杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

9月入学は今出来なければ永久に出来ないと思う訳

予定していた東北旅行もキャンセルとなり、どこにも出かけられなかったGW(我慢ウィーク)を過ごし、ようやく日本全国が落ち着きを取り戻しつつあるのがデータとして読み取れるようになりました。

 

いつもの様にCOVID-19サイトを貼っておきますが、テレビでの新型コロナ感染者の日本地図表記は相変わらず累計者数ばかり、それで全国の様子が分かるのかね?(←つぶやき) 

(一応5月12日現在の状況を貼っておきますね。↓)

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で、ここに来てにわかに注目を浴びてるのが「9月入学」の議論でして、4月28日の知事会議で宮城県の村井知事が提案してみると(→こちら)意外にも多くの知事から賛同があった訳ですが、ネットを見ると現在、賛成・反対の意見があちこちで湧き上がっています。

 

結論から言うと、僕自身は9月入学には賛成の立場です。

 

かつて自分が受験生であった頃から、受験生を持つ親の立場になった時、そして我が子が社会人となった今でもずぅ~っと思っていた事。

 

「何で健康リスクが一番高くなる時期に入試なんてせなならんのや!」

 

これはうちの奥さんもまったく同意見で、毎年冬の時期に入試のニュースが流れる度、いつも話していた事でした。

そしてこんな状態になるそもそもの原因が「4月入学」という学校制度のせいで、この状況は何とかならんのかとずっと思っていた所、今回のコロナによる休校措置の長期化で俄かに「9月入学」という話が湧き上がってきた訳です。

 

これに対して案の定、反対派の人はネガティブな意見ばかりずらずらと並べ立てる訳ですが、それを見るとどこも似たような説ばかり、要は社会が混乱するからというのが一番の意見の様です。

(yahooニュースより)

日本教育新聞より)

 特に後者の日本PTA全国協議会の反論については、

教職員の負担が増えることをはじめ、家庭にとっては、学年の始まりが5カ月遅れとなることで経済的な負担が増す恐れがある

とか、

これまで級友として学び合い、支えあってきた学年を分断するような政策

とか、

保護者の勤務先の転勤は4月が多いことから、9月入学・新学期となった場合、卒業を間近に控えた時期に転勤を言い渡される家庭も多く出る可能性があるとし、「子どもへの心理的負担は大きい」

など、まあ脅す脅す(笑)。

特に、

部活動について、現状では5月から8月にかけて大会が集中していることから、夏に入試を行うこととなると、最終学年が大会に参加することは難しい点を挙げた。

という意見には、

「はぁ⁈ 9月入学になっても各種大会は今までと同じ時期にやるんかい?」

というツッコミも聞こえてきそうな程、説得力のない反論を述べてる訳です(正直、日本PTA全国協議会ってこの程度なの?と思ってしまいましたよ)。

でも慎重派(=反対派)の中では、以下の様に法改正の手続き上の問題やオリンピックとの絡みなど、かなり説得力ある議論を展開している人もおります。 

 

確かにこの中で言われている様に、「9月入学がグローバルスタンダードだから」という理由を掲げて推進していく姿勢には僕も違和感を感じる所があります。

そもそも僕の9月入学議論の出発点は、健康リスクが懸念されるインフルエンザシーズンに受験シーズンを合わせてしまうのはどうなの? という疑問からです。

では受験に最適なシーズンはと考えてみると、気候が安定する10~11月の秋口辺りとか、夏の猛暑が始まる前の5~6月の初夏辺りという候補が挙げられます。

そこから逆算して考えると、受験シーズンは6月、そして9月を入学時期とするのが最も合理的という結論が導かれる訳です。

9月入学がグローバルスタンダードというのは、僕の中では副次的なものでしかありません。

 

この点において今起きている9月入学の議論に疑問が出てるのは理解するけれど、だからと言ってこの最後の結論には賛同は出来ないのです。

9月を学年の始まりとすることの要否や得失を十分に見極めつつ、落ち着いた環境のもとで冷静な議論が積み重ねられていくことが望まれる。

「落ち着いた環境のもと」

こう言ってこれまで、「9月入学」は結局無理とされてきたのですよね。

はっきり言うけど、落ち着いた環境の時に体制を根本的に変える事などは絶対に出来ませんよ。

それは単なる「机上の空論」とされるだけですから。

体制を大きく変えるのは常に危機の時であって、実際それまでずっと推進の旗を振ってても全然進まなかった「テレワーク」だって、通勤地獄解消に向けた時差出勤だって、或いはFAX報告のデジタル化(こればかりは流石に目が点になってしまったけどw)ですら、今回のコロナ危機であっという間に出来てしまった訳です。

