杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

BS1は福島の甲状腺検査をどう報じたか ~後編~(その2)

震災による原発事故が起きたあの時、甲状腺検査はどのような経緯で始まり今に至ったのか、番組は続けます。

 



甲状腺検査を巡って深まる混迷、その根源には前例のない事態に次々と対応を迫られた事故直後からの経緯があります。

場面は2011年5月の第1回検討委員会開始の映像、これにナレーションがかぶります。

事故の2ヵ月後、福島県では独自に健康調査を実施する事を決めました。
実は当初、国が甲状腺検査を実施する計画が持ち上がっていましたが、県が断ったといいます。
当時の県幹部が、そのいきさつについて明かしました。


福島県保健福祉部部長(当時) 阿久津文作
阿久津 「厚労省の課長補佐レベルの人が、『県では調査をやるんですか? もし県がやらなければ国もやる用意がありますよ』という様な発言があって、それは個別に聞いたんですけども、国も動いてはいるんだなっていう思いはありました。
 東電と国は、今回の事故の起こった原因者ではないのか、その原因者が被害者である被災者の健康を調査し管理をしていくのはいかがなものかと。自分の都合の悪い事は、出さないという事も考えられるのではないか。」


結局、国ではなく、一地方公共団体である福島県が主体となって甲状腺検査を担う事になったのです。
検査を始めるにあたっても紆余曲折がありました。
当時、検査をどのような形で行うのかを議論した県の内部資料です。
当初は事故の3年後から検査を実施する予定とされていました。



チェルノブイリ原発周辺で、甲状腺がんが多く見つかり始めたのが事故の4年ほど後だったからです。
ところが、時間をかけて準備する事が出来ない事態となっていきます。

場面は2011年6月、ガイガーカウンターで校庭の放射線量を測る小学校教師の映像となります。

教師 「結構高いですね。2.628。何で高いんだろう。」

学校の校庭や通学路など、子どもたちが日常生活を過ごす場所のあちこちで、高い放射線量が検出され、親達の間で被ばくの影響に対する不安が高まっていったのです。
この頃検討委員会では、住民の不安に答えるため検査を拡大し、前倒しする事が議論されていました。


(検討委員会議事録より)
福島県立医科大学 安村誠司教授
「小児甲状腺については3年後を想定したが、県民の不安を考えると、先行地域で前倒しで実施する事も検討していかなければならない。」
福嶋家保険福祉部 佐藤節夫部長
「不安を鎮めるのが行政としては非常に重要。「サイエンスと安心」の安心の部分。サイエンスとして余分な事も安心のためにやらざるを得ない状況。」

広島大学から招かれて検討委員に加わった神谷研二さんです。当時の議論について証言しました。

福島県立医科大学 放射線医学県民健康管理センター長 神谷研二
神谷 「チェルノブイリ事故の再来ではないかという事で、大変大きな不安がありました。そのために検査はできるだけ早く立ち上げる必要があるという事で、早急に検査体制を作っていくという事になりました。」

その結果、検査は事故から3年後ではなく、半年後の2011年10月から始まる事になりました。対象は県内の18歳以下のすべての子ども達、この時点で36万人。世界でも例のない、大規模な調査となったのです。
放射線の影響が出るとすれば、事故から数年が経過した二巡目以降で、一巡目はがんはほとんど見つからないだろうと考えられていました。


(2011年7月の映像) 福島県立医科大学 安村誠司教授
 安村 「問題のある児童はまずいないだろうと、その事をきちんと公表する、それが安心につながるのではないか。」
福島県保健福祉部 小谷尚克主幹
 小谷 「やっぱり安心につながっていって、不安不安不安ではなくて、これからの福島県という様な形で自分の生活を考えていただけるようになっていけばいいかなと。」

