杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

『虚構新聞』騒動を見て感じた事

2、3日前からネット界隈で、『虚構新聞』というパロディニュースサイトが発したネタニュースが物議をかもしていて、ちょっとした炎上騒ぎとなっています。
この騒ぎに対して、どうも『虚構新聞』批判派と擁護派の対立の構図みたいなものが出来上がり、それが更に議論を熱くしている感もあります。
で、そんな話題に私も便乗と言う訳ではないのですが、この騒ぎのそもそもの始まり部分を私は知らなかったので、一体なぜこんな騒ぎになったのかという周回遅れの疑問に私はずっと捕われているのですね。

ここで私個人が、このネタニュースにどう接したかを紹介してみたいと思います。
私自身はニュースを見るのが好きで、ネットに入る時はまずあちこちのニュースサイト巡りから始めるのを日課としています。
この日、5月14日の夜もいつものようにニュースをつらつらと眺めてからmixiで友人達とダベリング、そして自分の主な情報ソース元である「はてなブックマーク」を覗いたのです。
そこでこんなタイトルを見つけます(見つけた時はまだ一人しかブクマしていませんでした)。

  

「あっれ~、さっき見たニュースサイトではこんなニュースなんかなかったけど…、ええ? ツィッター義務化? マジっすか!」

なんて、この見出しだけ見て思わずどこぞのスクープかと思って早速クリックしてみると、私のPCにはこんな画面が現れた訳です(クリックで拡大)。

  

で、人間というのは面白いもので、ある事を一度思い込んだら周りが見えなくなってしまうのですね。
この画面が出てきたらまず視界に入ったのがこのタイトルの訳です。

  

画面全体ではなくこのタイトルだけに目が行ってしまったのは、「はてブ」で見たタイトルの文言にそのまま誘導されてしまったからで、以降頭の中はこのタイトルに支配されたまま記事本文を読む事になったのです(クリックで拡大)。

  

「ほうほう、小中学生にツイッター学習の時間、これは良いかも、いやツイート義務化?そこまでは必要ないだろ。」
などとツッコミながら記事を読み進めていくうち、視界の端っこにこんな広告が入り込んできました。





「え? 『虚構新聞』? ひょっとしてこれって…」
そしておもむろに画面をトップに戻してよく見ると、


 どぉ~ん!






「なんだよこれ、『虚構新聞』じゃん!
 ちっくしょ~、やられちまったぜ、あ~あ!」


なんて感じになっちゃいまして、そしてここで改めてサイト全体をつらつら眺め回し、よくぞここまで作り込んだもんだなぁなんて逆に感心しちゃったりしたのですね(クリックで拡大)。

  

私個人的にはこれでちゃんちゃん♪という具合に終った訳なのですが、ところがこの後色々見てみた所、このネタニュースを間に受けてしまった人が多数いて、あろう事か市役所の方にまでクレームをつけた人まで出てきてしまい、そしてあの炎上騒ぎとなっている事を知る訳です。

各所で行われている議論を見てみますと、結局ネタを笑える人と笑えない人との対立という構図の中で、騙された方が悪い、いや『虚構新聞』が悪い、いやそれを見てバカにする奴がもっと悪いなどという、言わば今回の騒動が「良い悪い議論」に収束されてしまっている様に見えるのですが、私個人としてはこういう議論の前にもっと確認したい疑問が浮かんでくるのです。

それは、このネタニュースはそもそも初めから架空のネタですから、当然普通のニュースサイトになどは登場しない訳です(現に私自身がそれを確認しています)。
前に紹介した通り、私は「はてなブックマーク」でこの存在を知ったのですが、それではこれを信じてしまった人達は、一体どうやってこの架空ニュースの存在を知ったのでしょうか?
そしてその人達は、私が行った様にこのニュースサイトをちゃんと見たのでしょうか?
もし見ていたのならばなぜ私と同様の反応をしなかったのか、例え『虚構新聞』の事など知らなかったとしても、そもそも『虚構新聞』というタイトルを見て何かおかしいとは感じなかったのだろうか? などと、こんな疑問が次々と湧いてくるのです。
批判の中には、「虚構新聞はタイトルに虚構新聞と明記しろ」というもの(→こちら)などもありましたが、そもそもサイトトップには堂々と『虚構新聞』のタイトルが付けられていますので、この批判自体初めは意味が分かりませんでした。

