杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

東電はトリチウム分離技術を募集している

8月24日、予定通りALPS処理水の放出が始まりました。
案の定予想通り(或いは予想以上)の反応が中国から沸き起こりましたが、漁業者達の不利益にならぬ様国は責任をもって対応して欲しいと共に、我々消費者も苦しい漁業者を応援していかねばと強く感じます。

29日付のニュースでは、放流が決定された22日から27日までにいわき市ふるさと納税の寄付が通常の4倍に跳ね上がり、「常磐もの」を食べて応援するという嬉しい話題も紹介されていました。

そんな中、ちょっと見過ごせない記事を見つけました。

それはトリチウムの分離技術についての記事ですが、どうも大分事実誤認をしている様な内容だったので、ちょっとここで取り上げたいと思います。

日韓ゲンダイDIGITAL (8月29日6:00配信)

記事内容は、2018年に近畿大学の研究チームがトリチウム水の分離・除去に成功したと発表しましたが、(以下引用、強調は引用者によります)

それから5年、研究チームは品質改良を進めているが、実用化を阻んでいるのはナント、政府と東電である

 さらなる研究のために政府系の補助金を申請すると「まだ実験室レベルでの研究」として突き返され、東電に福島第1原発敷地内での試験を打診しても、協力を得られなかった。

として、こう記事は続きます。

これでは宝の持ち腐れだ。せっかく画期的な国産技術が芽生えているのに、政府や東電の行動はその芽を摘もうとしているのに等しい


どうもこの記者の方は、トリチウム分離技術についての周辺状況については何も分かっておらず、ただ政府・東電を悪者にしたいだけの様です。

 

ALPS処理水の処分方法については、一般的にはトリチウムだけは除去する事は出来ないとされていますが、実はトリチウムの分離技術がある事はかねてから国も東電も把握しており、処理水放出方法の検討段階ですでに「トリチウム分離技術検証試験」として候補を選んで実証試験も行われ、その結果は2016年4月19日付でこちら(PDF)に公開されています。

〈カテゴリA〉では実際に小規模プラントを構築して、CECE 法、水蒸留法及び両者の組み合わせの3通りの技術の実証試験を3事業者で、〈カテゴリB〉は実験室レベルでの試験でしたが、いずれも福島第一原発の現場では使える段階ではないとの結論が出ています。

(参考:【トリチウム分離技術の検証のための実証事業】(PDF))

 

2018年に近大の研究が発表された時は、これぞトリチウム分離技術の大発見という様な騒ぎとなり大きな期待が寄せられた事は事実ですが、この時点ではあくまで基礎研究の段階で実現には程遠い状況でした。
その後東電は、2021年6月からトリチウム分離技術の公募を開始しましたが、その事業は第三者機関の「ナインシグマ・ホールディングス」に委託するという形をとっています。

その公募の中で、東電はその背景をこう述べています。

福島第一原子力発電所のALPS処理水等に対して、実用化のレベルに達しているトリチウムの分離技術は現時点において確認されていませんが、東京電力は、トリチウムの分離技術に関する新たな技術動向について、継続的に注視することとしています。

 

12月、東電が委託した外部機関「ナインシグマ・ホールディングス」が提出された11件の提案の技術検討を行うとのニュースが報道されました。

 

その検証結果は2022年3月10日付の下記の資料(PDF)で公開されていますが、いずれも

直ちにALPS処理水等に対して実用化できる段階にある技術は確認されていない。

と却下されています。

【ALPS処理⽔等からトリチウムを分離する技術の公募に係る第1回募集の⼆次評価と第2回募集の⼀次評価について】

ちなみに、実際の提案総数は65件(国内42件、海外23件)、そこで1次評価が行われて2次評価に進んだのが11件(国内4件、海外7件)という結果でしたが、資料ではこの時の一次評価項目も公開されています(PDF p.6)。

• 以下の必須要件は、応募時点で全て満たすことを求めるものではなく、将来的に満たすことを求めるもの

〈必須要件〉
[分離・測定]
次をすべて満たしていること
トリチウムの処理後の濃度が、処理前の1/1,000以下である
(応募時点においては、国のトリチウム分離技術検証試験事業で求められた分離能力である1/100以下を期待する)
トリチウム濃度測定系の信頼性が説明できる
• 試験系全体のトリチウム収支が明確である
[処理能力]
• 目標とする運転能力(50〜500㎥/日)まで拡大可能な技術的見通しがあること

〈推奨条件〉
[原理]
次のいずれか(もしくは双方)を満たしていること
• 分離技術の原理が、学会等で広く認められている
• 分離技術の原理について、査読付き論文に記載されている等、第三者から認められている

