杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

11年目

2022年3月11日、11回目の震災の日を迎えました。

今年のこの日は震災当日と同じ金曜日でしたが、過去の記事を見直してみたら5年目の2016年も同じ金曜日でした。↓

それから更に6年が経った訳ですが、今でも当日のあの瞬間は鮮明に覚えています。

 

その日、ぐわんぐわんという強烈な揺れに襲われながら、

「ああ、間に合わなかったか! 店の方ももうだめだろう(震災の2日前、仙台では最大震度5弱の地震に襲われていて(→こちら)、週末防災グッズを買いに行こうと思っていた)。」

とか

「この揺れは尋常じゃない、多分関東大震災級の歴史に残るものだろう。」

とか

「我が家の食料はどれだけ残ってる? 水は大丈夫か。」

など、これから続くであろう被災生活への覚悟を冷静に思っていました。

そしてその時の記憶は11年経っても忘れる事はないし、多分これからもきっとそうでしょう。

 

内陸で震災を経験しただけでもそうなのですから、多くの犠牲が出た津波被災地なら尚更の事です。

復興で元の街並みが忘れ去られるほど変貌しても、あの日の思いは何年経っても忘れる事はないだろうし、そこに残された震災遺構には津波の恐ろしさばかりではなく、平凡な日常が突如失われてしまった悲しみと喪失感が感じられます。

 

近年はコロナのおかげで出歩く事はめっぽう減ってしまいましたが、それでも折に触れて震災遺構には訪れる様にしてきました。

震災から10年目の昨年、GWに訪ねた「気仙沼市復興祈念公園」。

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気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」は2回目の訪問です。

 

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そして8月、「石巻市震災遺構大川小学校」は10年目になってようやく訪ねる事が出来ました。

 

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これからもまた、被災地と震災遺構は訪ね歩くつもりです。

令和元年には岩手県陸前高田に新たな伝承施設が出来ましたし、4月には石巻市門脇(かどのわき)小学校が新たな震災遺構としてオープンする予定です(→こちら)。

震災遺構はただ震災の記憶を留めるだけではなく、その周辺の変わりゆく被災地の姿を通じ、そこに住む人々の明日への願いも同時に感じ取るべき場所でもあると思うのです。

 

2022年3月現在、海の向こうでは「大国の侵略」という信じられぬ悲惨な出来事が起きています。

何気ない日常が突如奪われてしまう喪失感と悲しみは、あの日を体験したからこそ我が事として共有出来るし、尚且つこれが自然災害ではなく一国家のエゴとして行われた災厄という不条理に日々怒りを抱いています。

 

おかげで純粋に震災に思いを寄せる事もままならず、そんな心騒ぐ中で11回目の震災の日は静かに過ぎて行ったのでした。