で、この騒動がツイッター上で広まったという事を知り、
「ああ、またタイトルだけ見て拡散してしまったのか。」
と思い至った訳です。
つい最近こんな記事を読んだばかりだったのですが、今回の事の本質は「ネットの怖さに対する無防備さ」の問題ではないのかと私は考えています。
それは人的にはよくネットリテラシーなどという言葉でも言われますが、それだけではなく、簡単にRTしてあっという間に拡散出来てしまうという、システム上の怖さに対しての無防備さが今回如実に現れた事例であると考えます。
以前「ツリー・オクトパス」に関するこんなエントリーを書いたのですが、この時点では私はまだツイッターにはあまり注目していませんでした。
が、この時示したネットの怖さに今はこのシステムの怖さがプラスされ、それが実際に引き起こした問題として顕著なのが東電原発事故の際のデマ拡散問題と言えると思います。
この時の問題が未だに続いている中、同様の問題が今度はまた違う形で表面化したのが今回の騒動です。
そしてこういう問題は、人間が「思い込み」に捕われるものである限り(私も含めて)、また何度も起きるであろう事は容易に想像出来ます。では私達はどうすれば良いのか?

このネタニュースを信じ込んでしまった人達は、まず私がやった様に、どういう過程で自分が信じ込まされてしまったのかを自己分析してみる事をお薦めます。いやぜひやるべきです。
そしてそういう作業の中から、自分に足りなかったものやネット上でこれから注意すべき点が洗い出されてくるものと思います。
そしてこれを機会に、ネットの中にはこの様なサイトがたくさん存在するという事や、自分のささいな発言もネット上では思いもかけぬ広がり方をするという事を知るのも、ネットの怖さに対する防御体制を備える上で重要な事と私は考えます。
今回の騒動の批判の中で、こういうパロディサイトの存在そのものを批判する意見もありますが、ネット上にはもっと悪質な詐欺サイトが実際に存在しますし、そういうものに引っかかるのを避ける意味でも、今回は良い演習問題であったと理解して、自分とネットとの関わり方を再認識するという具合に前向きに捕えればよいと思います。

そしてここでまた、今回話をややこしくしてるのがこの「パロディ」というものです。
虚構新聞』というサイトは本来パロディサイトである訳ですが、ここを「嘘サイト」とか「嘘ニュース」などと言っている批判も見受けられます。
しかしパロディとは、嘘を嘘として楽しむのが本来の楽しみ方であり、その嘘をパロディとして理解出来るか否かは個人の理解力によって違う訳です。当然それが分かる人と分からない人、笑える人笑えない人がどうしても存在します。
でもこういう、仕掛ける側と仕掛けられる側との真剣勝負というのがパロディの醍醐味であり、見破れなかった人は、
「やられた~」
と言って自虐感に浸るというのもまたパロディの楽しみ方であり、それを嘘だからどうのと言うのとは話が違うのです。

そしてパロディの根本にあるのは、「批判」と「風刺」です。
今回題材に選んだ橋下市長について、この元ネタは言わずと知れた「君が代条例」であり、この事実を多くの人が知っているからこそ、
「ああ、あの橋下市長ならやりかねない。」
と皆に思い込ませた時点で、今回のネタ記事はパロディとして成功だったのです(私でさえ初めは信じてしまったほどです)。
尚且つこの記事にはそのバックボーンとして、ツイッターのデマ拡散問題に見られる様な、ツイッターの危うさも含まれていると私は見てとります。
実際に今回、この様な形で騒動が起こったぐらい、思わず本当に「ツイッター条例」が出来てしまうのではないかと思えるほど、この様なデマ拡散の問題は現に存在しているのです。

そして尚、これは私だけの思いですが、これほど完璧に作り込まれたサイトの姿そのものが、原発事故以来、誤情報・ウソ情報を流し続けたマスコミそのものに対する痛烈な風刺に見えてしまうのですが、これはちょっと褒めすぎでしょうか。




くだんの『虚構新聞』ですが、このエントリーを挙げようとしたら新たにこんなエントリーが挙がっておりました。
私個人の感想としましては、菅野美穂の名が出てこなかったのが残念でなりません。


(追記)
コメント欄のご指摘により、本文中の「市役所にクレーム~」の箇所は未確認情報のため、訂正させていただきます。