杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「水」を読む(9)最終回~これから~

私は、この「水からの伝言」の話を聞く度に、あの過去の忌まわしい事件の事が脳裏を過ぎります。

それはあの「オウム真理教事件」です。

結晶写真を見るにつけ、オウム真理教の麻原が行った「空中浮揚」の写真を思い出します。あの写真は、教祖であった麻原が超能力者であるとする「証拠」として、オウム真理教のかっこうの宣伝材料となっていました。
普通に見れば、あれは「浮揚」などと言ってますが、実際は高くジャンプしたその瞬間を写したものに過ぎない事がすぐ分かります。 



しかしあの事件の後、脱会した信者のインタビューを見た折、あの写真が入信のきっかけになったと言う事を聞き、大いに驚いたものです。なぜこんな写真が信じられるのか、私には全然理解出来なかったからです。
しかしながら、よくよく思い返して見れば、かつて私がUFOやら超能力などの存在を信じていた頃、紹介される写真を見て、疑う事なくそれを信じてしまった自分がいた事に気づきました。
考えてみればあの頃の自分は、未知の物が存在するという「証拠」が現れるのを待ち望んでいたのです。
特に写真というものは、大きなインパクトがありました。それはまさに、「実在」する事の確かな証拠だと思っていたからです。
でも今は違います。
数々の否定的意見にも積極的に耳を貸す事により、証拠と思われていたものが実はまるで証拠になっていない事に気づいたからです。

確かに写真というものは「事実の断片」を記録するものです。しかしそれはあくまで「断片」であり、それがすべての「真実」を表している訳では決してありません。それは、あとから別の解釈を加える事により、どうにでも違う意味付けがなされ得るものなのです。

この麻原の空中浮揚の写真については、オウム真理教被害対策弁護団滝本太郎弁護士によって、それが超能力でも何でもない事が暴かれました。



しかし、この写真が発表されてからも尚、マインドコントロールから抜け出せない人達がたくさんいる事が、この事件の根深さを物語っています。

水からの伝言」のあの結晶写真は、オウムの「空中浮揚」の写真と同じなのだと私は思います。

それを見た人は、その美しさのインパクトにより、それに付される説明をそのまま信じ込まされてしまいます。そして、彼の述べる「実例」に我が身を投影し、そこにたまたま当てはまる部分のみで彼の言葉を信じてしまうようになってしまいます。
そしてやがて、見る物聞く物すべてに対し、彼の言った言葉通りという関連付けをしていくようになります。
つまり、一方向からの思考しか出来なくなっていくのです。

人は一度強い【思い込み】をしてしまうと、そこから中々抜け出す事は出来ません。また、否定の意見にも耳を貸しません。自分が信じていたものを否定するという事は、自分自身の否定にもなってしまうからです。それは多分、本能的な恐れなのかもしれません。

この本を読むと、当の江本自身が強い思い込みの中にあるように思えてなりません。
その思い込みをそうとは認めたくないがため、彼はその「証拠」を捜し求め、そして「結晶写真」と出会いました。
たちまちその美しさに魅了され、ついに彼自身がその虜にされてしまった、そういう風に私には見えます。
p.145からp.176まで、また美しい結晶写真が紹介されますが、そこには様々な「自然水」の結晶写真もあります。この写真が意味する所を、彼は決して知る事はないでしょう。

「ありがとう」や「愛・感謝」の文字を見せなくても、きれいな結晶は出来るのです。


今月から「裁判員制度」が始まりました。
裁判員に選ばれた者は、提出された証拠を客観的に判断しなければなりません。そしてそれは、国民誰もがそういう判断をしなければならない状況になったとも言えます。
そしてこれはもう、国民の義務となったのです。
そのような時に、この様な本を読んでその結晶の美しさに目を奪われ、その説明をそのまま鵜呑みにしてしまう様な事、つまり、「印象」だけで判断してしまう様な事があってはならないのです。

彼は波動の存在の「証拠」として結晶写真を提示しました。だから我々は、それが「証拠」として果たして有効か否かという視点から、客観的にそれを見るようにするのです。
すると、実際この本で示された写真だけでは「証拠不十分」という判断になるでしょう。それ故次にすべき事は、さらなる証拠(残り49個)の開示請求となります。
そして次に行うべきは証人申請です。この場合の証人とは、この結晶写真を撮った当人、研究員という事になります。
それらが明らかにならない限り、この波動の存在というのは証明されないのです。
勿論このような判断は、【裁判関係者ならば誰でもすぐ出来る事】でしょうが、我々一般市民には中々難しい事かもしれません。

私達の身の周りに目を向ければ、「見た目」やら「キャッチフレーズ」のインパクトだけで宣伝している怪しいものがたくさんあります。
これから私達には、そういう物に対しても客観的な判断を下せる柔軟な思考が要求されているという事を誰もが意識する、そんな時代が今やって来たのです。



結晶の成長過程の動画が某所で見ることが出来るので、それを見てみました。
それを見ると、かつてスキー場で見た、結晶の形のままで降ってくる雪を見た時の事が思い出されます。
その時は、まさに大自然の神秘を目の当たりにしたような、えも言われぬ感動を覚えたものでした。
そこでは、そんな感動を思い起こさせるような、まさに神秘的な画像が動画として紹介されています。
しかしなぜか、「ばかやろう」の映像はこの本の写真がそのまま紹介されているだけでした。
私としては、ギンギンのロックのリズムに乗った、「結晶が砕け散っていくさま」の映像をぜひ見てみたいものだと思っているのです。
(終)


※滝本弁護士の写真掲載は本人の了承を得ています。快諾して下さった滝本太郎さんに、この場を借りてあらためて深く御礼申し上げます。
  参加ネットワーク:日本脱カルト協会                


水からの伝言」をよく知るために: