杜の里から

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Nスペ「被曝(ばく)の森2018」は前よりはマシだったけど

2018年3月7日、もうじき震災7年目を迎えようとするこの日22時25分、NHKスペシャルで「被曝(ばく)の森2018~見えてきた汚染循環~」という番組が放送されました。

 これは2016年3月6日に放送された「被曝の森」の続編として製作されたものですが、結論から言いますと、まあ前作よりはいくらかマシになった程度という感想でした。

帰還困難区域となった阿武隈山地で、動植物への放射能影響の研究を行なう科学者達の姿を追った前回は、徐々に明らかになる放射能の影響を思わせぶりな演出で紹介し、あげくただ不安感が増すばかりの印象だけが残ったというものでした。
今回は続編という事で不安はありましたが、前回よりはいたずらに不安感を煽る様な過剰な演出は控えられていて、その分科学者達の研究報告も前回よりは冷静な目で見る事が出来ました。

番組を進行するナレーションは、きつい印象の伊勢谷友介から大沢たかおにチェンジし、その語り口も出来るだけ感情を押し殺した平板なトーンで、一語一語はっきりと、そして出来るだけゆっくり語るという形に変わり、それがこの番組全体に新たな印象を形作る事になっています。
ただ個人的に言えば、この様なナレーションならばわざわざ俳優にせずとも、NHKの局アナでもよかったのではないかと思うのですが、そこの所の番組編成側の意図はよく分かりません。

しかしながら、途中途中に流れる効果音(音楽も前回同様)と共に、その都度映し出される美しい阿武隈山地の映像など、相変わらずのイメージ先行の演出手法には正直うんざりします。
制作者は多分、人が立ち入れなくなった森の悲しさというものを象徴的に表したかったのでしょうが、地元の人達は皆そんな事は分かっている事ですし、その美しい故郷を失った喪失感を今も抱いているはずです。
そんな人達に対して、この映像は残酷ではないのか? 他人事ながらこの風景を見ると、ついそんな余計な心配をしてしまいます。

番組冒頭のプロローグ、いわゆる【掴み】の部分でも、そこで使われるのは極端に高い放射線量の映像という、相変わらずの演出でした(以下書き起こし中( )内の数字は放映時間、強調は引用者によります)。

原発事故から7年が経つ福島。
夜、立ち入りが厳しく制限された区域のゲートを動物達が行き来している。
キツネ、アライグマ、そしてイノシシの群れ。
ゲートの向こう側、人の住めない世界は一体何が起きているのだろうか。
ここは大量の放射性物質物質が降り注いだ、言わば「被爆の森」。
面積は3400ha、東京23区の半分に相当する。
放射線量は原発すぐそばの森で毎時60マイクロシーベルト。東京などの自然放射線量1500倍だ。


(音楽 瀬川英史
私達は事故のあと、この森で記録を続けてきた。
動物や植物に放射線の影響はあるのか。科学者達が最先端の技術を用い、研究を行なっていた。
人の姿が消えて7年、今ここで新たな事実が次々と明らかになっている。
森の中で放射能汚染が循環するメカニズム、動物の染色体で異変が起きている事が分かってきた。

 研究者  「膨大な犠牲の上に成り立っているこの壮大な実験の中で、何かやっぱり情報を取ってこなくちゃいけない。 法則性を明らかにしていかなくちゃならない。それは次世代のためでもある。」

未曾有の原子力災害が生み出した「被曝の森」。
その森で進む汚染の実態に迫る。



初めは正直またかと思ってしまう出だしでしたが、内容が進むにつれ、これまで報告されてこなかった明るい材料もあった事が分かります。
まず番組冒頭に登場した「原発すぐそばの森」で高線量を示す映像ですが、そこは本当に原発のすぐ隣にある森で、ここは他の場所と比べても最も放射線量が高い場所である事が語られます。

(7:14)
手付かずのままの帰還困難区域。放射性物質は今どうなっているのか、科学者達の調査に同行した。
向かったのは福島第一原発のすぐそばの森。



これまで高い放射線量に阻まれ近づけなかったが、ようやく短時間なら調査できる様になった。
放射線量は毎時60マイクロシーベルトに達する。


そして、そこの土壌のセシウムの状態を調べる日本原子力研究開発機構飯島和毅博士から、森から流れ出す川のセシウム濃度は、飲料水の基準1ℓ当たり10ベクレルを大きく下回っている事が明らかになった事と、そのメカニズムが語られます。

(11:20)
研究チームが考えるメカニズム。
土壌に浸み込んだセシウムは、粘土鉱物の隙間に入り込むなどして浅い部分に留まる。
そのため地下水の層まで到達せず、源流の水は汚染を免れていたのだ。



