杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

一年ぶりに石巻に行く(後編)

石ノ森萬画館を後にした私達は、女川街道(国道398号線)を一路「サン・ファン館」目指して進みます。


しかし道を進むにつれ、徐々に道の両側に被災した家々が現れます。
車は順調に流れているし、建物も見た目は残っているので一見何事もなかったかの様な印象を受けてしまいますが、実はこの辺り一体震災当日、津波に飲まれていたのだという事に気が付かされます。




実際の地図と津波浸水域を比べてみると、かなり内陸の方まで津波が達している事が分かります(参考:国土地理院「浸水範囲概況図12」(PDF))。




国道から山側を見ると、かなり奥に入った所で被害に遭っている家々が(クリックで拡大)。


「サン・ファン館」の駐車場から見えた山の斜面、大きく崩落していました。


ひっそりとしている「サン・ファン館」、流石にまだ閉館中でした。
震災当時はここも避難所として機能していたそうです。




そして「サン・ファン・バウテスタ号」、一見何ともないようですがよく見るとマストが折れています。
そして資料館は見るも無残、ここの復旧はかなり時間がかかりそうです(クリックで拡大)。

「サン・ファン館」のHPでは津波来襲時の写真が見られます(→こちら)。
撮影場所は崖の上ですから津波は届かなかったでしょうが、それにしても当日はかなり恐ろしかった事でしょう。
一年前のこの日は、サン・ファン・バウテスタ号のライトアップが行われていました。
この美しい風景がまた見られる日が来る事を、切に望まずにはいられません。


「サン・ファン館」を後にしてまた石巻に戻る途中、石巻港に面した「ながはま海浜公園」に寄ってきました。




遠くの海岸端では瓦礫が積み上げられていました。
ここだけに限らず、国道沿いにはあちこちに瓦礫の仮置き場があり、瓦礫はビル並みにうず高く積み上げられていました。


それでも「悲しみの海」は、本来の美しい姿で私達を迎えてくれました。


海辺から離れ港の中を走ってみましたが、そこは今では瓦礫の処理が大分進み、どこまで行ってもがらんとした風景が続きます。








しかしこの港と隣接して住宅街の一角がありますが、ここは未だに撤去される事無くそのまま残っている家屋がたくさんあります。
この家達がまるで、主の帰りをいつまでも待っている様にも感じられ、ここにいるとたまらない喪失感に襲われてしまいます。




道の左側はこの地域を守るはずであった堤防の壁、あの日津波はここを乗り越えてきたのです。


今回このエントリーを挙げるのに、ここの写真を使うべきか随分悩みました。それは単なる物見遊山の様に見られてしまうのを恐れたからです。
しかし奇しくも今日、グーグルが被災地の画像を「Googleストリートビュー」で見られるサービスを開始しました。↓

ただここの写真は7~8月頃のもので、今はそれから更に瓦礫の撤去が進んでいます。
そのため、今現在の記録として敢えて公開しようと考えた次第です。


再び石巻市内に戻り、復興のため新しく誕生した施設に寄ってきました。




中は割と若い世代のお客が多く、今まで人気のないところばかりだったので、この賑わいにちょっとほっとします。
ここは連日様々なイベントを催しており、何よりも今一番必要な活気に溢れていました。
おみやげに、中で売っていたこいつを買って帰りました。



近頃全国区では被災地の事をあまり取り上げなくなってしまいましたが、こうして現地を訪れてみると、復興への道はまだまだ険しいと感じられてしまいます。
何より港の部分はまるで手付かず、あの荒涼たる風景を見てしまうと本当に復興するのかと疑念すら沸いてくるほどです。
そして被災地ではそんな風景が日常となり、住人達にはそれが当たり前の光景となってしまっているかの様です。
この復興市場がある交差点の向かい側には、未だにこんな建物が手付かず状態のままなのですね。


復興は今ようやく始まったばかり、この先まだまだ長い道のりが続きます。
個人的にはささやかな支援しか出来ませんが、これからも被災地に寄り添っていきたいと思った今回の石巻ツァーでした。


(サイト紹介)
石ノ森萬画館
宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称:サン・ファン館
ホット横丁石巻
Google復興支援サイト 「未来へのキオク