杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「ニセ科学」の授業が始まる

ひえたろうさんに先を越されてしまいましたが、遅ればせながら私んとこでも紹介などを。
以前2月5日に上げたエントリー、「「ニセ科学」の授業をやろう」で紹介しました長崎大学教育学部ですが、ここで今春からいよいよ本格的に授業が始まります。
それに先駆け、その授業で使用するパンフレット『疑似科学とのつきあいかた』が公開されています(→こちらから本文ファイルがダウンロード出来ます)。

内容は、
 (序章)明るい場で(上薗恒太郎)
 1.疑似科学とは何だろうか(長島雅裕)
 2.事例研究
  2-1.血液型と性格(長島雅裕)
  2-2.マイナスイオンと健康(武藤浩二)
  2-3.『水からの伝言』(武藤浩二)
  2-4.脳と疑似科学(長島雅裕)
  2-5.食と健康・医療に関する擬似科学(長島雅裕)
 3.擬似科学を見分けるために
  3-1.社会調査・統計とのつきあい方(小西祐馬)
  3-2.偶然と必然(長島雅裕)
  3-3.蔓延する学位商法(安部俊二)
 4.座談会:擬似科学とのつきあいかた(まとめ:上薗恒太郎)

となっており、各章ともコンパクトによくまとまっていて、初めて学ぶ者にとっても非常に分かりやすい内容となっております。
特に3番目「擬似科学を見分けるために」の項目などは「ニセ科学」に限らず、情報の取り扱い方という事に対して大いに参考になります。
これはぜひダウンロードしてあちこちで使われて欲しいですね。

ここで驚いたのがこれを書かれた先生方、その専門分野を見てみますと決して理系の人達ばかりではないという事です。
長島さんがこちらでも紹介されていますが、これほどの幅広い分野からよくぞここまで結集してくれたものだと思わず感服してしまいます。
これはつまり、裏を返せば「ニセ科学(ここでは擬似科学と言ってますが)」というものがいかに広範囲に影響を及ぼしているかという事の表れでもあると思えてきます。
そして教職員の中でも、これを問題視している人達は実は意外と多かったとも言えるのではないでしょうか。
マイナスイオン」と「水からの伝言」を担当なさっている武藤浩二さんのHPを見てみますと、しょっぱなから水からの伝言」に釘を刺していらっしゃいます。いやこれは実に頼もしい。

そもそもニセ科学やそれに便乗した商売などは皆大人達から提供される訳です。そしてそれに騙されてしまった大人が今度はもっと若い世代に、そしてやがては子供にまでといった具合に、上から下にどんどん伝播されていっちゃう訳です(マスメディアから一般へという流れも同様)。
しかもそれは、一見すると怪しいものだとは認識されないため、気が付けばいつの間にか世間に広がっているというのが現状なのではないでしょうか。
それを何とかするにはやはりもう、もっと早い段階から気付かせるという方法しかないと私などは思っているのですが、肝心のそれを教える側が騙されていては何にもならない訳です。
だからこのような、将来教える側になる人達に教育するというのがより重要な事になるのですね。

紹介文の中で長島さんはこう仰っています(強調は引用者)。
個人的に気に入っているのは、このタイトルです。ある意味あきらめの境地に達したとも言えるでしょうが、残念ながらニセ科学(疑似科学)は今後も生まれてくるでしょう。科学が未完の体系である以上、また人が生きる上で将来への不安が必ずある以上、あの手この手で新たなニセ科学が生まれてくると思います。そこにどういう対策を立てるかは決して自明なことではありません。ひたすら悩み、できることをやるしかないのかもしれません。しかし、裏を返せば「できることはある」わけです。最後の座談会から、そのあたりの悩みも読み取っていただければと思います。
そしてこのパンフレットの最後の項目の座談会では重要なポイントが語られています。
それは「擬似科学」に対してのみに留まらず、「学校教育」そのものに対する課題とも言えるものです。

>Ka:いや、科学の顔をして出されたものにどう
いう態度をとるかが、学校教育の課程に乗せら
れるべきですね。学力は正しい知識の量ではな
い。


>N:学校教育は、何が間違っているかを教えない
ですね、間違いを見つけてどう考えることが正
当かの学習に学校教育の課題がある。


>Ka:僕の言葉で言うと、臨床部門の蓄積が薄いで
すね。いま学校では、行政の末端として従いな
さいの姿勢があって、批判的に考えなさいとい
うメッセージが有効に流れていないと思う。
今までの教育はただ知識を詰め込むだけでしたが、近年はようやくその知識の利用法(考え方)まで踏み込むようにはなってきました。
が、実はそれだけではまだ足りないと思うのです。
>N:学校教育にしぼると、自分で判断できる人を
育てることが本質的
でしょう。どう判断するか
を育てることが大切ですね。

Ka:賛成ですね。判断できる人を育てて、議論
していく中から、判断をすりあわせた結論が生
まれてくる。知識は忘れても、科学に対する態
度、判断を形成していく態度を育てることが、
社会形成にとって大切ですね。
そのために疑似
科学ネタを扱うこの冊子に意味があるんでし
ょうね。とくに教員は公共の役割を担っている
のだから。
M:大学教育で一番大事なところが、そこにある
と思いますね。判断していくトレーニンが必
要ですね。
現在の教育に足りないものがこれであり、これこそ「ニセ科学擬似科学)」の授業を行う意義なんですね。
そしてそうしてから初めて、正しい「擬似科学とのつきあいかた」が出来るのでしょう。
ニセ科学」を社会問題の一つと捉え、これから社会に巣立つ者達にその対処法を伝授する事、それはそれで教育の一つのあり方だと私は思うのです。

今後多くの学校で、学部を超えたこのような取り組みが行われる事を切に望むものです。
先生方の検討をお祈り致します。



 ※引用を快諾して下さった長島雅裕さんに感謝致します。