ところが、

(第12回検討委員会 2013年8月 鈴木眞一
 「44名が悪性もしくは悪性疑いと細胞診の結果でございます。」
(第16回検討委員会 2014年8月 鈴木眞一)
 「104人の方が、悪性ないし悪性疑いの判定となりました。」

検査の制度設計に関わった神谷さん、一巡目からがんがどれくらい見つかるのか、予想できなかったと言います。

神谷 「どういう所見が得られるかに関してはですね、まだ小児のですね、甲状腺に関する情報が十分ないのが現状でありましたので、なかなか想像する事が出来なかったというのが現状であります。」

住民の不安を鎮めようと、準備不足の中、当初の計画よりも前倒しして行われる事になった大規模な甲状腺検査、多くのがんが見つかり、新たな不安や混乱を招きました。
更に、そのほとんどが潜在がんである可能性が指摘され、検査の意義まで問われる事態に陥っているのです。

そしてカメラは突如、ウクライナへと移動していきます。



検査によって生じる不安や混乱を極力避けつつ、放射線影響の有無を明らかにする方法はないのか。
31年前、チェルノブイリ原発事故が起きたウクライナでは、どのようにしているのでしょうか。

カメラはウクライナの首都キエフにある国立病院を尋ね、甲状腺検査で異常のある人が精密検査に訪れる様子を紹介し、現在ウクライナで行なわれている検査体制を紹介していきます。

放射線影響を調べる仕組みは、国が中心となって整えています。
事故当時、原発からおよそ4キロの町で暮らしていたリュドミラ・ジットワローワさんです。事故の後、夫と2人の子どもと避難を余儀なくされました。
2年に一度、国から検査の案内が送られてきますが、最近は受けないと言います。

リュドミラ 「(翻訳)自由意志で行かなくてもいいんです。行きたければ行くし、行きたくなければ行かない。
 私は知らないままのほうが平穏でいられるから行かないのです、」

実は、検査を受けるかどうかはそれぞれの判断に任されていて、最近はリュドミラさんの様に検査を受けない人が増えています。
それでも放射線影響を調べる事ができるのは、このカードがあるからです。



事故当時、汚染地域に住んでいた人やその子供などに発行され、被災者向けの病院などで提示します。

福島の場合、県の甲状腺検査を受けた子どもの情報は、データとして蓄積され、被ばく影響を調べる手がかりとなります。
しかし、検査が縮小されるなど、受診する人が減れば情報は集まりません。
一方ウクライナでは、国の甲状腺検査を受けなくても、病院などで治療を受けると、被災者登録の仕組みを通じて、情報が国に集まるようになっているのです。

そして場面は保健省の国家登録センターとなり、240万人分登録されている人のデータベース画面が紹介され、蓄積されたデータは研究目的として利用する事が認められている事などが語られます。

放射線医学研究センターのアナトリー・チュマクさんです。
どれだけ被ばくした人が、どのような病気になっているのか、調査を続ける中、甲状腺がん以外にも放射線白内障の関連など、新たに分かってきた事がたくさんあると言います。


アナトリー 「(翻訳)我々はチェルノブイリ原発事故の影響をすでに31年間研究してきました。
 がんの潜伏期間であったり、若年性の循環器系の病気であったり、たくさんのことが分かりました。今も情報が集まり続けています。」


国家を挙げて放射線影響の調査に取り組んできたウクライナ、その中心となってきた研究者は、先を見据えた調査体制の確立なくして、科学的な答えは出せないと言います。

画面ではチェルノブイリ原発事故当時から甲状腺への影響を調べている、国立内分泌代謝研究所のミコラ・トロンコ医師の、事故から9年目(1995年)の映像となり、当時の彼のメッセージが流れます。

