杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

kikulogの復活

10月10日、震災以降しばらく休止していた「kikulog」が復活しました。
顧みれば、菊池誠さんの福島第一原発事故でのメルトダウン発言を巡ってのブログ炎上から始まり、後に菊池さん自身がこれほど福島県と関わる事になろうとはあの時は予想もしていませんでした。
その後の活躍は皆が知る通りですが、以前から彼を知る身としては、
「一体なぜ彼が?」
と思わずにはいられませんでした。菊池さんは放射線の専門家ではないのです。
しかし彼は、目に見えぬ放射線と対峙する時、一体我々に何が必要なのかという道しるべを示す事に、これまで多くの努力を費やしてきました。
そしてその知見は、彼がこれまで追求してきた「ニセ科学」との向き合い方から得たものであると思うのです。

一言に「ニセ科学」と言ってもそれは特殊な一部の話で、世間一般の人達からは無縁の世界だと思われがちです。
しかし「ニセ科学」の実情を知れば知るほど、それを信奉する人々の心理・心情に目を向けざるを得なくなり、そしてそこに誰もが陥ってしまう「構造」をやがて認識する事になります。
今よりも良くありたいという願い、自分のみならず他者も幸せにと願う思い、その思いを共有する喜び。
そんな素朴で純真な心に入り込んでくる「ニセ科学」の姿を目の当たりにし、実は「ニセ科学」とは単なる個別の事象に留まらず、社会の根底に存在する大きな問題である事に気づかされ、私などは思わず途方にくれてしまうのです。

その根底にあるのは「不安」です。

今回の福一原発事故による放射能汚染は、人々に大きな不安と苦しみを与えました。そしてその不安から生じた「不信」により、多くの弊害や実害が報告される事になりました。
しかしそこに至る過程は、まさに人々が「ニセ科学」にはまる過程の縮図でもありました。
混乱の中から人々は、自分の不安をより解消する言説の方に目を向けていきます。そして時にその言説は、実はかえって不安を煽る方向へ導くものであるにも関わらず、いともたやすく人々の心を捕えてしまうのです。
そしてそこでの不安を共有する人々による仲間意識がやがて周辺社会への不信となり、いつの間にか世間からの断絶を生んでいる事に気づかずにいる、そんな人達もこの震災で増えた様に私には見えてしまいます。

本来ならばこの辺りに関する事は、専門の心理学者や社会学者等がもっと前に出てくるべきものと個人的には思っているのですが、いかんせん今回は原発事故と放射線という専門分野に関する事から始まっているため、私には菊池さんが貧乏くじを引いた様に見えていました。
しかし、各々が出来る事をやろうとした時、今までの「ニセ科学」との関わりから得た知見により、彼にしか出来なかった発言が多くの人々に影響を与えたのも事実です(あの断定調の口調から多くの敵も作ったようですが)。
こんな非常時に菊池さんが脚光を浴びたのは、まさに時代の必然であったのかもしれません。

とまあ長々と述べてきましたが、「kikulog」が復活した事で、また以前の訪問先が戻ったという事が何よりであると安堵したのが、個人的な率直な感想です。
これからもまた、ここを訪れる多くの人達の意見に耳を傾けていこうと思います。

「kikulog」→http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/