杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

伝わらない警告 ~NHKの検証番組を見て感じた事~

3月22日(木)のNHKスペシャル「NHKと東日本大震災 より多くの命を守るために」を興味深く見ました。
この番組は「大津波の危機感をどこまで伝えられたか」、「原発事故の見えない危険をどこまで伝えられたのか」、「被災者を支えるきめ細かい情報はどこまで伝えられたか」の三点についての震災報道のあり方の検証だった訳ですが、特に大津波の報道については、実際に被災地でその放送を聞いていた者として言わせてもらえば、どうしてもテレビ局側とこちら側との意識のズレというものを感じざるを得ませんでした。

震災当日、宮城県では地震直後に全世帯が停電となり、すぐに携帯も繋がらなくなり、外部との連絡手段が完全に断たれてしまった状況になっていました。
そんな中、我々が一番頼りにしたのはラジオだったのですが、その放送内容は当初はテレビのアナウンスをそのまま流していたものでした。
そのため我々が欲しかった情報は極めて限定的なものとなってしまい、何よりその後テレビで津波の生映像が放送されていた事などを知るのは、現地ではほんの一握りの人だけだったのです。

地震発生から28分後の3時14分、テレビでは釜石港津波が到達した映像が映し出され、それが堤防を乗り越える模様がアナウンスされますが、直後に津波情報が更新され、画面ではその情報は表示されますが放送文はその地域を紹介するばかりとなり、結局10m以上という津波高さの情報がアナウンスされるのは18分後の3時32分という有様でした。


更にその直後、津波高さが更に引き上げられ、画面では気仙沼にも津波が押し寄せてきている様子が映し出されますが、番組では刻一刻と変化する状況にアナウンスの情報が追いつかなくなってきているのが見てとれます。


その後ラジオでも独自に放送が始まりましたが、その時伝えられたのも気象庁発表の津波予想高さと避難を促すアナウンスばかりでした。

この時現地では、手に入れられる情報といえばほとんどがラジオばかりになっており、そしてその前で聞き耳を立てていた我々が求めていたのは周囲の状況、つまり、【今何が起きているのか?】という事でした。
この時我々が一番求めていたのは、【実況中継】だったのです。
テレビを見ていた人は何の説明がなくとも画面を見れば情報はすぐ把握出来ますが、ラジオでは当然の事ながら何も見る事が出来ないのですから、中でアナウンサーが発する文言だけがその情報のすべてなのです。
しかしながらNHKは、あくまで非常用のマニュアルに沿った手順で、冷静な落ち着いた声で間違いなく情報を伝達するという立場をとっていました。その時のスタジオ内の姿も番組では紹介されています。


モニターを見つめるスタッフ達、番組では刻々と変化する状況をいかに伝えるかに苦悩する彼らの姿が紹介されますが、圧倒的な津波の映像を映し出すモニターの群れを前にして、彼らの頭からは「映像のない情報」という概念が完全に欠落してしまっている様に見えてしまうのです。

ここに震災後iSPP(情報支援プロボノ・プラットフォーム)というグループが発表した「東日本大震災 情報行動調査報告書」(→参照(pdf))というものがあります。その中で、岩手・宮城・福島の被災3県にアンケートした、震災時に利用した情報ツールのデータが紹介されています。
それによりますと、震災時に一番利用されたのは「ラジオ」である事、普段一番であったテレビは停電のため、当日は急激に減っている事がよく分かります。


被災場所による違いのグラフでは、宮城県ではテレビ利用は「0.0」となっています。


県内がすべて停電になっている情報などは、現地の支局から本局へ真っ先に送られているはずで、本局ではそれを前提としての放送がなされるべきでした。
そしてそれは、本当に切迫した状況が分かっていたならば、そこで読み上げられるのは用意された原稿ではなく、モニターを見ながらの実況中継であったと思うのです。

番組ではいつも通りに冷静に読み上げられる声を聞き、それでいつも通りと思ってしまった被災者の方が紹介されていましたが、当時実際に聞いていた自分としても、それはまさにその通りであったと言えます。
そしてその夜の放送で、宮城県の浜の方で100~200人の死体が上がったというニュースを聞き、夕方のあの放送からのあまりのギャップにショックを覚え、一体何が起こったのか訳が分からずにそのまま不安な一夜を過ごすという事になったのです。