事故9年後(1995年)のトロンコさんです。
国際機関が放射線影響を否定する中、子どものがんが増え続けていることに焦りを感じていました。


トロンコ 「(翻訳)事故から9年経っても解明できないことが多く、問題は広がる一方です。体系的な研究と治療が必要なのです。」

それでもトロンコさん達科学者が研究を続けられたのは、国が被災者の状況を把握する仕組みを作り、法律にも定めていたからでした。

場面は2006年4月の、チェルノブイリ20年国際会議の映像となり、ナレーションがかぶります。

そして事故から19年が経ち、それまでの研究成果から、事故による被ばくが子どもに甲状腺がんを引き起こしている事が国際的に認められたのです。

トロンコ 「今後同じような事故が起こったときに教訓を残すため、調査・分析を行なうことが重要です。大事なのはこれから起きることを把握するための正確なデータの蓄積です。」

こうしてウクライナのがん検診状況の紹介が終わり、画面には再び星北斗氏が登場します。
彼は今年(2017年)9月にベラルーシを訪れ、国の機関や研究所で話を聞く中で、事故と向き合い続ける姿勢を学んだと言います。

星 「30年経った今も、国民向けの広報活動を一生懸命やっていたり相談を受けていたりとか、そういう姿がありますので、不安に寄添って行くことを続けなければいけないと思います。
私たちはこの問題にどこかでパツンとケリをつけて「はい、これから先はなしよ」という事には、中々出来ないのかなって思いましたよ。」

そして、NHKと共同でアンケートを行なった「3・11甲状腺がん子ども基金」代表の崎山比早子氏が登場し、BSニュースでも流れた映像がここで繰り返されます。

代表の崎山比早子さんは、放射線の影響によるものであろうと、過剰診断によるものであろうと、患者は原発事故の犠牲者だと言います。

崎山 「患者さんは患者さんですから何が原因であろうと、この事故がなかったらこんな状況にはならなかったっていう事だけは確かですから、やはりずっとフォローしてケアをするっていう事が必要だろうと思いますね。」

そして番組はアンケートに書かれた声を紹介してナレーションのエンディングとなるのですが、陰鬱なBGMをバックに、街角や公園に置かれているモニタリングポストの放射線量値がアップになるという演出が行なわれます。

福島第一原発事故からまもなく7年、これまでにがん、がんの疑いと診断された子供たちは194人。その内155人が、甲状腺を切除しています。



(患者・保護者アンケートより)
「病気というのは 本人や家族など 身近な人しか 痛みが分からない
 死に結びつかないから いいでしょう?
 そんな言葉を 大切な人に言えますか?(20代女性 本人)」

甲状腺を全摘した息子は 一生 薬を服用しなければなりません
 親としては 将来がとても心配です(10代男性の母親)」

原発事故 そしてわたしたちの病気も 現在進行中です
 どうか風化させないでください(20代女性 本人)」




未だ結論が出ない放射線影響。
そして、子どもを守るために始まった検査が、子どもを傷つけているかもしれないという葛藤。
原発事故が引き起こした、答えの見えていない課題。
私たちの社会は、これからも向き合い続けなくてはならないのです。


語り 柴田祐規子 
声の出演 81プロデュース
撮影 菅原幸一 郷田雅男
音声  森嶋隆 熊沢陽
映像技術 丹野昌平
CG制作 橋本麻江
編集 小坂孝
音響効果 塚田大
リサーチャー イーゴリ・ゲラシコ
コーディネーター 五代祐己
取材 右田可奈 藤川正浩
ディレクター 鍋島塑峰 成田花緒里
製作統括 池本端 吉田賢治 松本浩一

(終)


今回の特集は、他県ではこれまであまり知る事がなかった福島で行なわれている甲状腺検査の実態と問題を、一般の視聴者向けに分かりやすく伝えたという点では評価出来るものです。
しかし「伝え方」という点については、示された資料や演出方法など、大いにざわつくものであったと感じます。
取り上げた資料はこれでよかったのか、誤解される箇所はなかったかなど、ドキュメンタリーの手法そのものについて様々な思いが頭をよぎります。
これについては、次の項で改めて述べていく事とします。

続く