そして今回の危機は学校の休校措置一つとっても、それは一部の地域や一学年だけの話ではなく、保育園から大学まで日本全国、いや世界中すべての子供達の身に平等に起きている世界規模の教育危機だという事です。

 

例えば東日本大震災では、被災地ではその年の卒業式などはまともに行われませんでしたが、でもそれは、とても冷たい言い方になりますが、あくまで【局地的な事象】であり、他の地域では卒業式はいつも通りに行われたはずです。

また震災によって日本経済は大きな打撃を被りましたが、あれほどの死者・行方不明者を出した1000年に一度と言われる大災害ですら、世界から見ればそれは東洋の一つの国の中の一地方での出来事という、【局地的な事象】としての認識でしかない訳です。 

でも今回のパンデミックは違います。

日本を襲った大災害とは比べ物にならぬ程の規模でそれは起こり、それにより世界の在り方は大きく変えられてしまった、まさにそんな歴史の分岐点に我々は今立っている訳です。

「アフターコロナ」の世界は今後大きく変わるけれど、反対派の意見を聞いていると、彼らは「コロナ前の社会」しか見ていないんじゃないかと思えてならないのです。

 

よく9月入学反対派の意見の中で、

「9月入学時にコロナが治まっていなかったらどうする?」

という反論があるけれど、僕はそっくりそのまま同じ質問を返しますよ。

「もし今の学校制度のままで、9月までコロナが治まっていなかったらどうするの?」

「もし入試シーズンにコロナの第2波が襲ってきたら試験はどうするの? 卒業はどうなるの?」

 

コロナ危機はまだ治まってはいないのですよ。

 

この先ワクチンだって出来るかどうか分からない。出来たとしてもそれが効くかどうか、またちゃんと供給出来るのかすら分からない。

こんな不安定な情勢の中で、子供達に無理強いをしながら例年と同じ3月卒業を目指していく事が果たして正解なのだろうか。

それよりは9月移行までの時間を利用して政府は学校設備のIT化を強力に進め、その間を生徒・先生達はIT授業の研修期間とし、先にオンライン授業を進めている学校はそのガイド役となって他校と交流を進めたりとか、次世代への新たな教育システムへの移行期間としてこの一年を、生徒・教師・親・社会が協力して築き上げていく期間と出来ないものかとか、そんな思いを抱くのですね。

 

今の体制のまま休校で遅れた課目を取り返すために、体育の授業は削られてしまうのだろうか?

アスリートを目指す子達は、スポーツイベントがすべて中止された今どうやって成績を判断するのか、スポーツ推薦の基準はどうなるのだろうか?

そもそもこれからは今まで通りの大会など開けるのかなど、現行の体制のまま進めていく事に対しては不安要素しか思いつきません。

 

そして勉学以外の様々な学校行事には、例えば新人戦・中体連・高校総体・甲子園などのスポーツイベントには競技関連団体とか、修学旅行における臨時列車や定番旅館等、数多くの関連企業の存在があり、彼らはお互い持ちつ持たれつの関係を築いています。

そして平時の元での議論では当然、これら関連団体からの大きな反発も予想され、結果現状維持に収まるのが既定路線でした。

そして子供達は相変わらず、健康リスクが最も高い時期に人生の岐路を左右する試練に放り込まれているという訳です。

 

しかしながら今回のコロナ危機では、幸か不幸か学校行事に関連するこれらあらゆる企業・団体の活動がストップしています。

つまり、制度改正によって生ずるべき混乱は今すでに起きているし、これが収まった後の平時に改めて9月入学の議論を始めたとしても、実現する時にはまた今回同様の混乱が生じる事となり、企業とすればこんな混乱はもう二度とごめんとなる訳です。

だからこそ、制度改正という大きな課題を本気でやろうとするならばすべてが止まっている今しかないし、今を逃せばもう永久に出来ないという訳です。

 

 

そして日本には、こんな不文律が脈々と息づいているのですね。

 

 

 

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」

 

 

 

親の立場として考えるならば9月入学の議論は、それが世界標準だとか企業の採用時期はなどという話は一旦置いといて、まずは子供達をどう守るのかという視点で議論してほしいものです。

 

今年の冬はインフルエンザだけじゃなく、そこにコロナも加わるのです。

 

 

 (参考:4月入学制度について)

(9月入学推進派からの一意見)

(そのメリット・デメリットを考えるブログ、大いに参考になります。)