その後募集は半年毎に行われ、
第2回募集2021年10月1日~12月21日

 提案総数22件(国内13件、海外9件)、一次通過2件(国内0、海外2件)

第3回募集2022年1月1日~3月31日

 提案総数13件(国内8件、海外5件)、一次通過1件(国内1件、海外0)

第4回募集2022年4月1日~6月30日

 提案総数10件(国内8件、海外2件)、一次通過0件

第5回募集2022年8月1日~10月31日

 提案件数14件(国内12件、海外2件)、一次通過0件
という結果となっています。

(2022年12月26日付 【ALPS処理⽔等からトリチウムを分離する技術の公募に係る第5回募集の⼀次評価等について】(PDF)より)

ここで重要なのは、評価判定しているのは東電ではなく「ナインシグマ・ホールディングス」という第三者機関であるという事です。
東電が行うのはあくまで技術の募集であり、その技術的評価はすべて外部機関に委ねているのです。
ここには国内技術だからとか海外だからなどと言う区別はなく、一般競争入札と同様の技術競争があるだけです。


そして本年2023年7月からは第三者機関を株式会社三菱総合研究所に移し、12月末までの期間でトリチウム分離技術の一般公募を行っています。

ここで求められている技術要件は下記の通りです。
「求める技術の詳細」(PDF)

以下の要件について、応募時点で全て満たすことを求めるものではありませんが、将来的に全て満たしうる技術の提案を求めます。
【目標とする設備性能】
100,000~1,000,000Bq/Lのトリチウムを含む処理水を1000Bq/Lまで低減し、50~500m3/日を安定的に処理できる設備性能を目標としうること。
【原理】
次のいずれかにより証明されていること。(特許取得のみは不可)
・ 当該技術にかかる科学的原理が、学会等で広く認められている
・ 分離技術の原理について査読付き論文誌に記載される等、期待される性能が発揮されることを第三者が確認している
【分離技術】
トリチウムの分離処理後の濃度が、処理前の1/1,000以下であることが期待できること。
・ 実験データ等により、分離処理前後のトリチウムの収支およびその物理的状態を説明できること。
➢ 分離処理前の処理水の物理的状態、物量、トリチウム濃度
➢ 分離処理後の減損側の物理的状態、物量、トリチウム濃度
➢ 分離処理後の濃縮側の物理的状態、物量、トリチウム濃度
【測定技術】
・ 分離処理前後のトリチウム濃度測定系の信頼性が説明できること。
【処理能力】
・ 目標とする運転能力(50~500m3/日)まで拡大可能な技術的見通しがあること。
・ 実績があればその時の条件を具体的に示せること。
【その他】
・ 所有権の可能性(独占権、優先権など)に支障をきたさないこと。

ここで注目すべき項目は「1000Bq/Lまで低減」という所です。
本来トリチウムを取り除くと言うならば求めるのは0Bq/Lであるはずですが、技術的にそこまで求めるのは尚更実現不可能という事から、逆に実現可能レベルであり海洋放出基準である1500Bq/Lを下回る数値を提示したと想像できます。
この条件から見ても、現在の技術でトリチウムを0にするのはいかに難しく、結局最後は1000Bq/Lまで低減した処理水をそのままか或いは更に薄めて海に放出するという事しか出来ないという訳です。

 

近畿大が開発に成功したと発表して注目を集めたトリチウム分離技術のその後がこちらの記事で紹介されていました。

福島民友新聞2020年6月30日 【風評の深層・処理水の行方】農業者は願う...納得の「選択肢」より以下引用)

 【分離技術】実用化に時間と経費

 トリチウムを水から分離する技術を巡っては、2018年、近畿大が開発に成功したと発表して注目を集めた。

 同大は、超微細な穴がたくさん空いた「多孔質体」のフィルターに注目した。気体にしたトリチウム水をフィルターに通したところ、実験レベルでかなりの高確率で通常の水と分離できることを確認した。第1原発での使用を視野に、実用化への検討を進める考えを示していた。

 同大原子力研究所の山西弘城教授(57)=環境放射線=に状況を聞いたところ、より大量のトリチウムの処理を目指すため、現在はフィルターではなく、顆粒(かりゅう)状の「多孔質体」を使った分離に着手しているという。ただ「実用化にはまだまだ多くのステップを経なければならない。時間も経費も必要だ」と指摘する。

 また、山西教授は「分離に成功してもコストはどうなのか、トリチウムや吸着に使った素材をどう処分するかなどの議論が必要」と語った。

 