 飯島 「水の中に溶けている放射性セシウムの濃度というのは、一番高い河川でも1Bq/ℓを下回っている、非常に低い濃度であると。 放射性セシウムどんな森林であっても、ほとんど森林の所から河川には流れていかないという事が分かってきました。」

森がセシウムを閉じ込めるダムの役割を果たし、下流の汚染を防いでいたのだ。

しかしこういう明るい話題から一転、その後は汚染が森の中の生物達に深く浸透し、「汚染の循環」が起きている事例が次々と紹介されます。

昆虫の専門家(茨城キリスト教大学助教桑原隆さんが調査しているスズメバチの巣からは、平均で1kg当たりおよそ1万ベクレルの放射性セシウム濃度が検出され、その原因は木の樹皮にある事が明らかになります。

(14:30)

植物に含まれる放射性物質を可視化した東京大学名誉教授の森敏さんは、カリウムと似た性質のセシウムを植物が吸収する様を紹介します。

(16:40)


(17:08)
 「要するに植物が吸えるセシウムがあれば吸っている訳ですね。という様な目で、風景を見なきゃいけないと私は言いたいんですよね。
 非常にきれいな自然なんだけど、でも我々は見えないものを見なくちゃいけない。」

森さんと、孵化しなかったヤマガラの卵からセシウムを検出した日本野鳥の会山本裕さん、そして桑原さんの3人は、森で見つかったシジュウカラの死骸を分析し、血液が集まる部分が一番汚染されてる事を知ります。

(20:30)


山本 「この映像はびっくりしたんですけど、これは脳の部分にセシウムが入ってるって様子が分かります。
 やっぱり次世代の所でどれくらいセシウムが効いてくるのか、影響があるのかないのかちゃんとはっきりするためには、まだまだずっと見ていかないといけないとこが多いんだなと思いました。」
桑原 「後はもう半減期が長いセシウム137がほとんどな訳で、これはもう中々なくならないという事は分かっている事なので、まあ悲劇的な事が実際に今起きてますよね。」

森の木の汚染を調べてきた福島大学ヴァンシル・ヨシェンコさんは、汚染が木の内部にまで及び、セシウムの汚染の90%以上は土壌にあるとの報告を行い、林業再生に望みをかける住人達は失望します。

(25:40)


セシウムを含んだ木を伐採すれば、森の放射線量は下がると思っていた住民達は衝撃を受けた。
(中略)
住民 「今聞いた話では、植え替えるというとかなり、もう長い年月過ぎなきゃ津島マツって生まれてこないのかな、そう感じますよね。」

番組中盤(27:50)~(33:30)までは、帰宅困難区域となった浪江町津島地区赤宇木で現在も家屋の線量を計り続け、元の住民達に便りを書き続けている区長の今野義人さんの活動や、福島市に避難中の飯舘村長泥地区住民の集まりなどが紹介されます。

(33:35)から後半が始まり、ネズミやアライグマなどの染色体を調べる弘前大学三浦富智さんが、切断された染色体が修復される際に誤った形で修復される「二動原体」をアライグマから見つけます。

そして比較で調べた青森県のアライグマからはそれはまったく検出されず、帰宅困難区域周辺で捕獲されたアライグマからは0.6%の頻度で発見された事が紹介されます。
ここまでで終ってしまうのが前回の作り方でしたが、今回は三浦さんの以下の言葉も紹介しています。

(38:10)
三浦 「異常が出たイコール大変なことが起こっているという事ではなくて、その異常のレベルが頻度がですね一体どういう意味を持ってくるのか、長期にわたってどういう変化をしていくのかって事を追跡調査していきたい。

そしてニホンザルを観察していた東北大学名誉教授の福本学さん。
前回放送でサルの骨髄中の血液を作る細胞に異常を発見しましたが、今回はその続きが紹介されます。

(40:15)(前回映像)

サンプル数は、前回は9匹のサルとしか紹介されませんでしたが、今回は5歳以上のサル18匹から7万個の細胞を数えたと紹介されます。
しかしそこに現れたグラフは…。

(41:00)
その結果だ。
縦軸は血球の基になる細胞の数、横軸は筋肉中の放射性セシウム濃度を示している。
大人のサルでは筋肉中のセシウム濃度が高くなるほど血球のもとになる細胞の数が減少することが確かめられた。


前回放送の時はこんなグラフでした。

   

