杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

2月15日の報ステ報道とNHK解説

前回の記事では、2月15日放送の報道ステーション内で、3月11日に甲状腺がん特集を行うとの予告がなされた事を書きましたが、あの時点では当日の記憶だけに頼って記事を書いていました。
その後ネット内で当日の放送内容を確認し、自分の記憶違いであった部分も確認出来ました。
あれから、いずれネット情報は削除されると思い、そこで備忘録も兼ねて文字起こしをしていたのですが、じっくり見てみるとこの時の内容はニュース報道と言うよりも、委員会への不信感を誘導する煽りドキュメントに近いものであったと改めて実感した次第です。
(この日この放送を見た私は気分を害してテレビを消してしまったがために、この放送を「終了間際」と思い込んでしまった訳でした。)
今回は、改めて当日の放送を再検討してみて感じた事などを述べていきたいと思います。

問題の放送は、アカデミー科学技術賞で日本人の中垣清介さんが受賞したというニュースの後、突如深刻な表情になった古舘伊知郎アナのこんな「語り」から始まります。
(以下、古舘伊知郎は「古舘」、ナレーションは「ナレ」と略します。尚、強調は引用者によります)
古舘  福島、ずぅ~っと若者、あるいは子供、検査をしております。甲状腺がんが増えてきているんですね、数を見ても。
(テロップ:〔放射線の影響は…/甲状腺「がん」「疑い」167人に〕)
 このことに関して今日はそんなに長い時間ではありません、委員会の座長初め、どういう言葉を発していらっしゃるか、ちょっと聞いていただきましょうか。
この後、福島県で行ってきた甲状腺検査の概要と、2月15日の「県民健康調査検討委員会」(放送では「有識者会議」)の発表内容がナレーションによって語られます。
ナレ 2011年10月から続いている、原発事故当時18歳以下だった子供達への甲状腺検査。
  すでに1順目を終えて、1度受けた子供達への2順目の検査が行われているが、これまでに全部で167人ががん、またはがんの疑いである事が、今日福島県有識者会議で発表された。
  このうち、2順目で新たにがんまたはガンの疑いとされたのは、51人に達している。


そして検討委員会の座長の報告が、黄色のテロップ入りで紹介されます(〈 〉囲み部分はテロップでカットされた実際の発言)。
福島県「県民健康調査」検討委 星 北斗座長(福島県医師会副会長)〕
(テロップ)
  チェルノブイリとの比較の線量の話
  〈或いは〉被ばく当時の年齢などから考えて
  これらのがんにつきましては、
  放射線の影響とは考えにくいという見解を
  このまま継続する形に 今日の議論としては
  委員会としてはそうなったと理解しています。

   (引用者注:赤文字部分、実画面では赤文字白フチ表記で強調)
そして以下の様なナレーションが続きますが、それは果たして、これがニュース報道と言えるものなのか大いに疑問が湧くものでした。
ナレ この会議では、チェルノブイリ事故と比べて放射線量が低いことを根拠に答えを出すが、それでいいのか。
  今日の会合では、被ばく医療の専門家が被ばく線量の問題について説明した。

「それでいいのか」

これは通常、「特集」や「ドキュメント」内で視聴者側に問題提起する場合に使用される表現であって、今まで多くのニュース報道を見てきましたが、事実を知らせる「報道」の中にこの様な文言を加えるのはあまり見た事がありませんでした。
ためにこのニュースを見た時は、これは「報道」ではなく、「ドキュメントの予告編」であると認識した次第です。
そしてこの文言は視聴者に対し、検討会の報告そのものに不信感を植え付け、その後の委員の発言にも疑いの眼差しを向ける様誘導されるものとなっているのです。
福島県「県民健康調査」検討委 床次 眞司委員(弘前大学被ばく医療総合総合研究所教授)〕
(テロップ)
  不確かさが常につきまとっている
  という理解の元で
〈ですね〉
  ただ総じて言えば 〈この〉福島の事故における
  甲状腺被ばく線量
〈というもの〉
  チェルノブイリ事故に比べて
  小さい
〈という〉ことは言えるだろうと〈いう風には〉考えます
そして画面は、発表された資料の問題箇所だけをピックアップして、こう語り始めるのです。
ナレ 有識者会議では原発事故から5年を機に、中間報告を取りまとめようとしている。
 その最終案では、今までに見つかった甲状腺がんについて、

