杜の里から

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BS1は福島の甲状腺検査をどう報じたか ~感想~

2時間のBS1スペシャルの文字起こしが終わりました。
番組の中で語られている事をこうして文字の形とし、そしてその中身だけを改めてじっくり読んでみると、福島での甲状腺がん多発の原因や検査自体の問題点が分かりやすくまとめられていて、取材についてもNHKはよく頑張ったなと感じます。

しかし番組を見終った時点では、心に残ったのはただ「不安感」ばかりでした。

 
番組冒頭からの甲状腺がん患者数の地図表記、不安感・不信感に溢れた保護者のインタビュー、そしてあの暗く陰鬱なBGM。
番組全体を覆うおどろおどろしい雰囲気は最後まで続き、二巡目で見つかった甲状腺がんの評価も検査自体の問題も結局何も解決される事なく、そしてエンディングはアンケートの不安の声とモニタリングポストの放射線量値のアップ。
NHK・民放含め、自分は原発事故関連のドキュメンタリーをかなりの数見てきましたが、不安を煽る演出はあいも変わらずという感想しか持てませんでした。

今回の特集の流れを簡単にまとめてみますと、

原発事故後の甲状腺がん患者の増加 ↓
・がんと診断された子どもの保護者インタビュー(←不安・不信) ↓
放射線の影響? ↓
・県民健康調査中間取りまとめ報告「放射線の影響とは考えにくい」 ↓
・ではがん多発の原因は? ↓
・【過剰診断】 ↓
・二巡目でも多発 ↓
・子どもの甲状腺がんは謎 ↓
・〔遺伝子解析でチェルノブイリとの違い〕 ↓
・二巡目の謎解明はこれから。

ここまでが前編。後編は、

・手術患者インタビュー 「がんがある事自体不安」 ↓
・過剰診断リスク、検査見直しの声 ↓
・保護者インタビュー 「不安だから続けて欲しい」 ↓
・専門家でも割れる意見、子どものがんは謎 ↓
・検査の経緯、住民の不安の声→準備不足 ↓
ウクライナの事例、国管理の検査体制 ↓
NPOインタビュー 「ずっとケア必要」 ↓
・アンケートの声 「患者の気持ち分かって」 ↓
・向き合おう
(終)

となります。
パターンとしては、不安→疑問→原因究明→新たな不安→原因不明、希望が見出せたかと思えば突き落とす、この繰り返しです。
結局最初から最後までずっと不安感情ばかりがつきまとう形となり、番組中で取り上げたアンケート結果のグラフの印象などから、多くの福島の保護者達は今も尚不安の只中にいるかの様な錯覚に陥ってしまいます。

  

また前編で紹介された、健康調査中間取りまとめの部分で示された甲状腺被ばく線量のグラフについても、自分には作為的なものを感じます。

  

これは、福島県の「県民健康調査中間取りまとめ報告(PDF)」の2ページ目の※2で資料として示された、「第22回検討委員会資料(PDF)」の最後の部分から番組が独自に作成したものです。



番組で示したグラフは資料のグラフを機械的に横に繋ぎ合わせただけですが、よく見るとこのグラフの横軸は「対数表示」であり、縦軸の人数は「パーセント表示」となっています。
前回エントリーでは文字数制限の都合上この部分のナレーションはカットしましたが、実際の番組は、

チェルノブイリ事故の際に、11万4000人を対象に調べられた甲状腺被ばく線量の分布です。



ベラルーシウクライナの汚染区域では、200から500ミリシーベルトの人が最も多いと報告されています。
一方福島では、複数の推定値が発表されていますが、いずれも80ミリシーベルト以下と見積もられています。



チェルノブイリ事故と比べて被ばく線量が小さい事から、福島では放射線の影響とは考えにくいと言うのです。

という内容でした。
番組内で語られた11万4000人という数字から別の資料を探してみましたら、原子力規制委員会が公開している「チェルノブイリ原発事故に関する調査レポート(平成25年9月)」(PDF)という資料を見つけました。
この資料の35ページ目に福島との比較グラフが載っています。

  

縦軸の母数はチェルノブイリは11万4000人(大人・子供含む)、福島は子どもだけで1080人、この50%となれば、チェルノブイリは52000人、福島は540人とケタが違う事がよく分かります。
そして横軸の放射線量についても、福島の方は整数倍でチェルノブイリの方は対数倍数表記になっています。
専門家が見る学術資料としてならばこのままでも分かるでしょうが、流れ去る映像の形で一般の視聴者に示すものとして、スケールがまるで異なるものをただそのまま繋ぎ合わせて一つとし、結果福島とチェルノブイリがさほど変わらないような印象を抱かせている事に、制作スタッフは誰も気付かなかったのでしょうか。
(どなたか、ぜひ同一スケールでグラフを示してもらえればと願うものです。)

ちなみに、肝心の甲状腺検査対象である子どもだけの比較については、2013年に環境省が発表した資料(PDF)の中にこう書かれています。
(情報はHN:酋長仮免厨 さんからご提供いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。)