しかしこちらのグラフは、福本さんの参考メモを元に番組スタッフによって作成されたものでした。
果たして今回のグラフはどれほど正確なものなのか、前回と違う縦軸の数字の差は何を意味するのか、自分にはよく分かりません。
ただ今回の注目点は、細胞が減っていても血液には異常がないというのが分かってきたと紹介された事です。
福本さんは、細胞の減少を補うため細胞から血液への変化のスピードが速くなり、そうして血液を正常に保っているのではとの仮説を立てています。

(42:27)
福本 「何かうまいこと障害に対して個体が対処している状態だと思うんですよ。無理をしている可能性が極めて高いって事です。ですからそれが長い間ずっと続いた場合にですね、うまいこと馴化、慣れてしまうのか、あるいはどこかでこれ以上無理だと破綻をきたすのかというのは今後の問題です。

そして番組では、福本さんが染色体異常を研究している三浦さんと共同で、二動原体の染色体異常を探し出す新たな研究をしている姿が紹介されます。

(44:48)
福本 「まだまだその野生生物の体内には多くの放射性セシウムが残留している訳ですよ。そういう意味で、事故としては過去のものなんですけど、被曝は現在進行中なんですよ。
 本当は何が起こっているのかって事を明らかにしていくのが、我々の仕事だという風に考えているんです。

そして番組は、避難先で「百年後の子孫(こども)たちへ」というふるさとの歴史や文化を伝える冊子を作る、今野義人さんの活動を紹介してこう締めくくります。

(47:45)
今野 「放射能がなくなった時にね、我々の子供たち子孫たちがね、記録誌を見て、あ、こういう風な部落だった、では自分達も帰ってみて、そこを今一度耕してもらいたいという気持ちが、望みなんですよね。
 先祖に思いをはせながら、我々が先祖から受け継いだ農地や家を守ってきた事の様に、そこでみんなわいわいがやがやお祭りとかやってもらって生活してもらいたいなと。そのまま荒地にするんじゃなくて、今一度元の姿に戻して、そこでまた100年過ぎてもそういう風な思いを持っていただければなという風な気持ちですね。」

原発事故によって汚染された森、元に戻るには人間にとって気の遠くなるような時間が必要だ。
汚染の循環がこの地に何をもたらすのか、多くの謎と悲しみを抱えたまま、被曝の森は7年を迎える。

(森の空撮にエンドロール)

(終)

失われた故郷への望郷の思いは確かに胸を打つものがありますが、しかしこの様な番組構成には個人的にはどうしても違和感を覚えます。
タイトルは「被曝の森」であり、そこで研究する科学者達のレポが本来の主題のはずですが、前回と同様に、番組はそこに「帰宅困難区域」というくくりを設け、元の住民達の「失われた故郷」への望郷の思いもあちこちに織り込んでいます。
この「故郷への思い」と汚染された森での研究の話とは、本来別の次元で捕えるべきものと思うのですが、ただ「汚染された場所」というキーワードで一緒くたにして情緒的に表現してしまう所が違和感を覚える所であり、この番組を好きになれない由縁でもあります。

この森で見つかる様々な現象はすべて、それまで実験室上でしか語られて来なかった放射能影響に対する「新たな知見」であり、そこで得られる知識は将来絶対何かの役に立つ、科学者達は皆そう信じて研究を続けているのですが、その思いをスタッフはどこまで真摯に受け止めたのでしょうか。
前回と違い、「まだまだ見ていかなければならない」という科学者の言葉をしっかり紹介した事は取り合えず評価しますが、それならば尚更の事、番組冒頭で語られた科学者の言葉こそ再度番組の最後に持って来るべきではなかったかと自分は感じます。

研究者(森敏) 「膨大な犠牲の上に成り立っているこの壮大な実験の中で、何かやっぱり情報を取ってこなくちゃいけない。法則性を明らかにしていかなくちゃならない。それは次世代のためでもある。」

この言葉こそが真のテーマであると思うのですが、しかし番組のエンディングでは科学者達のこの思いは忘れ去られ、望郷の念を抱く住民達の姿に、原発事故が招いた悲劇性ばかりを浮き立たせる演出に終始しています。

冒頭プロローグで紹介する映像でも、極端に高い線量を示す「絵」を敢えて使う所からも、その意図が見え隠れします。
こういう演出手法は、果たして今回の主題には本当に相応しいものだったのでしょうか。


私が見たかったのは「サイエンスゼロ」であって、「新日本風土記」ではありません。


この番組は、一体誰に向けて作られたのか、私は最後まで分かりませんでした。



※詳細な書き起こしまとめはこちらで。 ↓
・「テレビのまとめ」より「被曝の森2018 ~見えてきた汚染循環~|NHKスペシャル