放射線の影響を完全に否定出来ないとしつつ、

チェルノブイリ事故との比較を元に、やはり放射線の影響とは考えにくいと明記しているのだ。
その後映像は記者との質疑応答画面となりますが、他の質問については何も触れず、ここでは委員会への不信感がクローズアップされる質問ばかりがチョイスされます(質問部分は白文字テロップ)。
Q.(チェルノブイリと)比べて
  低いだろうというので
  「(放射線の影響とは)考えにくい」とは
  何も検討していないのではないか

星 私が個人的に言っているように
  おっしゃるかもしれませんが
  専門家を含めて
  部会でも議論してもらい
  ここでも議論したうえで
  そういう話をしているわけですから
  様々なデータも
  示しているつもりであります


Q. (不明点を)明確にしてから結論を
  出すべきだと思う
〈のです〉が なぜ評価を急ぐの〈でしょう〉

星 結論を出したという意識ではありません
  分からない点があるのは確かです
〈ですから〉
  調査を続けて 〈そしてそういった〉結果で
  必要なときは必要な形で議論し
〈もちろん〉
  そのうえで評価を改める時が来れば
  改める時が来るんだと思います
そしてこの「報道」の後、古館アナはこう占めくくるのです。
古舘 分からない訳です。分からないんだったらどうしてチェルノブイリと比べて線量が低いから考えにくいという結論になるのでしょうか、結論と言うか答えになるんでしょうか。
 そこが分からないので、5年目になります来月の11日、3月の11日、この報道ステーションの中で、甲状腺がんについて特集を組む構えでおります。
普通のニュース番組では、まず取り合えず「事実」のみを伝え、その後キャスターやコメンテーターらが今の報道内容についてコメントするという形が一般的であり、その中で疑問点を指摘するというのならまだ分かります。
しかし、ニュース報道の中でこの様な疑問を表明するという手法は、果たして報道のあり方としてはどうなのかという疑問が残ります。

 「それでいいのか」

これは実に便利な文言で、どんなニュースにでも最後にこの一言を付け加えるだけで、その局がさも弱者側に立つ正義の味方の様なイメージを植え付ける事が出来てしまいます(試しに気になるニュース報道の最後に、この文言を入れて読んでみて下さい)。
でもこのやり方は「報道」というものではなく、あからさまな「世論誘導」ではないでしょうか。
最近新聞では「署名記事」というものが増え、記事内容に記者自身の責任を持たせる姿が見られますが、ニュース番組では、誰がそのニュース原稿を書いたのかはまるで分かりません。
この意見が原稿執筆者個人のものなのか、番組ディレクターのものなのか、それとも局全体の意思なのか、それが明かされぬまま、ただ「胡散臭い」というイメージだけを植え付け様とするだけならば、それはもう「ニュース報道」ではありません。
私がこのニュースを見た後、これを単なる「予告編」としか捕えられなかったのは、こういう事由に拠るのです。

このニュースについては2月17日に、「NHK時事公論」で土屋敏之解説委員によって改めて語られましたが、そこではあくまで「現時点までに判明した事実」のみが冷静に伝えられ、最後は彼自身の言葉でこう締めくくられています。
がんのリスクが、今後いくらかでも存在すること自体は、否定はできません。経験の無い原発事故によるリスクを住民の方たちが不安に感じるのは当然のことだと思います。

だからこそ行政には、何よりも丁寧な説明が求められます。「放射線の影響とは考えにくい」とするだけで、十分な説明をしなければ、多様な情報があふれる今日では、かえって行政への不信や不安を生みかねません。
リスクはどの程度なのか?いま何がわかっていて、何はわかっていないのか?率直な説明を続ける姿勢こそが、結局は多くの人の「納得」と「安心」につながるのではないかと思います。
同じニュース素材を扱いながら、片や「行政への不信感の増幅」、片や「「納得」と「安心」への、行政への提言」としている事が、実に対照的で興味深いものとなりました。
私自身としては、「行政への不信感」や「不安」ばかりを煽って何になるという思いがあり、それよりも被災者自身がもっと前向きになれる様な提言をしてくれる方が、遥かに有意義ではないかと感じています。

「不安を煽る」というのは、自分の主義主張を唱えるのには最も安易単純で、しかしながら最も効果的な手法でもあります。
ネットの存在が大きくなったとはいえ、やはり音や映像などの効果を伴って御茶の間に流されるテレビメディアの影響力は、まだまだ計り知れないものです。
だからこそマスメディアは、こんな安直な手法に手を染めてはならないと思うのですが、残念ながら売り上げ優先・視聴率優先の今のメディアに、そこまで望むのは酷な事なのでしょうか。