> 事故後2週間の時点でのスクリーニング調査は、甲状腺線量が高いと予想された川俣、いわき、飯舘の15歳以下の1080人の子どもたちに対し、サーベイメータを用いて行なわれたものです。
その結果、原子力安全委員会(当時)が設定したスクリーニングレベルを超える子どもはいないこと、検査を受けた子ども全員が50ミリシーベルト以下であることがわかりました。
 国連科学委員会(UNSCEAR)によるチェルノブイリ原発事故での甲状腺被ばく線量に関する解析では、50ミリシーベルト以下の線量域は最も小さい線量域として扱われています。小児甲状腺がんの発生の増加がみられたベラルーシでの小児甲状腺被ばく線量は、特に避難した集団で、0.2~5.0あるいは5.0シーベルト(引用者注 200~5000あるいは5000ミリシーベルト)以上といった値が示されており、福島県で調査された甲状腺の線量より二桁も大きい値となっています。

(強調は引用者によります)

この様に番組では、子ども達の被ばく量そのものについての具体的な数字がまるで示されぬまま、ただ「被ばく」という言葉だけが繰り返され、結果ただ不安感ばかりが増幅されるという形になっているのです。

後半(その2)では「チェルノブイリ20年国際会議」の模様も紹介されますが、そこでも、

それまでの研究成果から、事故による被ばくが子どもに甲状腺がんを引き起こしている事が国際的に認められたのです。

と、ただ被ばくが甲状腺がんの原因という情報だけがナレーションで語られるだけで、肝心な【被ばく量】についてはここでも何も示されません。
がんと診断された保護者のインタビューでも、そこで語られるのはただ「被ばくしたかどうか」だけで、一番重要なはずの「被ばく量」については前編のあのグラフの所で一瞬触れただけで、その後具体的な数値として番組内で示される事はとうとうありませんでした。

検査人数についても、38万人というのはあくまで検査対象者の数で、実際の検査者数は一巡目は約30万人(81.7%)、二巡目は27万人(70.9%)と減っていて、しかしながら「B」判定となった子どもの数は、一巡目、二巡目とも0.8%と同じ比率となっています。(→「福島復興ステーション『県民健康調査の概要』」より)。
この数値についても番組内で具体的に語られる事はなく、ただ二巡目以降もがんと診断される子どもが出てきているとするだけでしたが、NHKはこの数値については果たしてどう思っているのでしょうか。

  

番組内で紹介した240人のアンケート意見の中では、このままの体制で「続けるべき」が75%を超えていましたが、実際は甲状腺検査を受けた子どもの数は約30万人、保護者の数は単純に見積もってもその倍、約60万人となります。
果たしてこの人達の75%、およそ450,000人もの保護者の人達が皆、このままの検査継続を望んでいるのでしょうか?

今回の特集でNHKが報じたのはあくまで現在の「検査体制」そのものに生じた疑問であり、それを視聴者に訴え、今後の制度のあり方を考える上での資料も提示した事はまだ評価出来ます。
しかし、肝心の「被ばく量」そのものをスルーしてしまったがため、せっかくあれほどの取材をしたにも関わらず、ただ不安感ばかりが印象付けられるだけの番組となってしまったのは残念でなりません。

個人的な感想としては、現在のままの甲状腺検査を進める事に対しては確かに疑問を感じます。
検査を続ければ続けるほど、過剰診断の事例が増えていく事が予想されるからです。
後半冒頭に登場した青年はこう語りました。

 「実際がんになると分かるんですけど、自分の中にがんがあるというのはすごい嫌な状況なんですよね。また同じ所にできるんじゃないかという不安はありますね。」

検査など受けず、初めから何も知らなければこんな思いを抱く事もなく彼は平穏に暮らしていたはずで、このまま検査を続けていけば、こんな思いを抱く若者がこれからも着実に増えていくのは間違いありません。
ウクライナの事例の様に、甲状腺検査はどうしても不安な人については今まで通り、後は各自の選択に任せるとしてももう良いのではないのか、そんな思いを抱きます。
後編の内容をじっくり見直してみると、実は番組自身も暗にそう訴えているかの様に感じてくるのですが、それは自分一人だけの甘い認識でしょうか。

不安感いっぱいの演出方法やツッコミ所多々の番組でしたが、それでもまだ、以前見た「あの番組」よりははるかにマシであったというのが、偽らざる今の自分の気持ちです。

(終わり)



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「「甲状腺がん特集」をぜひテレビで 」

(参考)
福島県県民健康調査検討委員会 「県民健康調査における中間取りまとめ」(平成28年3月)(PDF
・第22回福島県「県民健康調査」検討委員会 資料6より「福島原発事故における甲状腺被ばくの線量推定」(PDF
環境省放射線による健康影響等に関する統一的な基礎資料 平成26年度版」 より「第1章 放射線の基礎知識と健康影響(p.109)」(PDF
原子力規制委員会チェルノブイリ原発事故に関する調査レポート」(平成25年9月)(PDF
環境省放射線による健康影響等に関する統一的な基礎資料 平成27年度版」より「第5章 国際機関による評価」(WHO報告書とUNSCEAR2013報告書)(PDF