杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「福島が好き」と言うなら

6月24日(日)、この日福島県のローカル新聞「福島民友」・「福島民報」で『福島が好き』という折込チラシが配られ、多くの福島県民が心穏やかではいられなくなるという騒動が起こりました。
その模様はこちらのtogetterで垣間見る事が出来ますが、私としては前回エントリーを挙げた直後にこの様な事態が生じたので、少々ムッとしたというのが正直な気持ちです(故に、敢えて当該チラシへのリンクはいたしません)。
ただその後しばらく時間が経ち、あちこちのブログの反応や本家発行元のブログを読む内に色々考える事もあり、ここで改めて新エントリーとして立ち上げた次第です。


「チラシテロ」とも叫ばれているこのチラシの内容を見てみれば、ここに書かれている事はすでに去年の段階で散々に検討され尽くした極めて古い内容ばかりである事が分かります。ですから、様々な方面から情報を仕入れている福島県民から見れば、「何を今更」と憤るのは目に見えており、事実そうなってしまった訳です。
しかし、発行元に言わせるとそれはすでに織り込み済みで、それよりも不安の声を上げたくても上げられない人がおり、そういう雰囲気が県内に作られている事の問題に目を向けさせる事もまた目的の一つであったと言います。
事実、発行元には(これが本当かどうかは確認するすべはありませんが)電話での激励の言葉が何件かあったとの事ですが、これが事実だとしますと、私はここに深刻な情報格差の問題を感じてしまうのです。

ブログ「福島 信夫山ネコの憂うつ」の記事によりますと、このチラシ内容は去年の秋ぐらいに囁かれていた事ばかりで、その後明らかになったWBC(ホールボディカウンター)による放射線測定の検査結果や、甲状腺検査の追検査結果のデータなども全然反映されていません。
それでもこのチラシを指示する人が少なからずいるという事は、福島県内では去年の時点から未だに一歩も前に進めていない人もいるという事を意味します。
そしてそういう人達が集まる掲示板やML(メーリングリスト)などを見ると、彼・彼女らは福島県内の放射線量の正確なデータなどまるで手にしていないのではないかと思えるほどの、極端な不安思想の中に未だに取り残されたままでいる姿を目にするのです。

彼らの発言からは、地元ローカルの新聞やらテレビ番組などは皆放射線安全論ばかりで、それらはまるで信用するには値しないという極端に偏重された考えが形成されている事が分かります。
しかしその根拠とされるのは、大半が県外避難者や反原発派などの、県外からの不安情報ばかりなのです。
しかし実は、これは県外にいるとまるで知り得ない事ですが、福島県内での放射線に関する情報というものは、実は今や国内一とも言えるほどの充実振りであるのです。
まずはここに、県内と県外の「情報格差」というものが存在し、県外からの情報ばかりに頼る人はいつの間にか置いてけぼりにされてしまうという状況が作られてしまっている様に見えます。

福島県内で人々が分断され、不安に思う人はどんどん孤立化していくというのはとても大きな問題ですが、所詮他県にいる私ではそういう人達の思いを共有する事は出来ません。
そしてその人達の心を本当に理解出来るのは、去年まで同じ思いを抱いていた地元福島県の人達だと思うのです。
ですから、当時は不安の只中にいて現在は前向きな気持ちに変わったという人は、それがどんなきっかけで今の気持ちに変わったのか、その過程をぜひ語って欲しいのです。
放射線が不安で不安でたまらなかった頃、何があなたを救ったのか、あなたを前進させるきっかけとなったのは何なのか、それをどんどん語って欲しいし私もぜひ聞きたいと思っています。

また、不安を抱く人達ばかりが集う掲示板ではよく、安心だという人達を批判したりする姿が見受けられますが、そういう人はぜひ、今度は自分自身に対して「なぜ?」という疑問をぶつけてみて下さい。例えば、

 ・周りの人達は「このぐらいなら安心ね。」と言ってるけど、私にはとてもそうは思えない。
  じゃあ、なぜ私は他の人の様に安心とは思えないのだろうか?
 ・食品検査で「ND」が出て皆は安心してるけど、なぜ私は皆の様に「事故前と同じね。」と思う事が出来ないのだろうか?