本当の非常事態という時には、情報を発信する側はマニュアルに沿ってばかりではなく、その場での臨機応変の処置をしなければならないと思います。
茨城県大洗町での防災放送「避難せよ」が良い例です。これはNHKでも分析(→PDF)がなされていますが、この中では敢えて命令調の放送をした町側の考えが以下のように述べられています。

   ▼非常時にあって犠牲者を出さないよう,マニュアルに頼らず臨機応変に対応する
   ▼「今回も大丈夫だろう」と思われないようにする
   ▼迷いの生じる表現を避け,強く受け止めてもらえる表現を使う
   ▼聞き手を意識した,印象に残る表現を心がける


これらはすべて一自治体の防災無線についてですが、これはそのまま、放送局のこれからの防災情報の伝え方に対しての良い指針となると思われます。
NHKでは避難指示の今後の変更点として、
「高いところに逃げること」とか、
「決して、立ち止まったり、引き返したりしないこと」
など、普段あまり聞かれる事のない命令口調と、強い語り口などがその案として検討されています。


しかし、この命令口調が有効であったのは、大洗町の様にそれがあくまで小さなコミュニティ内だったからで、より広い地域向けで果たしてどこまで効果があるのか、それは未知の問題とも言えます。
私達は常に冷静なNHKの災害報道の仕方を良く心得ています。だから本当に切迫した状況を伝える時は、逆に敢えていつもの冷静さをなくしてしまった方が、その危機感がより伝わるのではないのかとも思うのです。

今まで数多くの災害報道を見てきて、その中で深く印象に残っている事例があります。
それは1993年(平成5年)7月12日に起こった北海道南西沖地震、いわゆる「奥尻島地震」です。
丁度NHKニュースで災害報道が行われていた本番中に、現地の奥尻町長からスタジオに電話が入りました。
奥尻は全滅です!」
悲痛に叫ぶその声は、そこでただならぬ事態が起きた事を、放送を見ていた我々に強烈に印象付ける事となったのです(後にこの放送を見ていた泉谷しげるは単独で、「『お前ら募金しろ』キャンペーン」を繰り広げる事となります)。
人々の心を揺さぶるのは、生の声、生の感情なのだと思います。それは、あらかじめ用意された原稿をどんなに声を荒げて読み上げても、人々の心には中々届かないのではないのかと私は感じます。

そしてもう一つ絶対忘れてはならない事は、放送局が情報を発信する時、果たして本当に情報を伝えたい相手の立場に立って事を考えているのかという事です。
今回停電によりスマホワンセグで情報を見る人が多かった事から、NHKでは以下のように文字データを大きく表示する様変更する案が検討されています。


しかし、停電によってラジオしか聞けない人達は今後も大勢出てくるでしょうし、災害時の情報収集の手段として、今の所はやはりラジオが一番有効であるのは間違いありません。
つまりそれは、声だけの情報です。
この声だけしか聞けない相手に、この切迫した事態をいかにして伝えるか。
こう考えた時、その相手の心に一番良く届くのは、やはり「生の感情」だと思うのです。
あの時NHKがいつもの冷静さを失い、まるで民放の様な実況を突如始めたりしていたら、受け取る側はそのただならぬ緊迫感をより自分の事として受け止めていたのではないのかと、今も思い続けているのです。

(3時14分:釜石港の映像)
「今津波が到達しています。予想より大きな津波が岸壁を乗り越えて町の中に流れ込んでいます!
水面がみるみる増しています! 建物が次々と飲み込まれています!
釜石の町が今、巨大な津波襲われています!
宮城県では津波の高さは10m以上という予想が出ています。放送をお聞きの皆さん、海岸近くの皆さん、今すぐ逃げて下さい!
お願いします! 一刻も早く、高い所に逃げて下さい!
どうかどうかお願いします! 皆さん早く逃げて下さい! ……」



(参考)
・ライフプランニング マネーコネタニュース:「人々はどう動いたか 東日本大震災発生時の行動&意識調査」
・iSPP/情報支援プラボノプラットフォーム:「東日本大震災 情報行動調査報告書」[プレスリリース資料]
INTERNET Watch「被災地で役に立った情報ツール、震災当日は「ラジオ」がトップ 」
・NHK放送文化研究所:「大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか」(pdf)
ウィキペディア「北海道南西沖地震」