杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

4年目

今日4年目を迎えました。
テレビでは相変わらず各局で特集が組まれ、復興が進む街や止まったままの街の姿が映し出され、自分もまた、相変わらずそんな番組を追いかけています。

2日前、津波に襲われ多くの児童が亡くなった、石巻市の大川小学校の校舎を解体するか震災遺構として残すかを地元住民が話し合い、アンケートの結果、全体保存の意見が一番多いという結果となったというニュースがありました(→こちら)。

テレビのニュース映像では、小学校の卒業生の男の子が全体保存に賛成する意見を述べている姿が紹介されました。
この子が震災当時、インタビューで津波に襲われた状況を淡々と語る姿は何度もテレビで見ていましたが、その彼がこの日のニュースでは学生服を着た中学生となっている姿に、ちょっとした感動を覚えました。

4年という歳月は、当時小学6年生だった子が中学校を卒業し、当時高校生だった子は大学生に、大学に入学した子は社会人として巣立つという年月であり、このニュース映像を見て、改めてその年月の長さを実感しました。

被災地に目を向けると復興の歩みはまだまだ遅く、災害公営住宅の進捗状況も未だ2割程度という有様で、特集などではお年寄り達の絶望する姿が紹介されたりして陰鬱な気持ちになっていた所でしたが、このニュース映像に一筋の希望の光を見た思いです。
(3月9日河北新報WEBより)
 大川小を卒業した中高生6人は全部の保存を望む立場で思いを語った。「亡くなった友だちと友情を育み、大切な思い出が詰まった母校を残してほしい」「どんな写真や映像よりも、校舎を見る方が津波の怖さが伝わる。悲劇を繰り返さないよう語り継がなくてはならない」などと訴えた。
最近は震災の風化などが叫ばれつつありますが、これから先の未来を担うのは間違いなく彼らの世代であり、校舎の全体保存を訴えた姿には、この震災を語り継ぐという強い意志を感じました。

あれから4年、場所によっては依然時が止まったままの所もありますが、今地元では若い世代が復興に励む姿も数多く紹介されています。
世代間のバトン、そこに射す一筋の光に救いを見る、そんな思いを抱いた今日の日でした。