という具合に、ぜひ自分自身に問いかけてみて欲しいと思います。
そうして自分をじっくりと見直してみることにより、自分が抱いている不安の根源が見つかるかもしれません。
そしてこういう姿を見つけた時などは素直に「良かったね」と、自分も一緒になって喜べる様になってほしいと願うものです。

また、発行元ブログのエントリーの中に、こういう記述があります。

> 「チェルノブイリとは違う」という見解もありますが、福島の事故の実態がまだす
 べて解明されてもいないのに、なぜそんなことが言えるのか、不思議に思います。

これを見るだけでも、不安を訴える人達は未だにチェルノブイリの罠」に捕われているのが良く分かります。
私は今回の事故をきっかけに、改めてチェルノブイリ原発事故の検証番組やドキュメンタリーなどを見直してみましたが、それを見る度(現地の方には申し訳ないのですが)、「福島はチェルノブイリの様にならなくて本当に良かった」とつくづく思っているのです。
チェルノブイリに比べると福島原発事故は、その事故の規模・放出された放射性物質の量から汚染された範囲に至るまで、桁違いに少ない事が実際の計測からも分かっています。
勿論これは当時の気象条件という偶然による所が大きいもので、もしかしたら福島県全体も、いやそれ以上のもっと広範囲の地域すら、ヘタをするとチェルノブイリ並みに汚染されていたかもしれなかったという事もまた事実です。

震災からちょうど一年を迎えた今年3月11日、テレビ局が一斉に震災特集を組む中いつも見ている「鉄腕ダッシュ」の中でも特番が組まれ、TOKIOの山口君がチェルノブイリを訪れる姿が放送されました(→こちら)。
そして、あの汚染されているチェルノブイリで、まるで汚染されていない作物を作る農家の人達の姿が紹介され、それに私は大きな感銘を受けました。
それは決して絶望の淵にいるばかりではなく、汚染されたこの地でも立派に生きていけるという事を身を持って証明した人々からの、力強い励ましのメッセージでした。
そして私自身もいつの間にか、チェルノブイリと聞くだけである固定化されたイメージを思い浮かべてしまう、「チェルノブイリの罠」にはまっていた事に気付いたのです。

チェルノブイリと一口に言っても、実際は国土のすべてがひどい汚染を受けた訳ではなく、もちろん放射性物質には注意を払いながらも、そこに普通に暮らしている市民の人達も大勢いる訳です。
そしてそういう事に対し外部の私達はいかに無知であったか、また同時に、福島県をフクシマと表してチェルノブイリと同様の見方をするのが、いかに愚かしい事であるのかを改めて感じたのです。

>福島の事故の実態がまだすべて解明されてもいないのに、

確かに原発事故そのものの解明はまだ完全になされているとは私も思っていません。しかし住民が住む周りの環境自体は、細かな精査によって現在はかなり明らかになってきています。
それは実際に計測された数字がすべてを語ってくれている訳ですが、不安に捕われている人はどうやらそれらの数字さえも見ようとはしていない様です。
ここに情報格差が生まれます。
積極的に情報を得ようとする者は、安全・危険双方の情報を比較し、どちらの情報に信憑性があるかを自分の目で確かめるものです。
そして先にも述べた様に、福島県ほど放射線情報が充実している所はなく、私がいるお隣の宮城県ですら、放射線情報に関しては全国と同様、極めて薄っぺらなものでしかありません。
しかしそんな恵まれた地元にいながら、不安情報に捕われた人はどこよりも詳しい県内の情報よりも、自分の気持ちを共有してくれる外部の不確かな情報に捕われてしまい、県内にいながらいつの間にか周りから置いてけぼりにされてしまっているのです。これはとても不幸な事です。

ブログのコメント欄のやりとりを見ていますと、双方の立場から意見をぶつけ合っている内自然に敵味方に分かれてしまい、しまいには水掛け論になってしまっている姿が目に付きます。
そうではなく、前向きに歩む決心をした人はその思いをただひたすらに発信してほしいし、その思いを受け止めた私達は改めて、また福島を応援しようという気持ちにさせられるのです。

福島の農に生きる

復興を後押しする力は「希望」であり、これは福島県のみならず、今回の震災で被災したすべての人に当てはまる事でもあります。
もし「福島が好き」と言うのなら、皆が前向きに歩める様な、「希望」に満ちたエールを送ってもらいたい、そう私は望みます。


「不安」からは『絶望』しか生まれないのです。









本当は「諸橋近代美術館」に行ったのでそのレポ挙げようとしてたのですが、おかげでボツになってしもたわ! ↓ 

   


(7月1日追記)
チェルノブイリと福島の原発事故の比較がこちらで検証されています。↓
『warblerの日記』より:「福島の原発事故と、チェルノブイリの原発事故の被ばく量などの比較-福島の現状について」