杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

青葉城を登る

11月3日、文化の日に合わせてどこかへ出かけようという事で、歴女の奥さんと一緒に、数年ぶりに青葉城仙台城)を訪れてみる事にしました。
そしてこの際どうせならという事で、石垣をじっくり見てみようと徒歩で青葉城まで登ってみる事としました。

でも初めから下側の登り口から行くのではなく、まず初めは登り口の隣にある仙台市博物館へ向かいます。
実はここの裏手に、伊達政宗の半身像があるのです。



ここの台座にはこの様に書かれたプレートが埋め込まれています。

 この像は現在青葉城跡にある
 政宗公騎馬像の最初のものであって
 第二次世界大戦中軍に徴用されたもの
 の騎馬部分のみ溶解され この部分
 は終戦塩釜市内に打棄てられて
 あった
  幸い郷土史家故石川謙吾氏がこれ
 を発見し私費を投じて購い青葉神社
 に奉納したものを石川氏のご意志により
 神社側の了解のもとに本館に移した
 ものである

これを読みますと、運命の偶然というものを感じざるを得ません。
そしていつも高い所にある政宗様を、こんな間近で見られるのです。



 「ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ奉りまするぅ~~~!」

ここから裏手を通り、仙台城へ登る道が続きます。
登る途中には昔の石垣「清水門跡」が(クリックで拡大)。



そのまま登り続けますと「沢門跡」に出ます。



そこの案内地図を見ると分かりますが、今来た道は頂上の本丸跡へショートカットして行ける近道でもあるのです。

   

登り道もかつてはでこぼこの登りづらい道でしたが、現在は綺麗な遊歩道になっていて途中にはベンチもあり、急な坂も楽に登れる様になっていました。



途中には解説付きの案内標識があり、それをじっくり読むのも良い休憩になります。



ヘアピンカーブを曲がると、巨大な城壁が目の前に現れます。この迫力はやはり歩いてみて初めて分かるものです。



入り口には「護国神社」の鳥居、車で来る時はいつも裏手の駐車場に停めるので、ここから入るのは数十年ぶりです。



入り口にはボランティアガイドの方が待っていました。せっかくなのでガイドを頼む事に。
手にしているパネルは今登ってきた鳥居の昔の姿、「詰ノ門」のCG画像です。



パネルと見比べながらの復元された本丸跡のガイドは、とても分かりやすかったです。
場内にはこういうボランティアガイドの人が大勢いて、観光客の「おもてなし」を行っています。



今はなき、清水寺を思わせる「懸造(かけづくり)」の姿、元和2年(1616)の地震で崩壊してしまったとの事です。



騎馬像の前では「伊達武将隊」がおもてなし中、大勢の女子の方々が一緒に写真に収まっていました(奥さんも…(^^;))。



「殿ぉ~~!」



ここからの石垣の眺めも迫力あります。



下りの道は正規のコースを辿ります。
途中「中門跡」の地図標識があり、いつも車で通り過ぎるこの場所が、かつての門の跡であった事も初めて知りました。



下に降りきると青葉城のお堀跡である「五色沼」、その畔には「フィギアスケート発祥の地」の記念碑が。



この場所が発祥の地という事も初めて知りました。





長い間地元にいてもいつも駆け足で行くだけの場所でしたが、こうしてじっくり見ていくと、まだまだ新しい発見があるのだとしみじみ感じます。
のんびりとした地元再発見の旅、こういうのもたまにはいいもんです。


(参考)
「伊達武将隊」のスケジュールはこちら
仙台城」の詳細はこちら
青葉城資料展示館」はこちら(CGシアターは必見!)。