トリチウムを分離する技術は確かにあります。
ただ問題は、それが福島第一の現場で使えるか否かなのです。
世界では様々なトリチウム分離技術は開発されていますが、ALPS処理水はあまりにも多い処理水の量に比して、トリチウムの量はあまりにも少な過ぎるのです。

トリチウムだけは取り除けない」

という事は、世界にはトリチウムを取り除く技術などないという事ではなく、福島第一原発の現場では使えないという事を意味しているのです。↓

 

(2019年12月20日付 テクノブリッジ 【ALPS処理水(トリチウム水)処理のシナリオ】(PDF)より)

 

2022年12月15日現在、タンク貯蔵処理水量132万トントリチウム総量約780兆Bq


1兆ベクレル≒0.019g(トリチウム水)
780兆ベクレル=780×0.019=14.82g(≒大さじ一杯分)


132万トンの中にはわずか大さじ一杯分のトリチウム(つまり、一千トンタンク一基の中に水滴1~2滴分)しか含まれておらず、これを考えてもそこからトリチウムだけを分離するのは至難の業だという事が分かります(正直、個人的には意味のある作業とは思えません)。

 

よく情報番組のコメンテーターなどが、
トリチウムを分離する技術はあるのだから、なぜ東電はそれを使わないのか!」
などと国や東電を批判する姿が見受けられますが、これこそ現場を何も知らない者のいちゃもんでしかない事がよく分かるというものです。

 

巷では今、メーカーが争って自動運転の開発が行われており、実験室レベルから始まって現在はようやくレベル3の車が販売されるまでになりました。

でも原発の現場が今必要としている技術はレベル5なのです。

 

今すぐに実用可能で恒久的に使える技術、処理水のトリチウムを分離するにはそれほどの高いレベルを必要としていて、実現は一見不可能の様に思ってしまいます。
でも技術の進歩は日進月歩です。
汚染水処理においても当初はセシウムしか除去できなかったのが、2013年国産の多核種除去設備 (ALPS)の登場により62種の放射性物質が除去出来る様になり、汚染水の浄化は大きく進みました。

あれから十年、当初ボツとなっていたトリチウム分離についても次々と新たな技術が開発されています。
だからやがて近い将来、現場で使える画期的な技術が登場すると僕は信じています。

近畿大のグループも実証試験に向けて更なる研究を期待したいし、国も企業も大学の研究としてもっと支援してもよいと思うし、やがては分離技術の募集に応募して一次評価の通過を目指してほしいと望むものです。


ただそれでも、トリチウムを完全に0にする事は出来ない事だけはよく承知しておくべきです。
その事を十分国民に周知徹底し、あらぬ風評など起こさぬ様にするのが国とマスコミの大きな責任なのです。

 

さて問題の記事です。
記事の後半には原発問題に詳しいというジャーナリスト横田一氏の談話が紹介されています。
そこで彼はこう述べています。

トリチウム除去を巡っては近大の研究チーム以外にも、民間からさまざまな技術提案がなされていますが、政府も東電も一顧だにしません理由はALPSなど海外の権威ある技術を使っておけば失点につながらないという保身でしょう。リスクを恐れず、新たな技術に挑むのが本来のあるべき姿です

 

これまで紹介した通り、分離技術を審査判定しているのは国や東電ではありませんし、東電が求めているのは現場で使える技術です。
これまで募集した技術は東電の求めるレベルには達していないというだけで、今後一切分離技術は使わないという訳でもありません。

東電のトリチウム除去技術についてのスタンスはこちらの記事でも紹介されています。

(以下引用)

須田)それを進める一方で、いまは安全基準に達しているものを放出していこうという、第一段階の判断なのです。次はトリチウムを「除去できるか、できないか」というところを試みていく。今後、永遠にトリチウムが入っている処理水が出ていくわけではないのです。

飯田)第一段階としての海洋放出である。

須田)近隣諸国に対して安全認識を持ってもらうためにも、やる必要はないのだけれど、「やらないよりはやった方がいい」という意識で、次のステージではトリチウムの除去に入っていくということです。

 

正直、これまで紹介した内容はすべてネット内に公開されているものばかりで、誰でもアクセスして確かめる事が出来るし、中で紹介した資料等は探せば1時間ほどで苦も無く見つかるものばかりです。
そんな作業すら行わず、今は国民が漁業者を守るために協力すべきこの時に、ただ国・東電を悪者にしたいだけのジャーナリストの妄想発言を、何も考えずにアップするだけのマスコミの姿に僕はただただ情けなく、つい悲しくなってしまうのです。