妄想」ですので、ここからはあまり本気になさらない様お願いします。
*           *           *
彼はこの本で結晶写真を紹介していますが、実際に結晶写真を撮っているのは研究員です。研究員は言うまでもなく、彼の会社の社員でもあります。
研究員は彼の言うとおり結晶写真を撮り始めました。(この辺のいきさつは「プロローグ」の p.19に書かれています)
試行錯誤の末、研究員はようやくうまく撮影できるコツを掴みました。それは他の研究員にも伝授され、彼らは彼が望むような写真を撮れるようになり、それを彼に見せました。
(p.138)
水の結晶を撮り始めたときも、二か月の間はまったく結晶を見ることができなかったにもかかわらず、一度結晶を写真に撮ることに成功すると、他の研究員も次々と結晶の写真が撮れるようになったのです。これも「形態共鳴」かもしれません。

相変わらず彼は、波動との関連しか頭にありません。
しかし研究員たちは、彼の波動理論の危うさを知っていました。だから「ばかやろう」の時は、絶対きれいな結晶が出てはならないのです。
そこで彼らは、撮るタイミングや場所をちょっとずらして、それを崩れた結晶の写真としました。
彼はこの写真を出版し、それがベストセラーとなって彼も会社の名も有名になり、彼は世界中で講演活動を続け、その間彼の会社で扱っている商品はますますよく売れるようになり、おかげで会社はどんどん大きくなっていきました。
*           *           *
勿論これは私の「妄想」であり、この事については何ら証拠はありません。波動の証拠がないように。

しかし彼は、この点についても知ってか知らずか、本の中でしっかり予防線をはっています。
(p.194)
「ありがとう」と声をかけた水と、「ばかやろう」の水では、「ありがとう」のほうがきれいな結晶が出るべきだ、と観察者が思ってしまいます。そうすると、その意識が水に影響する可能性があります。
と。
つまり、「ばかやろう」の方からきれいな結晶が出来たとしても、観察者がそう願ったからだと簡単に言い逃れが出来るのです。
この事から見ても、反証実験などは事実上不可能なのです。
ここで彼の波動論は無敵となりました。

しかし彼は、あくまで科学にこだわるあまり、
(p.197)
いつでもだれでも水の結晶写真が撮れるような機械を現在開発してもらっています。

とも述べています。研究員達ははたしてどう思った事でしょう。
この本の初版は2001年11月25日、2009年現在、そのような機械が開発されたという話はいっこうに聞きません。
(次回最終回