杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「自己責任」と言えば許される訳ではない

11月2日から3日にかけて、ちょっと衝撃的な話題がネット内を駆け巡りました。
それはお料理レシピサイト「クックパッド」に、
【EM活性液で!】塩麹油麺!
というレシピが載せられているのが発見された事でした。
レシピ内容は農業用微生物資材である「EM・1」を調味料代わりに使うというものでしたが、昨日からのTogetterのまとめなどを見て通報が行ったのか、幸いその記事は現在サイトからは削除されています。

私は今回の騒動をリアルで目撃していましたが、そのレシピの中で語られていた「自己責任」という言葉に大きな違和感を感じています。
「自己責任」という言葉は2004年に起こったイラクでの人質事件の際に大きな議論ともなりましたが、ただ今回の場合はそれ以前に、その使われ方自体がおかしなものだったからです。
通常「自己責任」と言う場合、周りからその危険性が指摘されたり注意喚起が行われているにも関わらず、敢えてその忠告に逆らって行動する場合の『当人が抱く責任』を指します。
しかし今回の場合、投稿者はそのレシピを皆に薦め、その中で薦める相手に向かって敢えて「自己責任」と言っているのです。

そもそもクックパッドに投稿するという行為も、それはただ自分のレシピを紹介する事だけではなく、出来れば他の人にも試してもらいたいという「お薦め」の意味合いも含み、そのレシピで作った人からの、「美味しい」という反応をもらう事を楽しみにしている人達も大勢いると思います。
つまり、クックパッドに投稿するという行為自体が、そのまま他人に薦める行為であるとも言えるです。
そしてこの様に他人に薦めるという場合、その責任は常に薦める側が負わなければならないと私は考えます。

今回の場合、元々飲用とはされていないEM発酵液を飲んだり食品に混ぜたりする行為は、本来ならば注意喚起が起こされるべき事柄です(それでも当人がどうしてもと言う場合は、こちらとしてもそれ以上とやかく言う事は出来ませんが)。
それを投稿者はここに投稿したばかりか、さらにわざわざ
塩麹、活性液は多めに。 」
とも書いて、その調理法を薦めていた訳です。
(キャプチャ画面 ↓)
 

「危ないから止めろ」などと止めるのではなく、自分でその行為を薦めておきながら「自己責任」を語る事は、それこそ無責任な行為です。

EMの開発者の比嘉照夫氏は、その講演の中でよく「自己責任」という言葉を繰り返します。
他にも例えばこちらでは、
EM運動の目的は自己責任と社会貢献を基軸に幸福度の高い社会作りにある。
と、基本理念としての「自己責任」を述べてますが、その具体例になりますと、
※牛の場合、EMXゴールドの注射は10日に1回30CCで効果的ですが、この場合は、すべて自己責任で行なってください。豚や子牛は、その3分の1~2分の1が目安です。
などと、自分で薦めておきながら「自己責任で」と言っている訳で、これなどは製品を供給する側からの言葉としては非常に無責任な発言だと言われても仕方がない事で、それは何かあった時の「逃げ」でしかありません(同様の事をこちらの方も仰っています)。
EMユーザーは知らず知らずの内に、この比嘉さんの言葉を自分のものとしているのでしょうか。もしそうだとしたら、その考え方は早々に改めなくてはならないでしょう。
EMを飲んだり調理に使うという事は、それはたまたま自分が平気であったというだけで、中にはその事により重篤な病状を発症してしまう人もいるのです(→一例)。

「自己責任」というもの、それは決して自分一人だけの問題ではなく、もしもの時は周りをも巻き込んでしまう「社会的責任」も含む非常に重い言葉であるという事を、これを安易に口にする人はよく自覚すべきです。


(こちらも参照 ↓)
「思いやり>自己責任」
「自己責任」の考察

クックパッドからの引用は、すでに削除されている事でもあるので、必要最低限の流用に留めました。