杜の里から

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山城を巡る(2)~小浜城~粟ノ須古戦場~

福島県二本松市の東5~6kmほどの所に「小浜城」という山城があります。
ここは元々大内氏が納めていましたが、後に小手森城を攻め落とした伊達政宗が入城し、以後1年の間この城を二本松攻めの拠点としていました。

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城跡は現在は公園として整備されています。





子供達が遊べる様に、遊具も整備されています。



山城というのは小高い丘や山の上なので、そこからの眺めは中々の絶景でもあり、こういう風景に出会えるのも山城巡りの楽しみの一つです。
古の領主達は、皆こうして自分の領地を眺めていたのだなと感じる事が出来ます。



城跡の一角にはこんな桜の木もありました。



実はここは3年前にも一度来ているのですが、その時はこんな立て看板はありませんでした。
(2015年6月撮影)


この時はこの木がどんな由来なのか知る由もありませんでしたが、果たしてこれも政宗に関係のあるものなのでしょうか。
調べてみるとこの名称は、観光のシンボルにしようと2016年4月15日に地元の観光協会が名付けたそうです(→福島民友より
福島県でも政宗が地元観光の一助となっているのは嬉しい限りです。

そしてこの小浜城から南に僅か2kmの所に、問題の宮森城址があります。



天正13年(1585年)10月8日、この城から正宗の父伊達輝宗二本松城主畠山義継に拉致されてしまい、後を追った政宗に追い詰められた畠山義継は、輝宗もろとも自害して果てるという事件が起きたのです。



そんな出来事があったのも今は昔、石畳を登った先には阿吽の狛犬が静かに迎えてくれます。



城跡には小さな祠、広々とした敷地にはかつての建物の土台でしょうか、大きな岩が転々と置かれていました。



そして宮森城から西へ二本松市方面に国道459号線を走り、途中脇に曲がって広い農道に入ると、その道沿いに「粟ノ須(あわのす)古戦場跡」が現れます。



そこにある石碑にはさらに詳しく事の顛末が書かれていましたが、その内容はまさに戦国ドラマさながらのものでした。



ここには、ここで最期を遂げた二本松城主畠山義継の慰霊碑が建立されていました。



そして同じくここで果てた伊達輝宗は、(1)で紹介した「慈徳寺」で荼毘に付された訳です。

小手森城のなで斬りが天正13年(1585年)8月17日、同年10月8日に宮森城で父輝宗の拉致事件が起き、粟ノ須で畠山家と伊達家の当主がいっぺんに亡くなるという、この年この地で起きた出来事は、伊達政宗の生涯にとってまさに運命的とも言えるものでした。

これらの場所を地図で見るとこういう位置関係となります。



ここが、伊達政宗が奥州の覇者となる足掛かりとなった地であった、そんな思いを巡らす古戦場跡は、広大な田んぼの中にただ静かに佇んでいました。

(参考)
・「余湖くんのホームページ」より「小浜城」、「宮森城
・「漫画・独眼流政宗」より「第63話 その日(1)」、「その日(2)」、「第63話について

(3年前のブログはこちら ↓)
・自ブログより「福島を巡る(二日目)〔その一〕